案内板で、宮の渡し公園に面した道路は付近が整備された後の道路であることがわかったので、それより一本北側の道路を歩いてみました。北の突き当りの一角。何かありそうです。「旧魚半別邸」という文字が気になったので、検索してみると、「魚半」という料亭が昔あって、その建物が現在に残っているものだということでした。洋館と和館、そして、レンガ造りの倉庫があるということですが、そういや、洋館から道路を隔てた南側に古いレンガ造りの蔵のようなものも見かけました。そして先ほど記した、明治29年に料亭として建てられたという、現在高齢者福祉施設になっている料亭というのも、「魚半」。同一の料亭だったわけです。つながった! 結構大きな料亭だったと思われます。
七里の渡しの時代はここから桑名まで27km、4時間の旅。干潮時は沖を走らなければならないので十里になったということですが、それは伊勢湾の、ここから西側がいかに遠浅だったかということでしょうね。木曽三川が土砂を運んでくることが原因でしょうか。
さすまたの西側のほう、堀川沿いにしばらく歩いてみました。看板で見つけたのが「ハツリ」という言葉。ずっと昔、高校時代に土木関係のアルバイトをしていたら、ハツリ屋さん(どう表記するものかはわからずじまい)という言葉に出会いました。すでにあるコンクリート等を壊していくことを専門とする、いわゆる解体業者のことでした。いえ、解体業者と括ってしまうと私のイメージとは少し違う。道路工事などで時折見かける、両手でもつ大きなドリルでダダダダと路面をはがしていく感じ、あれが私の中の「ハツル」イメージです。工事関係者の中でも、あまり一般人と接触する機会のないグループのようで、それ以降ハツリ屋さんに出会ったことがありません。また、「ほっぺたをハツル」という使い方も時折聞きます。それで、私は何十年もハツリという言葉は関西地方で使われる、いわゆる方言だと思い込んでいたのですが、少なくとも名古屋市にこの言葉がある。辞典を引いてみたら、「斫り」とか、「斫る」と書くそうで、全国で通用する言葉であることをもこの年でやっと知りました。
堀川をずっと遡っていけば名古屋城。お城をつくるための木材を、堀川を使って運んだということです。それが元になって、堀川沿いには白鳥貯木場という水中貯木場ができた。江戸時代には木曽の材木を筏にして木曽川を下り、伊勢湾を経由してこの貯木場に運んだそうですから、逆七里の渡しという感じでしょうか。
今はこの貯木場は埋め立てられて、名古屋国際会議場や名古屋学院大学、白鳥庭園になっています。伊勢湾台風では、貯木場の材木が高潮で流されて、家屋を壊すなどの被害も大きかったと、さきほどの宮の渡し公園の案内板に書かれていました。
もう一度、宮の渡し公園に戻ります。料亭「魚半」の建物は現在、堀川まちネットというNPO法人が拠点としているようです。このNPO法人が、東海道七里の渡し船旅学習会といって、熱田、桑名間の七里の渡しを現代につなげているのです。不定期で七里の渡しが運行されると、どこかで聞いたことがありましたが、それをおこなっているのがここです。現代の七里の渡しに乗ってみたいものです。
(hill)
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