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2015年5月7日木曜日

東海道を歩く (3)戸塚~平塚    大坪正和

4月12日(日)
 今回は三回目になります。
 最初の東京都心から比べると、随分空が広くなった感じがしますが、それでもまだ横浜市戸塚区。都会といっていいでしょう。
 戸塚駅を出てすぐに東海道ですが、JRの線路を渡らなければなりません。昔は東海道が最優先だったでしょうが、今ではJRのために東海道は空中をまたぐか、地下に潜るかです。
 ここは空中です。
 戸塚の中心街も昔の面影はほとんど残っていません。

 例によって草餅調査ですが、時期はすでに5月に近く、和菓子屋さんもすでに柏餅に衣替え。「材料は一緒だけど、二種類作るのは手間なのよ。」とおかみさん。「だけど、うちはまだくわいの形よ。」と教えてくれました。今日はこちらの名物「かりんとうまんじゅう」をいただきました。
 本陣跡は今でも江戸時代の旧家がそのままお住まいでした。
 富塚八幡宮は「戸塚」の名のおこりになったところ。しっかりお参りします。「八」の字がハトになっているのがわかりますか?これ、鶴岡八幡宮と同じです。芭蕉の句碑もあります。昔は鎌倉に揚がったカツオを戸塚経由で江戸まで運んだそうです。
 道標にも鎌倉の文字が見えます。
 

 大坂
  戸塚を出てから細かなアップダウンが続きます。
 坂の頂上に歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」に出てくる「お軽・勘平道行の碑」があります。
 勘平は仇討ち前に切腹をするのですが、勘平を加えて四十七士だそうです。


 道祖神 

この辺りからは道祖神や庚申塔が目に付くようになります。昔は道中、大変だったことが伺われます。
 やっと横浜市を抜けて藤沢市に入ります。

 鉄砲塚 
 悲しい伝説が残るところです。

 名残の桜が気分を和らげてくれます。

 松並木
 道の両側や中央分離帯に松並木が見られるようになりました。今では松の代わりにヤマモモも多いそうです。


 遊行寺坂

 ここも箱根駅伝でよく登場する坂です。東京から来ると下り坂なのですが、箱根からの復路はだらだらと長い坂が続いて、選手は大変だろうと想像できます。

 遊行寺

 思ったより大きなお寺でした。聞けば、時宗(一遍上人の念仏踊り)の大本山で、寺内に幾つもの塔頭を抱えるお寺でした。
 その一つに、これも伝説ですが、「小栗判官・照手姫」の墓がありました。小栗判官は熊野詣での際に聞き及んでいます。一度は毒殺されたのを、熊野本宮大社の近くにある湯峰温泉で湯ごりをして生き返り、はれて二人は結ばれるという伝説です。

 藤沢宿

 

 少し古い建物も残っています。
 白旗神社
源氏ゆかりの神社。ここは源氏のおひざ元です。

 義経の首洗い井戸

 義経の首は平泉から鎌倉に送られ検

 湘南クッキー

   こんな自動販売機は見たことがありません。

 松の切り株

 さすがに江戸時代からの松は枯れたものが多いようですが、立派な切り株が残っています。

 街道沿いの旧家
 国道1号線沿いに大きな屋敷を構える旧家が目立ちます。驚くほど広い土地に、立派な家が建っています。おそらくは50年ほど前までは何にもない街道沿いの民家だったのでしょうが、今は交通の要衝。屋敷を維持するのも大変なことでしょう。中には税金対策か、土地を切り売りする家もあります。

 でかまんじゅう

 名物だけあって本当にでかい。しかし、なにもここまででかくなくてもと思います。

 左富士

 東京から京都に向かって左手に富士山が見えるのは、この辺りと静岡県吉原付近の2カ所だけです。春はなかなか顔を出してくれませんが、写真を大きくできればうっすらと、ほんとうにごくわずかに見えるのがわかりますか?

 相模川

 昔の橋脚跡が発掘保存されています。

 今の相模川
 弥次さん喜多さん何を思うか。


 平塚に入りました。
 今日は少し足が痛みました。細かなアップダウンが続き、マメもできたようです。
この次は湘南の海風に吹かれながらになります。富士山や箱根を眺めながらの道中になるといいのですが。

(つづく)

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