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2014年10月26日日曜日

北海道だより vol.18  松本 周




 ①もう、こんな季節になりました。

 ご無沙汰している間に、もうこんな季節になってしまいました。今年は十年に一度という紅葉の当たり年らしいです。毎年この時期は関西へ戻っていて見逃していたのですが、今年は見ることができました。その代り、舞い散る落ち葉や大量発生のテントウムシやカメムシとの闘いの日々です。どこから入ってくるのか、カメムシやテントウムシがリビングや廊下をわがもの顔で闊歩しているではありませんか。確保するためのガムテープの減り方がハンパじゃありません。
 ②紅葉の神仙沼にはシニアのハイカーがひっきりなしです。

 秋を体感しようと連れ合いと神仙沼(我が家から車で15分くらい)へ行ってみました。駐車場からハイマツ、アカマツ、エゾマツなどの原生林に囲まれた木道を歩くこと30分、湿地帯が目の前に広がり、その先にニセコ山系で最も美しく神秘的と言われる神仙沼があります。久しぶりのハイキング疲れました。
 ③やっと見つけたナイアガラ。

 秋はやっぱり「味覚の秋でしょ」というので、某テレビ局の朝ドラで観光客が押し寄せているらしい余市へ果物狩りに行ってみました。リンゴとナシとブドウ、おまけに栗まで食べ放題という観光果樹園へ行ったのです。ところがナシは終わっていて、栗はまだ早いということでリンゴとブドウ狩りだけ。ブドウはキャンベラスとナイヤガラが食べごろだということで、目指すナイヤガラの棚は一番奥。丘陵地帯に広がるキャンベラスの棚を中腰で通り抜けるのに一苦労。一つ丘を越えてやっとナイヤガラの棚に到着。腰をかがめて歩き回ってもブドウの房は見当たらず。10分以上歩き回ってやっと残り福の一房発見。味は格別でした。いっぱいぶら下がっているキャンベラスは今一でした。リンゴはいろんな種類があるのですが、採っていい畑のは手の届かない上の方しか残っていません。大きな脚立があったのでエンコラ運んでよじ登りなんとかゲット。美味しかったけれど、2個食べたら満腹になって残念ながら損した気分でした。
 ④選定作業中です。中国人のお姉さんでした。

 深まりゆく秋を前に感傷に浸る間もなく2~3日前から雪虫が飛び始め、いよいよ冬のシーズンになりそうです。ついに一昨日(19日)部屋の暖房を入れ、車のタイヤを冬用に付け替えました。おかげで昨日からは腰痛です。公共施設や早いお宅では10月初旬から暖房が入っていたのですが、節電のため(本当は電気料金節約のため、北電は二回目の値上げをします)セーターで頑張っていましたが、とうとうスイッチオン。


⑤美しすぎる川平の海岸

 冬用タイヤと言えば、昨年は気づかなかったのですが、8月の下旬からテレビCMが始まりました。「いくらなんでも早すぎるんでないかい」と思いながらこんな所へ行っちゃいました。テレビや雑誌でよく紹介されているアレ。水牛車で海を渡るというアレ。そうです西表島から由布島へ海を水牛車で渡るという観光です。7月に名古屋にいる息子の家へ行ったとき、「8月末から石垣島へ行くけどどうする?今なら飛行機とれるよ。」と突然のお誘い。孫との旅行だし、ビールの勢いも手伝って後先考えずに二つ返事でOK。てなわけで、新千歳空港から中部国際空港経由で石垣空港へ日本縦断の旅へ。石垣まで行けば西表はすぐそこ。長年の夢をかなえた次第。
 ⑥白いハイビスカス。暑苦しくなくていいですね。

 ドピーカンの太陽の元きれいな海で泳いでいたら、いきなりのスコール。雷さんまでもれなくついてきました。暫くするとまた快晴に、さすが亜熱帯。ちょこっとオシャレにランチをしようと海の見えるカフェへ。そこの駐車場に白いハイビスカスが咲いてました。白いのは珍しいんだとか。因みに花言葉は「繊細な美」らしいです。
 次の日、水牛車に乗るためにフェリーで西表島へ。(ここまでくれば台湾もすぐそこなんだけど)マングローブの生い茂る川のクルーズをした後やっと水牛車の乗り場へ到着。馭者(馬じゃなく水牛だから間違ってるかな)のおじさんの島唄と涼しい海風、のんびりした水牛の歩調、もう少しでウトウトして海へ落ちそうに。なかなかいい感じでした。
 ⑦時間がゆったり流れる由布島




 あららっ、「沖縄だより」になっちゃいましたね。申し訳ない。暑い南国から北の大地へ帰ってみると秋の気配濃厚。朝夕ひんやり、周りは稲刈りとジャガイモ収穫の真最中。まだ9月なのにテレビではもうストーブのCMまで始まっていました。日本は広いんだとつくづく実感。
 ⑧全国の8割は道産のジャガイモらしいです。

