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2015年8月7日金曜日

東海道を歩く (7)沼津~吉原    大坪正和

6月20日(土)
 梅雨の中休みの土曜日、この時期にしては涼しさを感じる日が続いています。富士山のすぐ近くを歩くのにあまり天気がいいとは言えませんが、このあとは確実に暑くなります。今のうちに少しでも先に進んでおきたいので、出かけることにします。一応、「地元」とも言えるところなので、吉原まで車で行き、吉原から沼津まで電車で行きます。沼津~吉原を歩いて車で帰ってきます。当分の間、このパターンにしてなるべく時間の制約を受けないようにします。

 沼津
 沼津城は狩野川の河口に沿って建てられていました。港湾設備や物資の運搬にも便利な立地だったのでしょう。かなり繁栄していたようで、明治初期の写真も残っていました。
 商店のウインドウにも夏が近いことを知らせるポスターがありました。大祓(おおはらえ)の「わくぐりさん」です。この時期、あちらこちらの神社の夏祭りで行われます。みんなで、藁でできた大きな輪をくぐり、穢れを祓います。
 沼津は、城下町、宿場町としての面影はすっかりなくなってしまって、あまり見るべきものはありませんでした。所々に古い商家の店構えがかろうじて残るくらいです。

乗運寺
  若山牧水ゆかりの寺です。牧水が愛した千本松原がすぐ近くにあり、松原の伐採計画に反対し、松原を守ったといいます。山門を入ってすぐの所に牧水の墓があります。きれいに整えられたお庭で休憩させていただきました。
 しばらく行くと大通りから別れて旧道に入ります。この辺りは、道路を一筋外れるとほとんど田んぼや畑だけで、富士山もきれいに見えるのですが、残念ながら今日も見えません。夏の間は一日中見えることはまれで、年間を通しても三分の一ほどしか見えないのだそうです。

 傍示杭
 旧沼津藩の領地を示す巨大な杭の跡です。下半分が折れて、なくなってしまっていますが、「従是東沼津領」とあったそうです。このあたり、千本松原にそって歩いているのですが、街道沿いの屋並みとその奥を通る旧国道1号線が邪魔してまったく見えません。

 原宿
 
   
  昔、「駿河の国に過ぎたるものが二つあり。富士のお山と、原の白隠。」と謳われた江戸中期の禅僧で、臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師の生まれた所です。日本各地に白隠さんが残した墨蹟や仏画が残っていて、独特な太い字体はご覧になった方もいらっしゃると思います。また、難しい教えを庶民にも理解してもらえるようユーモラスな仏画や達磨の絵などを描き、教えを広めた人です。私たちは親しみを込めて、「白隠さん」と呼びます。とはいえ、ここは静岡県東部で、私が住む中部の人たちには知らない人が多いのが残念です。原宿は、白隠さんにゆかりの所しかありません。こぢんまりした宿場です。
   この日のお土産は、地酒の「白隠正宗」にしました。
 旧街道を思い起こさせる旧家の屋号を見ました。
 確かに海岸沿いを歩いている証でしょう。「海岸寺」です。
 本当は雄大な富士が見えるのだけれどなあ。
 間宿の柏原です。屋号を示す看板ぐらいしかありません。
 富士毘沙門天です。この辺りではけっこう有名な所で、達磨市は毎年ニュースになります。毘沙門天を過ぎるとJR吉原駅です。今日はここまでです。沼津からほぼまっすぐに歩いてきました。坂もなければなにもない。寄り道も少なかったので早々と帰ることにしました。しかも、車を置いてあるのでこれ以上は進めません。ではまた。
 
(つづく)

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