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2020年2月26日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (23)


711028 棚橋正人
    

622日(木)コミージャス(Comillas)~ セルディオ(Serdio  15㎞ 

 コミージャスのアルベルゲは、2階のフロアに見晴らしよくベッドがずらりと並んでいた。二段ベッドでないのがありがたかった。町は海辺の港町。昨夜はレストランで野菜サラダを食べた。ひさびさの食事だった。点滴と薬のおかげで気持ち悪くはならなかった。このぶんなら大丈夫みたいだ。よかった!
 さて、無理をせずにボチボチ行きましょう。歩いていると、この町はなんだか他の町と感じが違う。広い敷地の中に古い建物がある。イギリス風の三角屋根のお屋敷。教会のような尖塔のある建物が塀のはるか向こうに見える。
3階建ての貴族の豪邸のようなのも見えてきた。よく見るとどれも結構凝った作りになっている。後から調べるとここは19世紀末、スペイン王侯貴族の夏の宮殿があった場所なのだ。キューバへの進出で莫大な富を得た侯爵がこぞって避暑のための別荘を建てた。それに、南米に渡った高位聖職者が5人も出た教皇庁立大学があったという。どうりで雰囲気が違うはずだ。

町を抜けて3時間ほど歩くとまた海が見えてきた。ここはどうやら湿地帯のようだ。北海道の野付半島で見たトドワラの景色が広がる。海辺の湿地に洋館という組み合わせはジブリの「思い出のマーニー」の世界だ。原作はイギリスだが映画の設定は北海道の海辺の町にしてある。ジブリのスタッフはロケハンでこの場所に来たのではないかと思う。
きれいな砂浜を右に見てサン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラの町に入る。サーフィンのスクールがいくつもある。ボードを抱えた新米サーファーがインストラクターに連れられてぞろぞろ海の方に歩いていく。ちょっとやってみたい気もするが、今回は「やりたいことリスト」に書き加えるだけにしておこう。
やがて入り江を渡る橋に出た。橋の欄干からおじさんが釣竿を出している。ここなら何か釣れそうだ。
道は高台をのぼり高速道路を跨いで牧場を抜け、続いて単線の線路も跨いでいく。

やっとセルディオのアルベルゲに着いた。まだ時間は早いが本日ここまで!まだまだ病み上がりなので無理はやめておこう。アルベルゲはこれといって特徴もなく、知り合いもいなかった。なんにも起こらない平和な日があっていいじゃないか。体調は良し!お医者さんの言いつけを守ってちゃんとお薬を飲みましょうね!暴飲暴食を謹んで、ヨイ子は歯磨きして9時には寝るのです。
おやすみなさーい!明日はだれと会えるかな!明日のこころだ!

(つづく)

2020年2月19日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (22)


711028 棚橋正人
    
621日(水) オレナ(Orena) ~ コミージャス(Comillas) 23㎞  


私営のアルベルゲは朝食付きが多い。といっても紅茶かハーブティーかインスタントコーヒーを自分で入れて、甘いパンやケーキ・ビスケットをかじる程度だ。日本の宿のほかほか炊き立てご飯に味噌汁・塩鮭の焼いたのに卵焼きにのり、なんてのは期待はしていないものの食いたいなぁー!!

パンを少し食べたがあんまり調子はよくない。こうなれば意を決して医者に行くしかないと覚悟を決める。オスピタレロに相談すると一番近い医者は前日のサンティリャーナ・デル・マルだという。村から乗り合いのバスが出ているからそれに乗れという。ゆっくり歩いてバス停に向かう。

働きに行く若者が一人眠そうにバスを待っていた。しばらくするとバスが来た。昨日、3時間はかけて歩いた道をバスは5分でデル・マルに着いた。人に聞いて医院を探し当てたがどうも人のいる気配がない。これはだめだと判断して観光案内所に向かった。
が、ここもまだ時間が早いみたいで開いてなかった。
しかたないのでベンチでぼんやりしていると、向かいのホテルからツアー客がトランクを引いてぞろぞろ出てきた。イケメンのマネージャーがてきぱきと仕事をこなしている。笑顔でお客一人一人に声を掛けてバスに乗せていく。添乗員と挨拶をすませバスが出て行った。そうだ!この人に聞いてみよう。

「すみません!お遍路ですが、体調が悪くて医者にかかりたいのです」
「村に病院はありますか?」
「この村に今やっている医院はないよ」
「でも近くに総合病院があるから、そこにいくといいよ」
「歩くとどれくらいかかりますか?」
30分くらい」
「とても30分は歩けません」
「わかった!タクシーを呼んであげるから、そこで休んでて」

彼は携帯を取り出すとすぐさま車を呼んでくれた。そして、着いたタクシーの運転手に事情を話して送り出してくれた。彼はまさに救いの神。ありがたいのなんの!地獄に仏、いや神様!感謝!感謝です。カッコよかったなぁー。ほんと若いが出来る人だった。これぞホスピタリティー!おもてなしの最上級だった!

