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2018年6月13日水曜日

東海道を歩く (14) 二川~赤坂    大坪正和







二川宿

国道わきをひたすら歩き、疲れが溜まったころに旧道に入ると突然旧街道の家並が現れる。ほっとすると同時に俄然元気が出てくる。黒塀に連子格子の窓と黒瓦は目にもやさしい。
「味噌溜」は醤油のこと。旧街道のすぐ横を国道1号線、JR東海道線、新幹線が通り、時代が絶えず動いていることが伺えるが、一本脇の旧街道だけは時間が止まったようにひっそりしている。




吉田宿
現在の豊橋市中心だが、ここにも旧東海道の面影は少ない。豊橋は路面電車があり、停留所の名前に名残が見られる。ここは「札木」。


御油宿

豊川を渡って御油宿へ進む。季節は秋。祭りの季節でどこもにぎやかだ。途中の寺には芭蕉の句碑も残る。
珍しい「太鼓屋さん」があった。しばらくガラス越しに店内を見ていた。
東海道を歩いていて気が付くことに、今でも「米屋」、「酒屋」、「糀屋」が多く残ることがある。特に愛知県に入ってからは「味噌」、「醤油」の工場が多くみられる。大豆の生産が盛んだったようだ。
姫街道の道案内があった。「入り鉄砲に出女」に厳しかった東海道を嫌い、浜名湖の北を迂回してでも関所を避けた人たちが通った街道だ。磐田見附宿まで続く。
弥二さん、喜多さんが狐に騙されたところ。今でも立派な松並木が残り、国の天然記念物に指定されている。お昼に「味噌煮込みうどん」を食べた。もちろん、八丁味噌。



赤坂宿
松並木を抜けたところが赤坂宿。以前は御油宿と一体だったようで、ずいぶんにぎわっていたということだ。

東海道を歩こうと思ったきっかけは、この宿場にある「大橋屋」に泊まりたかったから。

残念ながら日本橋を出てすぐ、一昨年の3月で廃業してしまった。江戸時代からの建物をそのままに今日まで営業を続けてきただけに、残念としか言いようがない。

赤坂宿を抜けるとまたしばらくは国道1号線を歩くことになる。この辺りは、東名高速道路、国道1号線、旧東海道、名鉄が寄り添うように通っている狭い谷あいを抜けて行く感じ。数年前までは、東名高速下り線の渋滞名所でもあった。当然、宿場を離れると旧道の面影はなくなってしまう。そんな時に見えてきた名鉄車庫。普段見慣れない車両がたくさん並んでいる。

(つづく)

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