 ⑨窓から見た裏山の景色。もうすぐ雪に埋もれます。
 今日は除雪機をメンテナンスに出しました。いつもお世話になってる札幌の自動車整備会社の社長さんが直々にキャリアカーで取りに来てくださいました。それも朝7時にです。もう一台除雪機を積んでおられたので、いったい何時に札幌を出られたのやら。おまけに助っ人が二人も同行でした。日頃仲良くしていただいている蘭越の方だったので、この社長なんて顔が広いんだろうとまたまたびっくり。いよいよ冬支度本番忙しくなりそうです。雪掻きに備えて腰痛対策もしなくっちゃ。

2014年10月22日水曜日

高桐院

 京都国立近代美術館のあとは、バスに乗って大徳寺へ行きました。大徳寺は初体験ですが、北大路からしょうざんまで歩いたとき、東側の塀に沿って今宮神社まで行った記憶があります。
 それにしても今日の観光客の多いこと。京都駅に9時前に着きましたが、観光客はお定まりのようにバスの1日乗車券を買い、列を作ってバスを待っています。外国人観光客も多い。紅葉の季節にはまだひと月ほど早いと思われますが、今でもこんな状態ですから、ひと月後はどうなるのかと余計な心配をしてしまいます。私も同じように1日乗車券(500円)を買いました。損得の問題よりも、私のようにバス乗車コンプレックスのある者には、乗っても降りても1日これ1枚!のほうが気分的に楽です。
 さて、大徳寺。塔頭がいくつもあるお寺です。大徳寺の中には庭園を公開している塔頭が三院、さらにこの時期に特別公開をしているところが三院あるようです。よくわからないまま高桐院という塔頭に入ってみました。


 山門から参道の雰囲気がきりっとしていて、歩いている間に気持ちが変化していくのがわかります。


 拝観の時間外に訪れてしまったのかなと思うほど、京都の町中の混雑とはまったく無縁な静かなお寺でした。いやいや、たまたま空いている時間なのでしょう。客殿(本堂)の廊下に毛氈が敷いてあって腰を下ろせる。紅葉には少し早いですが、それでも少し色づいた葉もあって、それはそれで風情があります。西に傾いたお日様の光が木々の間を抜けて苔の上に光を落としています。シーズンを少し外しているゆえ、とても静かです。気に入りました。
 ふと気づくと、観光タクシーの運転手が関東から来た客に説明をしています。運転手氏のメガネでは、ここはベスト5に入るお薦めのポイントらしい。みんな静かにしているのに、彼の声だけが客殿じゅうに響きます。さらに、客殿の「鳳来」と呼ばれる茶室では、開け閉めするなと注意書きのある窓の障子を開けたり閉めたりして解説、また掛け軸の説明をして警報を鳴らしてしまうなど、なかなかユニークな運転手氏でした。


 やがて静かになった茶室の障子には、木々の影が映りこんでいい感じになりました。


 私と同世代くらいのご夫婦。奥様がご主人に茶室について解説をしています。にじり口がどうだとか、蹲踞がどうだとか、水屋がどうこうとか。ここでは松向軒と呼ばれる茶室が見ておく値打があるのだそうです。炉が切ってあるけれども、炉は冬の間しか使わないとか…奥様は茶道の心得があるようですが、ご主人は私同様にさっぱりらしい。庭に降りて細川ガラシャの墓所を見て、再び、客殿廊下の毛氈に腰を下ろすと、隣はまた先ほどのご夫婦。聞くともなしに聞いていると、奥様は洋服でしたが、本当は今日着物で来るはずだったようです。他人事ながら、この風景の中でなら着物で来られたらよかったのにと思いました。


 木漏れ日は来た時よりもさらに長くなって、庭から毛氈の上に移動しています。そのご夫婦も帰ってしまいました。静かでいいぞと思っていたら、係の方が毛氈を片付け始めました。拝観は16時半まで。私も、高桐院を後にしたのでした。


(hill)

2014年10月21日火曜日

ホイッスラー展

 京都国立近代美術館で開催されているホイッスラー展に行ってきました。美術館なんぞに近寄るほど教養のない私が、この展覧会に行く気になったのはジャポニズムに大きく関わりがあるらしいということを知ったからです。