 タクシーは丘をぐんぐん登っていく。大きな総合病院。広い駐車場にはずらりと車が止まっている。タクシーはエマージェンシー(救急)の入り口に横付けした。受付にいくと係りのお姉さんがいろいろ聞いてくれる。
    「日本から来た巡礼者です」
    「胃の具合が悪くて三日前から食べられません」

ストレッチャーに寝かせられ処置室に運ばれた。しばらくして白衣のお医者さんが診察してくれた。彼女は少し英語が出来た。点滴をすることになりナースが血管に針をブスリと刺した。ポタポタと点滴が落ちるのを眺めているうちにウトウト寝てしまった。他には誰もいない処置室でやっと点滴が終わった。時計を見るともう3時間ほどたっていた。まるで浦島太郎のような気分だ。

しばらくするとさっきの女医さんがカーテンの向こうから現れた。血液検査の結果は特に異常なし。「私もカミーノを歩いたのよ」という。なかなか魅力的な女性だった。学生の頃に読んだ庄司薫の『赤頭巾ちゃん気を付けて』に出てくる女医さんを思い出した。彼女はポケットから出した3日分の薬を「ちゃんと飲み切りなさい」と渡してくれた。それともうひとつ紙パックのリンゴジュースを飲みなさいと手渡してくれた。これは彼女のポケットマネーに違いない。お礼を言って別れぎわに握手をした。この方はきっと乙姫様に違いない!
 ブエン カミーノ!(どうかよい巡礼を!)
彼女のくれたリンゴジュースは最高に美味しかった。

清算をしようと受付に行った。が、サインをしてパスポートを返してくれてそれでおしまい!支払いは一切請求されなかった。巡礼者のけがや病気は無料で見てもらえると本で読んだが、半信半疑だった。たまたま僕が親切な医者に当たっただけなのかも知れないと思い、今年の東海カミーノ倶楽部(中部地方の巡礼者の集まり)で聞いてみた。すると、スペイン巡礼の途中で医者にかかった人は全員、「医者代は無料だった」と答えた。ただし、救急車に乗るとその費用だけは後日、自治体から請求されるのだそうだ。

 点滴とリンゴジュースが効いたのか急に元気になってきた。お腹もすいたので病院の売店に行ってパンとジュースを買った。これでなんとかどん底は脱出できたようだ。よかった!!助けてくれたみなさんに本当に感謝です!

 さて、これからどうするか?ここで判断を誤ってはいけない。じっくり考えよう。ここからどこへ向かうにしろ足は玄関に止まっているタクシーしかない。行く先はどこにするか?デル・マルにもどるか先に進むか?地図を見て海沿い23キロ先のコミージャスにしようと決めた。これもカミーノ。こんな旅があってもいいじゃないか!
タクシーの運転手にガイドブックの地図を見せて「この町のアルベルゲまでお願い」と頼んだ。彼もたいへん親切だった。車はトヨタのマニュアル車だ。こちらの車はほぼディーゼルエンジンでマニュアル仕様。日本と考え方が違うのだろうが、老人のアクセルとブレーキの踏み違えによる事故を聞くたびにマニュアル車なら起こらなかったかもと思う。ドライバーはコミージャスの町の中に入ってアルベルゲを探してくれた。そして、車が入れるぎりぎりのところまで送ってくれた。

ありがとう!スペインの人の優しさに涙が出るほどうれしかった。この恩はどこかで返さなくてはと思った。でも…その後、僕は「人に優しく」なれているだろうか。それにしても、アルベルゲにタクシーを横付けした奴はあまりいないだろうな…。

後日、岐阜県中津川の根ノ上高原にある「あかまんまロッジ」に泊って、宿主の赤尾さんにスペイン巡礼の話をしていたら、ユースホステルの起こりはホスピスから来ていると教えてもらった。赤尾さんはもともと根ノ上高原でユースのペアレントをしていた。ホスピスとはもともと巡礼者のための安息所。つまり、宿泊所であったりケガや病気になった旅人を治療したり看護する施設だった。ホスピタル(病院)という言葉もホスピスからきているのだそうだ。ユースホステル運動は1900年の初めドイツ人教師シルマンが始めたもので、移動教室や野外教育の際に児童や生徒が安全で格安に泊まれる施設を確保するものだった。「ホスピタリティー」という言葉も、巡礼者の看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待からきており、これが「おもてなし」のもとだった。

