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2017年1月26日木曜日

生駒山から信貴山へ (2)



 ケーブルカーを下りた時には、こんな天気の日に山歩きをする人はほとんどいないだろうと思っていたのですが、それなりの人たちが歩いています。中でも目立つのは私よりも先輩年代の夫婦らしき二人連れ。いでたちも背中の荷物もこちらとは大違いで本格的。数日間の遭難くらいなら生き延びられそうです。
 鳴川峠まで下りてまた登ります。10年前にもすでにあったきのこのお家。
 
後からやってきた若い男女3人のグループがお家の写真を撮って、先に行ってしまいました。きのこのお家の横を通って、西側に開けた場所から大阪方面を見ると、今日は風が強いせいでしょう。汚れた空気が流されて、あべのハルカスも港大橋も、さらにその向うに明石海峡大橋までよく見えます。
 鐘の鳴る展望台も10年ぶり。風景に大きな違いは感じませんでしたが、階段の上にたくさんぶら下げてあった、愛を誓うという鍵が下に移動してありました。フランスではセーヌ川にかかる、ある橋にたくさん鍵が掛けてあって、世界中のカップルたちが愛を誓うというのがあり、重さに橋が耐えられないので鍵をぶら下げるのが禁止になったという数年前のニュースを思い出しました。展望台からは神戸辺りに雪が舞っているのが見え、私たちの頭上も強い風で雲が東に押し流されています。じっとしているのには少々寒いですが、歩くにはちょうどいい感じです。
 やがて十三峠。ここで、伊勢物語の「筒井筒」、「男」が高安の女に会うために通ったという「業平道」クロスします。昨年だったか、私は平群町の竜田川駅から八尾市の神立まで、業平の気分で歩いた時にこの「業平道」を通っています。10年前はここから梅田、HEP FIVEの赤い観覧車が見えたのですが、今日はなぜか見えません。
 同行者たちはみんなスマホの電池の持ちが悪いといいます。電波が見つからないので基地局を探すのに電力を消費するのではないかと推測しています。気温が低いことも原因でしょうね。この時代に、電波の届かないところが大都市のすぐ近くにあるというのが愉快です。
 そしてスカイライン横にある宇宙船の着陸ポートのような、大規模な無線施設。信貴VORDMEというらしいですが、私にはむずかしいことはわかりません。とにかく、大阪空港に着陸する飛行機に向けて電波を出しているらしい。ところが、検索をかけるとそろそろこの施設もお役御免だという。次回、このコースを歩く時には、もう撤去されているかも。
 宇宙念波研究所の横を通って、そこからちょいと寄り道をすれば、487.4mの高安山山頂。ここからは朝護孫子寺に向けて、下っていくだけです。実はここからが太腿にくるところなんです。ここまでの疲労の上に、下り道が続くのはとても辛い。ところが今回は割に平気です。歩く速度がゆっくりだからかも知れません。しかし、痛いというほどではないのですが、なんとなく右膝に違和感が。関節の潤滑油が切れたような感じです。
 弁財天の滝の手前の急な石畳はやはり凍っていました。コース全体を通していえば整備が進んでいるという印象です。10年前よりずっと歩きやすくなっています。
 朝護孫子寺を過ぎて参道を下って、信貴山ケーブルの線路跡の遊歩道を下ります。ケーブルカーを牽くくらいですから斜度はかなりあります。時折、後ろ向きになって歩くと太ももが楽です。

  「昔勤務していた学校」の横をかすめて、信貴山下駅へ到着。17時前です。生駒山上から6時間かけてゆっくりここまで歩いてきたことになります。駅の前でOBOGのみなさんにお礼を言って改札口を潜りました。10年ぶりのこのコース。とても楽しかった。

 この日から約10日が過ぎています。翌日以降、足の筋肉痛はほんとどありませんでした。ただ、右ひざの違和感がまだ少しだけ残っています。10年前まではこんなことはなかったのに、あかんもんですね。
  
(hill)
 

2017年1月25日水曜日

生駒山から信貴山へ (1)



 なつかしきは学校行事。昔勤務していた学校では、この季節に生駒山から信貴山を経て学校まで歩くという行事がありました。もういっぺん歩いてみたいと、冬が来るたびに思いながらひとつ年を取り、またひとつ年を取り…数えてみたらその学校を出てから今年で10年。
 世間ではセンター入試の2日目。全国的に寒波に見舞われ、受験生は時間に余裕をもって会場に向かうようにというニュースが流れた日でした。自宅の周りでも屋根が雪でうつすら白い。どうしても歩きたくなって、生駒山は積雪があるかもと思いながら電車に乗りました。
 山歩きをする気になったのは、雑誌「BE-PAL」を何十年ぶりかに購入したからかもしれません。それも2回も。かつての似非アウトドア派に何十年かぶりに戻ったということかもしれません。
 
 生駒ケーブルの力を借りて生駒山上へ。そこから南へ歩いて信貴山を目指し、朝護孫子寺の境内を通って、近鉄信貴山下駅を目指すというルートです。記憶が正しければ14kmくらいのコースだったと思います。
 生駒ケーブルの車両には山歩きをすると思われるいでたちの約10人が出発を待っている模様。中には二人ほど子供もいます。その中の一人と目が合いました。「何してんの?」「それはこっちのセリフ」 その、「昔勤務していた学校」で一緒だった先生でした。先生いわく、この車中の客はみんな同行者で、「昔勤務していた学校」の卒業生とそのお子さん。ある運動クラブの同士で、そして先生はそのクラブの顧問だったというのです。私がその学校で勤務するよりずっと前の卒業生だそうで、私はまったくの初対面です。かつての学校行事に倣い、生駒山上からかつての母校と信貴山下駅を通過して王寺駅まで歩くといいます。驚き!結局、ケーブルカーの車中の人は全員同じコースを目指しているということですね。この人たちと一緒に歩くことにしました。
 11時前。ケーブルカーの終点、生駒山上に着きました。おそらく氷点下だと思われますが、かつて駅舎に取り付けてあった温度計がどこを探してもありません。私たちの一行のほかにはほとんど人影もありません。なにしろ生駒山上遊園地は現在冬期休業中。山歩きをする人以外はここまでやってくる理由がありません。雪は、積もるというほどはありません。きっと風が強かったので、雪が付かなかったのでしょう。
 歩き出して気づいたのは、宇宙科学館が取り壊されて更地になっていたこと。円形のこの建物は麓からもよく見え、テレビ電波の送信塔と合わせて生駒山上のシンボルのような気がしていたのですが、そのうちの一方がなくなっていました。ちょっと寂しい。
 晴れてはいるものの雲の動きが早い。山上からどんどん下って、暗峠の下。ここから登って府民の森。大原山ぎんしょう広場で昼ごはん。陽ざしがあるほうが暖かいだろうと、東屋ではなく地べたに座り込んだのに、雲に覆われて風に吹かれるばかり。私たちの一行ではない男性が一人、三脚を立てて何かをしています。近づいて尋ねたら、無線の受信をしていて、これはアンテナだと震えながら言います。いろいろな趣味があるのだなと感心しました。やはり氷点下のはず。体が冷えてきたころに、OGから「コーヒーをどうぞ」と差し入れをしてもらいました。紙コップにスティック状のインスタントコーヒー、ポットのお湯を注いだだけなのに、このコーヒーがおいしかったこと。指先もお腹も温まりました。

(hill つづく)