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2016年2月21日日曜日

国語の授業におけるタブレットの可能性



  この一年間、国語の授業にタブレットがどう使えるかを考えてきました。私の勤務する学校では、国語科は他教科ほどPCや情報機器を使用していないように思えます。

(1) 私のタブレット

 2年ほど前に台湾製の10インチタブレットを購入しました。パソコン工房で約2万円。これからは教室でタブレットを使う時代だと考えたからです。薄くて軽くて教室に持ち込むのに便利です。我が家にはほぼ同時期にi-padがやってきたのですが、教室でチョークまみれになってもよいものと思い、別に安いのを購入した次第です。校内Wi-Fi(無線LAN)に接続しています。でも、タブレットの能力の問題かと思われますが、使用には耐えない。画像表示や音声再生は問題ないのですが、ブラウザの表示にはやたら時間がかかります。必要なデータはあらかじめ取り込んでおくのがいいようです。少人数(私の「古典B」では8人)に見せるのにはピッタリ。人数が多くなると、HDMIケーブルを使ってテレビに接続することができます。3mHDMIケーブルも購入しました。

(2) 画面を見せる
 
教科書の挿絵画像
  教科書の挿絵画像と同じ画像を用意するのも効果的かと思いました。教員は、自分の説明を生徒が聞いているものと思って授業を進めますが、実は思うほど生徒は人の話を聞いてはいません。「教科書にも同じ絵はあるけど、この絵のこの部分をよく見てごらん。」みんなでひとつの画面を注視するという行為が一体感をもたらす気がします。最近は美術館・博物館も所蔵品を画像で公開するようになってきています。教科書の挿絵は、案外簡単に見つかることが多いようです。
 
 『古典Bの教科書に出てきた見立業平涅槃図と、東京国立博物館のアーカイブからもらってきた同図。http://www.tnm.jp/から

その他、さまざまな画像、地図、資料
  画像検索で集めた画像を整理して見せます。もちろん自分で撮ってきた写真も見せられます。


天理市櫟本町にある在原神社(在原寺跡)で撮ってきた写真。これが『伊勢物語』、「筒井筒」の井戸だと、神社は説明します。

動画
  動画を見せることも可能です。映画一本を見せるようなことには向きませんが、短いクリップをここぞというところで、場合によっては何度も繰り返して見せるというような使い方が効果的かと思います。

ピンチイン・ピンチアウト
  スマホやタブレットで、指先を使って画像の拡大・縮小をすることをこう言います。マウスもキーボードも使用しないので便利ですね。

画面の明るさ
  秋の午後など、教室が日差しで明るい時は、画面が見えません。使ってみて初めてわかりました。これは意外でした。
 
(3) ノートや辞書代わりとして
 資料をインターネットから取り出して、プリンタで印刷をして教室に持っていくことがあるでしょうか。読み上げるだけなら、プリントする必要はないかもしれません。タブレットの中であらかじめ表示できるようにしておいて、教室では画面を読み上げるものとして使用できるかもしれません。
 もっとずるく考えれば、現在指導書はPDF化されています。指導書を教室で広げるのははばかられますが、タブレットの中に入れておけば… これ以上は書けません。

(4) 音声を聞かせる

外部スピーカー
  教科書の範読を聞かせることも可能です。しかし、タブレットでは生徒が8人でも音量が少々頼りない。そこで外部接続するスピーカーを検討しました。小さくて邪魔にならないもの、電源の心配をしなくていいもの。AC電源だとコンセントの確保を考えなければならない。乾電池だと使いたい時に電池切れのこともある。充電式電池も使う時に充電が間に合わないこともよくあります。

購入
 購入したのは39mm×39mm×39mmの立方体。出力3W。電源はUSBケーブルでパソコンから充電できるものです。これもパソコン工房で約1500円。MicroSDカードのスロットつき。カードに情報(mp3)を書き込めば、単体でも音が出せます(音量調整ができないのが残念ですが、教室一つ分くらい十分な音量があります。範読だけなら、タブレットなしに、これひとつで十分かと思います)。

音声データの用意
  教科書会社の朗読CDから、音声データを取り出す、いわゆるリッピングと呼ばれる作業をしなければ、タブレットから音声を再生できません。場合によっては、音声ファイルを段落ごとに分けたファイルを作ることも必要かもしれません。残念ながら、生徒は私の範読よりも集中して聴いています。

Web上の音声データ
  音声データはWeb上にもたくさんあります。You Tubeにも、「山月記」や「羅生門」もある。古文や漢文もスタンダードな作品、あるいはスタンダードな部分は検索すれば、たいがい見つかります。ただし、読み方が教科書と同じとは限らないので注意しましょう。
   手頃なタブレットは画面が8インチ程度のようです。いくら少人数の授業ではあっても、生徒に教室で見せるには少々小さいかもしれません。教室備え付けのテレビ画面に接続して使うとすれば、小さい画面のタブレットでもOK、あるいはスマートホンでもOKということになります。電話が鳴らないように気をつけましょうね。
 

hill

2016年2月8日月曜日

芝居 地獄八景亡者戯






 大阪松竹座で公演中の、「地獄八景亡者戯」というお芝居を観てきました。
 みなさんご存知かと思いますが、この「地獄八景亡者戯」というのは、消えかかっていた古い話を、桂米朝氏が再構築させた上方の落語がもとになっています。私は生では聞いたことがありませんが、若い頃に桂米朝氏のカセットテープを買ったのが、自分の中で唯一の「地獄八景亡者戯」です。デジタル化して、カセットテープは処分してしまいましたから、いつごろの録音かは定かではありません。内容から柳家金語楼さんが亡くなった直後と思われ、氏は1972年に亡くなっているそうですから、随分年代ものの音源を持っていることになりますね。

 私の興味は、この落語がお芝居としてどのように化けるかということでした。落語では亡者の八景ですから場面や登場人物が次々に変わるのですが、それでは舞台としてまとまりがないだろうと思っていました。落語家の泥丹坊堅丸(桂ざこば)が主役で通しています。地獄を経験して妻や娘の愛に気づくというパターン。それに桂米朝追善芝居と冠がついているように、米朝氏があちらこちらに登場します。主役の落語家の師匠が、どうも米朝らしい人柄であったり、落語家として、つまり人間米朝が顔を覗かせます。また、ゲストが日替わりで登場するらしいのですが、私の観た日は、ABCの三代澤アナウンサーがスーツ姿で閻魔大王の裁きの場に登場、米朝氏の思い出を語るというややこしさ。

 いくつかの落語のストーリーが話題の中にも登場し、落語を知っている人は知っている人なりに、知らない人もそれなりに楽しめるお話しでした。桂米朝という人が、いかに大仕事を成し遂げたか、また人々に愛されていたかが垣間見えるようなお芝居でした。芸者役の三倉茉奈さんが、SNSなどで、「楽しい芝居だった」と宣伝してほしいとおっしゃったので、ここで記します。


 (hill)
大阪松竹座のサイトはこちら