病気になって弱った巡礼者が安息所に助けを求めてやって来る。この人を看病して送り出す。これがホスピタル(病院)の本来の役割であったのだ。サンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドール(国営の超高級ホテル)ももとは15世紀の王立病院(後に修道院)というから、巡礼者がいかに大切に扱われたかが分かる。この歴史と伝統の中で巡礼をしている僕は、そのホスピタリティーに救われたわけだ。もうヤコブ様に足を向けては寝られない。これはなんとしてもコンポステーラにたどり着いてヤコブ様にお礼を申し上げねばならないと固く決意するお遍路でありました。

歩いてないけど、今日は大冒険! がんばった!
えらかったね! もう明日のこころだ!!

(つづく)

2020年2月12日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (21)


711028 棚橋正人
 
 巡礼者用ポスター   
620日(火) サンティリャーナ・デル・マル(Santillana del Mar)~ オレナ(Orena)  


なんとか起きて歩き出す。観光地の朝は納品の車がいっぱい停車している。中世の石畳が美しい。人が少ないぶん村には昔のたたずまいがもどっている。

古い都、奈良も朝がいい。昼間はあまりに人が多すぎる。ゴミも落ちていて騒がしくて1300年昔を思い出すのは不可能に近い。奈良に原始林があるのをご存じだろうか。春日山がそれで、県庁からすぐのところに深い深い森がある。
学生のころ、かわたれどきの奈良公園を散歩していたら地響きが聞こえてきた。音の方を見ると霧の中から鹿の大群がこちらに向かって疾走して来る。思わず木の陰に身を隠した。奴らは獣の目をしていた。昼間、人間に鹿せんべいをねだってペコペコ頭を下げているのはどうやら仮の姿みたいなのだ。その奴らの野生のバックボーンは背後の原始林にあると思うのだが、どうだろう。

万城目学『鹿男あをによし』の鹿は言葉をしゃべった。人間との付き合いの長い奈良の鹿ならあり得る話だと思う。筆者は岩手の曲り屋に泊めてもらったとき、釣りにいった小川の近くでカラスから「おはよう」と声をかけられた。宿の方に話すと「そんな烏の話は聞いたことがない」と言われたが、これは本当の話なのですよ!

さて、体調不良のスペインにもどろう。観光客はみなホテルで朝食をとるからカフェはまだ閉まっている。食欲もないのでバルにも入らず村を通り抜ける。
しばらく牧場の中を歩いていくといい具合に店があった。テラスで小さい子を連れた若夫婦が朝食をとっている。何か食べなくてはと思い、カフェオレと甘いパンを注文する。小さい兄弟の下の方の機嫌が悪い。泣くはごねるは、お母さんはたいへんだ。そのうち店の犬までがつられてキャンキャン吠えたてる。にぎやかだがのどかな朝だ。いい天気でほっとするがアルタミラの博物館を見学するだけの体力はない。
草原の向こうに小さな村が見える。丘の上にポツンと教会がある。これはジブリの世界だ。「ゲド戦記」の草原の風に吹かれている気がしてきた。
だが、この主人公は呪いにでもかかったように気持ちが悪い。頭も痛くなってきて道端に座り込む。少し休めば回復するのだが体力が全く続かない。

Orenaの集落に入ってすぐのところで私営の小さいアルベルゲを見つけた。
時間はまだ昼前だが、やはり体調が悪い。この日差しの中とても歩けそうになかった。ドアを開けると人の気配がする。出てきたオスピタレロに早いが泊まらせてくれと頼んでベッドに転がり込む。ぐっすり眠るともう夕方になっていた。
シャワーを浴びてお茶を飲んでいると女性の巡礼が一人入ってきた。この日の客は二人だけだった。とてもつつましいおとなしい方で話を聞いてみたかったがとてもその気力がなかった。またベッドへ。不思議にいくらでも寝られる。この3日ほどまともに食事ができていない。これはまずいな…。どうするか?

まぁ!明日起きてから考えることにしよう。


さて、明日からの遍路の運命やいかに?

「北の道」の巡礼は、はたして続けられるのでしょうか?

ハポンペレグリーノ!絶体絶命のピンチ!

来週をお楽しみに!                  To be continued