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2017年3月14日火曜日

東海道を歩く (11)藤枝~金谷    大坪正和



藤枝宿の名物は「瀬戸の染めいひ」。もち米をふかし、クチナシで黄色に染めたにぎりめし。これも、近年復活して売り出している。

 松並木が残る道を行く。


島田宿は大井川の川越えでにぎわった宿場。当時を復元した川越え遺跡がある。
 
 島田には大井神社の奇祭「帯祭り」がある。奴が大太刀を左右に差し、そこに帯を懸けて勇壮に練り歩く。
 島田の遊女から流行ったヘアスタイルが「島田髷」とも。花嫁さんの文金高島田も。
弥二さん・喜多さんは川止めで二つ前の岡部宿で足止めされた。大渋滞が起きたのだ。


金谷宿
 
 いよいよ東海道の三大難所の一つ、「小夜の中山」越えだ。金谷宿を出るとすぐに金谷駅のガードをくぐり、石畳の道を上る。復元した石畳は通る人がいなくなってからのもので、石が立っていて歩きにくいことこの上ない。下り坂はなおつらい。


ここには遠州七不思議のひとつ、「夜泣き石」がある。山賊に襲われ命を落とした妊婦の霊が石に乗り移って夜な夜な泣くのだという。
無事だったお腹の子供は「子育飴」という水飴で元気に育ち、後に母親の仇討ちをしたという。東海道を歩いていると、いろんないわれと遭遇する。それもまた楽しい。峠には公園があって、西行や芭蕉の碑がある。
 年たけてまた越ゆべしとおもひきやいのちなりけりさやの中山 
 命なりわずかのかさの下涼み


(つづく)

2017年3月7日火曜日

東海道を歩く (10)府中~藤枝    大坪正和





府中は家康隠居の地。駿府城から歩き出す。途中、名残の石柱などあるが、昔の家並は何もない。
安倍川の渡し。
名物「安倍川もち」をいただく。江戸時代、安倍川に橋は架けられず、蓮台越しや背負われて渡ったということ。川止めで多くの旅人は足止めされ、府中は大変にぎわった。

鞠子宿。
 
名物「とろろ汁」の丁子屋。弥二さん・喜多さんは店の主人夫婦の喧嘩に巻き込まれ、「とろろ汁」を食べ損なった。本日定休日。残念!
国道1号線のすぐ脇に旧東海道が残っている。この先、「宇津ノ谷峠」。「伊勢物語」に歌われた峠に入る手前に宇津ノ谷の集落がある。昔の姿が色濃く残る。どの家も「屋号」が懸けられている。宇津ノ谷越えの道は、時代時代で変わっている。「伊勢物語」の時代の道は細く暗い山道を行く。こんなところは馬では無理と思える道が残っている。

 
今歩いている旧東海道は、秀吉が小田原征伐の時に行軍した道。このほかにも、日本初の賃取り隧道「明治のトンネル」などが残る。しばし「うつつ」を離れて遠い昔に思いを馳せる。


岡部宿に入る。
 
 ここには大旅籠が残る。20年ほど前までおばあさんが一人でお住まいだったそうで。現在は中をきれいにして公開している。
この小さな川と橋。「小野小町姿見の橋」だということ。こんなところが・・・。
サッカー元日本代表“ゴン”こと中山雅史さんの実家。お父さんは地元で有名な“儀助さん”。
岡部宿の建物は新しくなってしまったが、雰囲気だけは取り戻そうと町ぐるみで取り組んでいる。この辺りで三島から来たグループと一緒になる。岡部から藤枝にかけて、つい2年ほど前に旧東海道が壊されて、宅地になってしまった場所がある。毎日の通勤路でこの工事を見ながら悲しくなっていた自分を思い出す。
藤枝宿は長い。いくつもの商店街が続く。なじみの店も何軒かあるが、宿場の雰囲気はここにもない。地元過ぎて歩くのが面倒に感じる。

(つづく)