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2014年3月9日日曜日

旧川本家


 前回の「大和な雛まつり」に関わって、また歩いてきました。
 大和郡山市洞泉町にある元遊郭。現在は大和郡山市が所有しているらしいですが、木造3階建て。耐震対策がクリアできていないので、通常の建物のように使えないのだそうです。
 「大和な雛まつり」。町中で雛人形を飾りましょうというイベントで、元遊郭にもたくさんの雛人形のセットが飾られているという話を聞いて、尋ねてみました。入場は無料ですが、入り口でサインをしなければ入れてもらえません。要は、建物の中で事故が起こっても文句は言いませんとサインするわけです。


 最初の部屋には「川本楼」と襟文字の入った法被。こういうのを着て、客を迎えていたんでしょうか。中庭の奥には、風呂の跡らしき部屋とその向こうにはトイレ。昔風な扉ではありますが、個室を覗いてみると現代の洋式トイレになっていました。3階建て部分には2階へあがる階段が三つ。何らかの使い分けがされていたのでしょうが、素人が覗いたくらいではよくわかりません。2階はぐるっと一周できる廊下、これが結構狭い。人がすれ違うには少々窮屈な印象ですが、もとより、そんなに人がウロウロするような商売でもないのかも知れません。


 廊下と表の道路の間にあるのは3.75畳(とガイドさんが説明していました)の個室がたくさん。3階とあわせて3.75畳の部屋が十いくつあるらしいです(3階には上がることはできませんでしたが)。お布団一組でほぼいっぱいの広さ。部屋をよく観察してみると、引き戸の上の壁には大きな穴が作られていいて、空気も声も自由に行き来する仕組み。これもガイドさんの説明を盗み聞きしてみると、中で悪さをできないようになっているとか。




 遊女たちは格子の外をどんな思いで眺めていたのかと、勝手にセンチメンタルな気持ちになります。各小部屋の前には、電気メーターがつけられていたり、「NHKラジオ」のシールが張ってあったり、と生活感もたっぷり。ある部屋には現皇太子の11才のころの写真(雑誌の切り抜きなのだろう)が張られたままになっています。遊女はこういう写真に生きる希望をつないでいたのかと…。これがまったくの早とちりです。帰りがけにガイドさんに聞いたら、売春防止法以来、この手の商売ができなくなった。そこで、下宿屋として、間貸しをしていたというのです。そりゃそうです。売春防止法の完全施行が1958(昭和33)年。皇太子が11才になるのは1971(昭和46)年ですから、遊郭の営業は終了していなければなりません。電気メータもNHKラジオのシールも、下宿時代の遺物でした。早とちりはいけませんね。

 見学に来たおじさんにふたつ教えてもらいました。二階から三階へ上がる階段は広いほうと狭いほうのふたつがありますが、広いほうを大階段といって、メインストリートだというのです。今は「大和な雛まつり」ですから、ひな壇として、たくさんの人形が並べられています。もうひとつはガス灯のことです。ずっと昔は、明かりとしてガス灯が使われていたというのです。電気よりもガスのほうが時代が早いはずですからそりゃそうでしょうが、それで思い出しました。一階、玄関から上がった部屋の鴨居部分に、ガス栓のようなものがあって、何だろうと思ったのですが、あれがガス灯の名残なんですね。明治時代には確実にこの建物はあった。すごい歴史の建物の中に私は今います。


 表に出てボランティアガイドの方と少し話しました。私よりも年上と思われるこの女性はこの界隈で大きくなったそうです。この川本家よりももっと格式のある遊郭があったけれども、火事で消失したとか、郡山の呉服業界を支えていたのは、遊郭だったとかいう話を教えてくれました。意外だったのは、この遊郭跡の保存に積極的なこと。女性なのにね…と思うのは男性の偏見でしょうか。
 表から川本邸を眺めると、三階までびっしりと格子で覆われた立派なお顔。そして白い行灯が連なっています。きれいな景色です。

 
(hill)

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