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2018年8月8日水曜日

東海道を歩く (22) 草津~大津    大坪正和

草津駅前 うばがもちや
 
 草津~京都
 長かった東海道の旅もいよいよ終わる。面白がって歩き出したものの、暑さにめげて、足の痛みに耐えかねて、何度もやめようとも思った。考えようによっては、何年かかってもいつかは着くだろうくらいの気持ちならば、そんなに苦痛にも思わなかったろう。これは性格だから仕方がないが、自分にノルマをかけて呪縛に悩みながら憑かれたように前だけを目指す。次第に楽しいはずの旅が「修行」になってしまう。次の宿場に着くことだけが目標になってしまうのだ。損である。だから、最後ぐらいは楽しんで終えたかった。
石山寺 月見亭


 
 いつのころからか、旅の最後は満開の花を見ながらと決めていた。運よく今年の春は少しだけのんびりとやってきた。年度初めは忙しいが、何とか仕事をやりくりして4月のはじめと宿を取り出発した。
  草津は中山道との分岐点。多くの旅人で賑わったところだ。
 ここには現存する本陣跡としては最大級の「田中本陣」が残る。大名が宿泊した宿だけに、上段の間もありなかなか見ごたえがあった。
 本陣跡からはしっとりとした街並みを進む。琵琶湖の近くには来ているはずなのに、なかなか湖の気配がしてこない。海とは違い、潮風がないからか、鼻が利かないからなのか、湖岸の雰囲気がしてこない。

  煙だし屋根がある家
 草津に入るまで見かけなかった、天井に煙りだしの小屋根を乗せた屋根を見るようになった。家のなかを見てみたくなった。
  瀬田の唐橋に着いた。毎年、琵琶湖マラソンを見ていた景色だ。今渡ってみると大した感慨はないが、なんとなく音の響きが異国情緒をさそう。きっとできたころはハイカラな橋だったのではないか。この辺りまで来るとさすがの「近江の春」を感じさせる朦朧とした雰囲気がある。

石山寺
 せっかくなので、少し寄り道をして石山寺に詣でることにした。 
 
  紫式部が「源氏物語」の着想を得たところとされ、本堂の一角には紫式部の部屋まである。桜がきれいだ。
 大津市内に入り、今井兼平の墓所とある看板を見ながら進むと、近江八景の一つである「粟津の青嵐」あたりで琵琶湖の湖岸がすぐそこに見えてくる。またまた寄り道をして、春霞の琵琶湖を楽しむ。最近では虫が湧いて困っているとか。ニュースになるくらいで、生活にも支障をきたしているらしい。
 
 大津宿にも昔の風情を残す家並がある。街道沿いの亀屋廣房。
 名物は「兼平餅」。なぜ、「義仲餅」ではないのだろうという疑問が湧いてくる。
 大津城が近くに見えるようになってきた。…と思ったのは勘違いで、大津市膳所市民センターの建物上部が天守閣風に作られていたのであった。小田原のういろう屋といい、ここといい、本物のお城より立派なので、惑わされるのであった。それにここは膳所。勘違いするなら、大津城ではなく膳所城でなければならぬ。
 この辺りの家には玄関横に「ばったん」がある。いわゆる、跳ね上げ式イスであり、用事があるときだけ腰掛けになる。よく考えられている。

 義仲寺
 木曽義仲と芭蕉の墓が並んで立つ。
 義仲の墓の横に葬ることは、芭蕉の遺言だったようだ。東海道には芭蕉の句碑がやたらに立っている。誰もがよく知る句から初めて耳にする句までさまざまだ。
 墓の横には「旅に病んで」の辞世の句。芭蕉の人生を追いかけてここまで来た気がする。そういえば、源氏にまつわる史跡もたびたびお目にかかった。
境内のお堂には伊藤若冲の天井画もある。

大津事件
 
 
 明治時代、ロシア皇太子ニコライが襲撃された場所が宿場の中にある。この事件を契機に日露戦争へと突き進んでゆく。

花冷えの大津宿に宿を取る。
 
 
(いよいよ次回が最終回)

 

 

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