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2014年12月30日火曜日

年中無休


 お正月が近い。
 このことに気づいたのは夏のことなのですが、ちょうどその問題の日が近づいてきたこともあって書きます。
 大阪市大正区のイケアで見つけた、「年中無休」という表示についてひっかかっています。その後に書かれている(1月1日を除く)という部分です。
 1月1日を除くのであれば、年中無休とは言わない、言えないのではないか。だって、「一年中休みなし」のことを年中無休というはずなんですね。想定外の休業はともかく、初めから1月1日を休みにすることを決めてあるのに年中無休はおかしい。
 その下に英語で書かれているもののほうが、ずっと実態に合っているように思いませんか。
 「Opens daily (Closed January 1st)」「毎日オープンしているけど、1月1日は閉めるよ」って感じでしょうか。そうですよね、「年中」という言葉を使うからややこしいんです。英語表記のように「毎日営業(1月1日を除く)」と書いてくれれば疑問をもたなかったのです。このブログの記事にもならなかった。   (^_^;)


 気を取り直して、「年中無休」で検索をかけてみたら、同じようなことを考える人がいるのですね。ヤフー知恵袋に私と同じような質問がありました。
 ベストアンサーとされた回答には、年中無休は「ほぼ365日営業します」(下線はhillが引きました)という意味なのだと記されています。つまり、イケアの表示は正しいというわけですね。
 そこで国語辞典。新明解国語辞典第4版を開いてみました。「年中」の項に、「そうでない日がないくらいいつも決まってそうすることを表す」(下線はhillが引きました)とありました。1日くらいの例外は許されるわけですね。
 とすると、私の年中無休という語への理解がまちがっていたわけです。
 結論はとても恥ずかしいところに落ち着いてしまいました。(TvT)

 今年一年、お世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。みなさん、どうぞよいお年を。

(hill)

2014年12月23日火曜日

朔旦冬至

 昨日は冬至でした。ゆず湯に入って、なんきんを食べてという方は多かったはず。
 昨日の冬至は冬至の中でもスペシャルな冬至で、朔旦冬至(さくたんとうじ)というのだと友人が教えてくれました。 その友人がいうには、新月と冬至が重なる日なんだそうです。月の復活と太陽の復活が重なる、大変めでたい日なんだとか。これが19年に一度しかやってこないという話です。
 19年前。前回は1995年ということになります。この年、私は何をしていただろうと考えてみます。あの学校に転勤した年だったなと思い出していました。
 そして次回はというと、19年後ではなく、38年後に朔旦冬至がやってくる。説明書きを読んでも私には難しすぎて理解できないのですが、19年後には冬至の日と新月の日が数時間のずれで日を跨いでしまう(同じ日にならない)ので朔旦冬至にはならないのでそうです。38年後、うーん、残念ながらあちらの世界にいそうです。だからどうということはありませんが、私の人生最後の朔旦冬至か。静かにもの思いをしたい。
 ところが。朔旦冬至の昨夜は学校の忘年会。にぎやかに過ごしてしまいました。こともあろうに、ゆず湯にも入らず寝てしまいました。朝から大慌てで入りましたよ。
 今日の夕方、西に向かってクルマを走らせていました。太陽が沈んだ後の山の端に、細い細い月が見えました。信号待ちをしている間にその二番目の月は早々と山に隠れていきました。


(hill)

2014年12月7日日曜日

教員免許状更新講習

 
 衆院選です。衆院選というと、おそらくこの国の教員たちは同じことを思い出すことでしょう。今の総理大臣が前回総理だった時に教員免許更新制が導入されました。その直後政権が変わったことで、この制度もやがて立ち消えになるだろうと、全国津々浦々の職員室では希望的観測をしたはずです。ところが、希望的観測は希望的観測のまま、また政権が変わって現在に至ります。
 この間、県教育委員会から、「更新講習終了確認証明書」が送られてきました。そのコピーを取って学校に提出したので、私のこのたびの教員免許状更新講習の一連の作業は終了ました。私の一生で最初で最後の更新講習は終わりです。

 教員免許状更新講習。8月に5日間、大学に通いました。
 5日間30時間の講義を受けて感じたことを記します。あくまで私が受けた印象です。
 まず、受講者にとっても講師にしても、この講習が他からおしつけられたという気分がどうしてもぬぐえないこと。感情抜きに受講しないことにはオマンマ食い上げになってしまう。「こんな勉強をしたい」「こんな講座を待っていた」という動機ではないのです。もちろん、3日間(18時間)は自分の興味ある講座を選べるのですが、それとて受講しなければ免許状が失効してしまうというスタートなのです。
 その気分は残念ながら講師先生も同様のようです。「政権の都合により、ご苦労さんですなぁ。お気の毒様です。でも、私たちもそうなのですよ。他にもやらなきゃならない仕事もたくさんあるのに、講習をしなければならないのです。たいした手当てもないのに。」こういう講師の本音?を漏らした方もありました。何年か前に受講した同僚も同じようなことを聞いたと言っていました。
 若い講師先生は大変だなと気の毒に思いました。自分よりずっと年上の不機嫌な顔をした受講者がたくさん座っている。「緊張する。」とおっしゃった講師もいました。
 講師先生は学生に半年か一年かかって講義する内容を、80分や90分で終えなきゃならないというのもプレッシャーだったようです。みんな「時間が足りない」とおっしゃるのです。


 二つめに、受講者の差異をどうするのかということ。必履修の「教育の最新事情」(12時間)には、幼稚園から高等学校、特別支援学校に勤務する教員までが受講していますが、やはり現場によって、響く部分が違うはず。そんな話を聞いてもなぁと思う部分も当然あるわけです。隣に座っている教員と話し合いを持てという時間もあったのですが、こちらは高校、先方は小学校で、ベースが違うのでなかなか議論にならない場面がありました。国語関係の講義では中学校、高校の教員が受講者です。高校の中でも現場はそれぞれであるはず。まして素材が古典になれば、中学校と高校では大きな差があると思うのですがどうでしょうか。
 三つめに各講義の後、あるいは一日の講義のあとに行われる終了認定試験というのが難モノであること。テストを受ける前に、講義内容を整理しておきたいと思うのですが、その時間がありません。講師先生はできるだけたくさん伝えたいと思われるようで、時間一杯までしゃべって、「はい。というわけでテストに入ります」となるので、整理・定着ができません。講義内容の確認テストならまだそれでもいいのですが、「講義内容を踏まえて、あなたの現場ではどんなふうに展開するかを書け」なんて出題されても10分では答えられません。
 もちろん、講義を一生懸命に聞いてメモを取ってはいるのですが、どうしてもテストをクリアすることが目的になってしまいます(安くない受講料を払っていますしね)。自分の興味ある部分で聞くことができないのです。テストは資料を持ち込むことが可能です(1時間だけ不可の講義がありました)ので、ひたすら資料に書き込みばかりになります。テストが終わったら頭の中をオールクリアして、次の講義に備えなければなりません。講義をいい加減に聞いたり、寝る受講者がないようにというテストだと思いますが、これも良し悪しだなと思います。
 そして、免許状更新講習に落ちる人がほとんどないらしいというのも怪しい。講師先生が、何か書いてもらわないと困るとおっしゃるのも不思議です。
 いえいえ、不合格にならなくてよかったと、胸をなでおろしています。おそらく、半分目をつむって採点してくださったのでしょう。ありがとうございました。


(hill)