 ジャポニズム。西洋における日本趣味のことらしい。それで思い出したのは、日本に骨をうずめたポルトガル人、モラエス。彼は20世紀の初めごろから、本国ポルトガルに日本を紹介する文章をたくさん書きました。それに関わりがあるのかないのかはわかりませんが、西洋人の日本趣味というものを知ってみたいと思ったのです。
 この知識がどのくらい正しいかはわかりませんが、私が知っている浮世絵と印象派の関わりは次のようなことです。明治になって西洋の文明が入ってくると、日本人は自分たちの文化に自信をなくします。それで、陶器だの絵画だのを安い値段で西洋に売り渡してしまう。一方、西洋では写真技術の発明により、それまで安泰だった写実主義が揺らぎ始める。だって、まるで本物を見ているような絵を描いたところで写真にはかなわないわけだから。写実主義のあとにくる印象派の大きなヒントになったのが日本の浮世絵である。
 ロンドン万博(1862年)や、パリ万博(1867年、1878年)ではすでに日本の紹介がされていたそうです。1878年のパリ万博ではジャポニズムは大きな話題だったとのこと。


  ホイッスラー展では、全体が3つの章に分けられていて、第1章が人物画、第2章が風景画、そして第3章がジャポニズムになっていました。ホイッスラーの作品の中でも、人物の背景に浮世絵が描かれていたり、人物が日本的な小道具を持っていたりという作品がありましたが、もちろんそれだけでなく、浮世絵の構成をそのまま西洋の風景に置き換えたものや、構図としての発想を浮世絵に求めたものが多く紹介されていました。橋全体を描かないこと、船も全体を描かないのは、それまでの西洋の絵にはなかった浮世絵の手法だと紹介されていました。参考展示として浮世絵が隣に置かれていると、ほんに瓜ふたつなんて思う作品もあって、とても楽しい。別室の第4回コレクション・ギャラリーでも、ジャポニズムに関する展示が行われていて、浮世絵が大きく西洋の絵画に影響したものととして橋と船と木立と髪梳きの4つが取り上げられていました。


 (いいかげんな私のこと、ここまで記したことはあまり信用なさいませんように。)
 4階の窓からはすぐ隣に平安神宮の大鳥居が見えます。いい風景です。さらに、ここのトイレもさすが美術館と思えるくらい洗練されています。写真を撮ってしまいました。


 とても勉強のできた1日だと思ってはいるのですが、こんな私のこと、どうせすぐに忘れてしまいます。でも、たまには美術館に出かけて心を広くしなければならないなと思った次第です。

 京都国立近代美術館、いいところですね。

(hill)

2014年10月13日月曜日

十三夜と月食と


 台風18号と19号の間で、先週は光の話題が飛び交った週でした。ひとつは発光ダイオードの話題。ノーベル物理学賞に青色発光ダイオードの開発に関わった3人の日本人が決定したという話題。
 そして、皆既月食です。また月の話題になってしまいました。


 6日 20時35分
 その前に十三夜の月。6日が十三夜でした。

8日は雲も少なく、空を見上げるにはいい条件だったように思います。1日ずれて、9日が月食だったとしたら、満天の雲で何も見えなかっただろうと思います。9日夕刻、出張の帰りにバイクで走っていた私は少しですが雨に降られました。
18時47分

 18時47分

  ここしばらく、金星の太陽面通過だとか、皆既日食だとか、カメラを空に向ける機会が多かったのですが、今回も挑戦してみました。

  18時58分
 前の記事にも書きましたが、満月に近い月を撮影するのはさほど難しいことではありません。そこそこの倍率のズームレンズとスポット測光を備えているコンパクトデジカメならハードルは低いはずです。手持ちでも撮影できますから。

19時20分

  今回は、皆既月食で赤銅色になるという話ですが、その分暗いはずですから満月のように簡単ではないと思われます。
 月食が始まったころはまだ学校にいましたから、コンパクトデジカメで撮影しました。明るい月ですからとりあえず撮れました。
 20時18分 


 20時26分
  赤くぼんやりした月はコンデジでは難しいと思われます。帰宅して、一眼レフを取り出して三脚で固定、スポット測光にして、望遠レンズを取り付けて…、とはいうものの、望遠側が200mm(フィルムカメラ換算で300mm)です。クイックレリーズがないので、セルフタイマーでシャッターを切ります。赤い月もとりあえずは撮ることができました。
 20時37分

 
 翌日、撮れた画像をPCで確認していた気づいたこと。天王星らしき星が写っていました。月の右側、月2つ分ほど離れたところに、液晶画面のドット抜けのように光るものがあります。画像をスクロールすると一緒に動きますから、確かに天体でしょう。
 20時16分 画面右上の小さな光が見えますか?
 
 天王星だとすれば、地球から太陽までの18倍くらいの距離があるそうです。同じ1枚の画像の中にドット抜けのような星がいくつも写っていますが、それらが何という名の星かを調べる力が、私にはありません。よって、「私のカメラが捉えた一番遠くにあるものは天王星。その距離は約27km(太陽までを15千万km、その18倍)としておきましょう。

(hill)