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2018年6月6日水曜日

東海道を歩く (13) 濱松~白須賀    大坪正和


 
  
濱松宿

 徳川家康が天下取りの礎を築いたことで、別名「出世城」と言われる浜松城がある。静岡県で最も人口が多い市。以前は、全国で一番面積が広い市でもあった。第2次世界大戦で、アメリカ軍の艦砲射撃を受け、すべてを焼かれてしまったところで、静岡以上に東海道の痕跡はない。小田原や駿府、掛川のような城下町は、城を迂回する形で街道が通っていたので、曲がり角がいくつもあったが、濱松は城が街道からは離れているので、曲がり角はほとんどない。
 濱松を出てしばらくは大きな通りを歩くので足早になるが、旧道に入るとゆっくりと景色を楽しみながら歩く。ほどなく旧可美村に着く。
 

数年前までは、周囲をまるごと浜松市に囲まれていた「独立国」みたいな所だった。なぜそんなことができたかというと、ここが自動車会社「スズキ」の本丸。企業城下町だからだ。街道からは本社工場はちらとしか見えないが、確かにスズキの車が多い。



 舞阪宿

長くまっすぐな道を進むときれいな松並木が見えてくる。磯の香りも風に乗って漂ってくる。

浜名湖が近い。美しい松並木で、夏の終わりながら暑さをしのげるし、美しい。

宿の外れには街道筋で唯一現存する脇本陣がある。江戸時代の建物そのままに残っている。見学も無料でありがたい。

脇本陣のすぐ先が浜名湖で、渡船場跡がある。東海道は船で渡った。


浜名湖は元々、淡水湖。江戸時代の大地震で海とつながった。そこを「今切れ口」といい、現在は浜名湖大橋が架かっている。

江戸時代からの名所の弁天島を歩く。今はロックフェスで若者が集う所に。



新居宿

 東の箱根、西の新居と言われ、東海道でも特に厳しい関所がおかれた。新居は舞阪から船でそのまま関所に着く。現在は埋め立てられて内陸になってしまったが、昔はここまでが海だった。重要な関所の宿場町で、新居は大いに賑わったそうだ。現在も残る料亭の跡や宿屋の跡が往時をしのぶことができる。

新居宿を出ると、またまっすぐ西に向かう。冬は「遠州の空っ風」に難儀したことだろう。




白須賀宿

汐見坂を越える。白須賀宿に入る。元々は汐見坂の手前にあったが、大地震による津波で全壊し、宿場ごと坂の上に引っ越したそうだ。白須賀宿を抜けるといよいよ静岡県から抜けて愛知県に入る。地元とはいえ、静岡県は長かった。
県が変わると土も変わるらしい。愛知県に入ると赤土になるのだそうだ。

 

(つづく)








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