だいぶ日が傾いてきた頃、やっと水口に着いた。亀山から約30キロ。一日の行程としては過去最長の距離を歩いた。
しかし、まだ今日のうちにどうしても訪ねたいたいところがある。大岡寺(たいこうじ)。私が東海道を歩こうと決めた理由の一つが、赤坂宿大橋屋に泊まりたかったこと。これは夢かなわず。もう一つが大岡寺で芭蕉の句碑を見ること。
今までにも多くの芭蕉句碑はあったが、この水口で詠んだ「命二つ なかに活きたる 桜かな」の句にふれたかった。「野ざらし紀行」に、20年ぶりに故郷の友人の服部土芳と再会した時の句だ。命永らえて二人またまみえることができた喜びを詠っている。二人の間には桜が生き生きと咲いている。桜には少し早かったし、20年ぶりの友人もいなかったが、こうして大学卒業後も縁切れることなく拙い文を載せてくれている研究会に感謝するとともに、残り僅かになった教員生活の中で送り出してきた教え子たちの行く末に幸多かれとねがうばかりだ。そんな感情が今回の旅の出発に背中を押した。この句は少し感傷的だが、ずっと大切にしてきた句だ。
蛇足ながら、芭蕉は西行にあこがれていた。小夜の中山にあった西行の「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり佐夜の中山」へのオマージュであることは言うまでもない。
水口宿は「三筋の街道」が特徴的だ。街並みもなんともしっとりとしている。三筋のはじまりと終わりにはからくり時計がある。
6時過ぎにようやく宿に到着した。翌日7時から歩き出した。朝日に照らされて水口の家並が美しい。
水口城下の曲がり角にある力石が大切にされていた。
宿場を出ると、かなり遠くまで見通せるまっすぐな道になった。路傍のお地蔵さんも春めいた陽気に微笑んでいるよう。
野洲川にあった横田の渡し跡。三雲城跡は猿飛佐助縁の城。
この辺りは天井川がいくつかあり、隧道をくぐって街道が進む。立派な家が並ぶ。
石部宿
弁柄格子の家が多く立ち並んでいる。京都が近づいている。田楽茶屋跡。
この時期に田が青々としているのは麦畑。ほとんど途切れることなく屋号を掲げた家が続く。古い酒屋さんも風情がある。家康も飲んだと言われる和中散本舗。
近江富士がきれいに見える。肩かえの松。手原にあった神社の石碑。この辺りは栗東になる。馬の町だ。
東経136度の子午線がこんなところを通っていた。それにしても立派なお屋敷が並ぶ。ヒョウタン屋。田楽屋。粋な酒屋。
草津宿
草津に着いた。草津は東海道と中山道の分岐点として栄えた。「草津」という名も、古くから宿駅で使用した牛馬の生産地で、牧草地が広がっていたところから来たのではないか。だとすれば、あながち中央競馬会の栗東トレセンが近いのも偶然ではないのかもしれない。途中に使役牛馬の養老施設跡という碑も見かけた。街道とともに、牛馬とともに生きてきた町ではないのか。日は高いが2日間で50kmを歩いた。少し足も痛くなってきた。
後は「近江の春」をゆるゆると進むとして、今日はここまで。
(つづく)
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