令和3年1月16日(土)~3月14日(日)
浮世絵を観に行きました。琳派の絵を見るより、浮世絵のほうが自分の身の丈に合っているような気がします。サイズも手頃ながら、観て理解できるように思うのです。
浮世絵が西洋の絵画に影響を与えたという話は以前から聞いていました。黒船の力を見せつけられた日本人は、自国の文化にもすっかり自信を失ってしまった。日本の芸術品が西洋で人気になり、(安値で)海外に売り渡す始末。陶器の梱包材として使われた浮世絵が、西洋の芸術家に大きな刺激を与えた。西洋では写真技術の発展により、写真のようにリアルに描いた絵画は追われることになり、印象派というジャンルを生んだ。その印象派にヒントを与えたのが浮世絵だという話です。
では浮世絵師が使う遠近法はどこから伝わったかというと、江戸時代後期のヨーロッパ文化の流入により伝わったというのです。教えたり教わったり…。ちょうど今アメリカでは、日本の70年代80年代のシティポップと呼ばれたジャンルの音楽が受けているという記事を見たことがあります。シティポップだって、もとをただせばアメリカ音楽に多大な影響を受けたもの。文化は行ったり来たりを繰り返していくものなのでしょう。
ゴッホの「雨の橋」は広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」を見て描いたとか…、楽しい話です。
美術館から帰ってから、少し勉強をしました。
江戸名所百景は、言葉通りに江戸の名所を浮世絵にしたものですが、原信田實氏の「浮世絵は出来事をどのようにとらえてきたか」によれば、浮世絵は俗、狩野派や土佐派の絵は雅なのだそうです。浮世絵は庶民のもの、世俗なものというわけです。それで納得できました。私が浮世絵を見るほうが身の丈に合っていると思うのも理由のあることなのですね。
さらに、江戸名所百景は、安政江戸地震とかかわりが深いそうです。安政2年10月2日(旧暦)。地震の推定規模M7.0~7.1、町人の死者が7000人。地震後の名所がどうなったか知りたい、見たいという江戸っ子の興味に支えられ、広重が名所図会に仕立て上げたというのです。いわばジャーナリズムとしての浮世絵でもあると原信田氏は記します。
そんな難しいお話しを抜きにしても、浮世のデフォルメは写真の構図の勉強になると思いました。
(hill)
0 件のコメント:
コメントを投稿