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2020年2月19日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (22)


711028 棚橋正人
    
621日(水) オレナ(Orena) ~ コミージャス(Comillas) 23㎞  


私営のアルベルゲは朝食付きが多い。といっても紅茶かハーブティーかインスタントコーヒーを自分で入れて、甘いパンやケーキ・ビスケットをかじる程度だ。日本の宿のほかほか炊き立てご飯に味噌汁・塩鮭の焼いたのに卵焼きにのり、なんてのは期待はしていないものの食いたいなぁー!!

パンを少し食べたがあんまり調子はよくない。こうなれば意を決して医者に行くしかないと覚悟を決める。オスピタレロに相談すると一番近い医者は前日のサンティリャーナ・デル・マルだという。村から乗り合いのバスが出ているからそれに乗れという。ゆっくり歩いてバス停に向かう。

働きに行く若者が一人眠そうにバスを待っていた。しばらくするとバスが来た。昨日、3時間はかけて歩いた道をバスは5分でデル・マルに着いた。人に聞いて医院を探し当てたがどうも人のいる気配がない。これはだめだと判断して観光案内所に向かった。
が、ここもまだ時間が早いみたいで開いてなかった。
しかたないのでベンチでぼんやりしていると、向かいのホテルからツアー客がトランクを引いてぞろぞろ出てきた。イケメンのマネージャーがてきぱきと仕事をこなしている。笑顔でお客一人一人に声を掛けてバスに乗せていく。添乗員と挨拶をすませバスが出て行った。そうだ!この人に聞いてみよう。

「すみません!お遍路ですが、体調が悪くて医者にかかりたいのです」
「村に病院はありますか?」
「この村に今やっている医院はないよ」
「でも近くに総合病院があるから、そこにいくといいよ」
「歩くとどれくらいかかりますか?」
30分くらい」
「とても30分は歩けません」
「わかった!タクシーを呼んであげるから、そこで休んでて」

彼は携帯を取り出すとすぐさま車を呼んでくれた。そして、着いたタクシーの運転手に事情を話して送り出してくれた。彼はまさに救いの神。ありがたいのなんの!地獄に仏、いや神様!感謝!感謝です。カッコよかったなぁー。ほんと若いが出来る人だった。これぞホスピタリティー!おもてなしの最上級だった!

 タクシーは丘をぐんぐん登っていく。大きな総合病院。広い駐車場にはずらりと車が止まっている。タクシーはエマージェンシー(救急)の入り口に横付けした。受付にいくと係りのお姉さんがいろいろ聞いてくれる。
    「日本から来た巡礼者です」
    「胃の具合が悪くて三日前から食べられません」

ストレッチャーに寝かせられ処置室に運ばれた。しばらくして白衣のお医者さんが診察してくれた。彼女は少し英語が出来た。点滴をすることになりナースが血管に針をブスリと刺した。ポタポタと点滴が落ちるのを眺めているうちにウトウト寝てしまった。他には誰もいない処置室でやっと点滴が終わった。時計を見るともう3時間ほどたっていた。まるで浦島太郎のような気分だ。

しばらくするとさっきの女医さんがカーテンの向こうから現れた。血液検査の結果は特に異常なし。「私もカミーノを歩いたのよ」という。なかなか魅力的な女性だった。学生の頃に読んだ庄司薫の『赤頭巾ちゃん気を付けて』に出てくる女医さんを思い出した。彼女はポケットから出した3日分の薬を「ちゃんと飲み切りなさい」と渡してくれた。それともうひとつ紙パックのリンゴジュースを飲みなさいと手渡してくれた。これは彼女のポケットマネーに違いない。お礼を言って別れぎわに握手をした。この方はきっと乙姫様に違いない!
 ブエン カミーノ!(どうかよい巡礼を!)
彼女のくれたリンゴジュースは最高に美味しかった。

清算をしようと受付に行った。が、サインをしてパスポートを返してくれてそれでおしまい!支払いは一切請求されなかった。巡礼者のけがや病気は無料で見てもらえると本で読んだが、半信半疑だった。たまたま僕が親切な医者に当たっただけなのかも知れないと思い、今年の東海カミーノ倶楽部(中部地方の巡礼者の集まり)で聞いてみた。すると、スペイン巡礼の途中で医者にかかった人は全員、「医者代は無料だった」と答えた。ただし、救急車に乗るとその費用だけは後日、自治体から請求されるのだそうだ。

 点滴とリンゴジュースが効いたのか急に元気になってきた。お腹もすいたので病院の売店に行ってパンとジュースを買った。これでなんとかどん底は脱出できたようだ。よかった!!助けてくれたみなさんに本当に感謝です!

 さて、これからどうするか?ここで判断を誤ってはいけない。じっくり考えよう。ここからどこへ向かうにしろ足は玄関に止まっているタクシーしかない。行く先はどこにするか?デル・マルにもどるか先に進むか?地図を見て海沿い23キロ先のコミージャスにしようと決めた。これもカミーノ。こんな旅があってもいいじゃないか!
タクシーの運転手にガイドブックの地図を見せて「この町のアルベルゲまでお願い」と頼んだ。彼もたいへん親切だった。車はトヨタのマニュアル車だ。こちらの車はほぼディーゼルエンジンでマニュアル仕様。日本と考え方が違うのだろうが、老人のアクセルとブレーキの踏み違えによる事故を聞くたびにマニュアル車なら起こらなかったかもと思う。ドライバーはコミージャスの町の中に入ってアルベルゲを探してくれた。そして、車が入れるぎりぎりのところまで送ってくれた。

ありがとう!スペインの人の優しさに涙が出るほどうれしかった。この恩はどこかで返さなくてはと思った。でも…その後、僕は「人に優しく」なれているだろうか。それにしても、アルベルゲにタクシーを横付けした奴はあまりいないだろうな…。

後日、岐阜県中津川の根ノ上高原にある「あかまんまロッジ」に泊って、宿主の赤尾さんにスペイン巡礼の話をしていたら、ユースホステルの起こりはホスピスから来ていると教えてもらった。赤尾さんはもともと根ノ上高原でユースのペアレントをしていた。ホスピスとはもともと巡礼者のための安息所。つまり、宿泊所であったりケガや病気になった旅人を治療したり看護する施設だった。ホスピタル(病院)という言葉もホスピスからきているのだそうだ。ユースホステル運動は1900年の初めドイツ人教師シルマンが始めたもので、移動教室や野外教育の際に児童や生徒が安全で格安に泊まれる施設を確保するものだった。「ホスピタリティー」という言葉も、巡礼者の看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待からきており、これが「おもてなし」のもとだった。

病気になって弱った巡礼者が安息所に助けを求めてやって来る。この人を看病して送り出す。これがホスピタル(病院)の本来の役割であったのだ。サンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドール(国営の超高級ホテル)ももとは15世紀の王立病院(後に修道院)というから、巡礼者がいかに大切に扱われたかが分かる。この歴史と伝統の中で巡礼をしている僕は、そのホスピタリティーに救われたわけだ。もうヤコブ様に足を向けては寝られない。これはなんとしてもコンポステーラにたどり着いてヤコブ様にお礼を申し上げねばならないと固く決意するお遍路でありました。

歩いてないけど、今日は大冒険! がんばった!
えらかったね! もう明日のこころだ!!

(つづく)

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