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2021年11月28日日曜日

富田林市 寺内町

 

 富田林の寺内町を歩きたいと思い、電車に乗って行ってきました。

 富田林市への私のイメージは、PLの塔か、PL学園か、富田林の花火。いずれもPL教団関係。昔の街並みがあるとは気づかずに来たのですが、10年くらい前でしょうか、義父の仕事の手伝いで寺内町にくることがあり、こんなところがあるんだと気づいたようなことです。

 近鉄南大阪線の古市で長野線に乗り換えて、富田林西口で降りました。改札口を出て、道路の左手には大きなPLの塔が見えます。東方面に少し(数百メートルほど)歩くと、寺内町らしい景色に出くわしました。寺内町というのは行政単位ではなく、通称のようです。地名としては富田林市富田林町となるわけですから、この寺内町がこの市の中心と考えてよいのでしょう。

 まず入ってみたのが、重要文化財である杉山家住宅。入館料は必要ですが、ちゃんと手入れのされた住宅です。かつて造り酒屋だった家だそうですが、この家で大きくなったのが石上露子という歌人。「与謝野鉄幹が主宰する新詩社の社友となり、同社の雑誌『明星』に短歌を寄稿する。」と、Wikipediaに書かれていますが、残念ながら私は石上露子という方を知らないので、これから勉強しようと思いました。こんなところに来て、与謝野晶子につながるって不思議です。それからぐるぐる歩いて、次はじないまち展望広場。ここから東方向を見ると、景色を見下ろすような形になります。この寺内町が丘陵地に作られていることがわかります。

 今年は11月に入ってからキンモクセイが咲くという妙な年ですが、寺内町でもあちらこちらにキンモクセイの香りがしておりました。

 もの知りの知人に説明をしてもらうと、寺内町というのは、浄土真宗のお寺を中心にした町のことだと教えてくれました。いわばお城の代わりにお寺があって、その周囲にできた町なのだそうです。自治集落で防御的性格をもつと。何十年も前の私の日本史の、消えかかった知識では、寺内町と門前町がワンセットで思い出されますが、門前町は参拝関係の町で、寺内町と門前町はかなり性格が違うらしい。防御的性格という点で考えれば、丘陵の上に町があるということは、外敵の情報が得やすいということかもしれまんね。

 大雑把にいえば寺内町とされるところは、400m×400mくらいの大きさ・広さだそうですから、そんなに広いところではありません。くまなくというわけにもいきませんがぐるぐると歩いてみました。昔ながらの建物が残されているところ、今風ではありますが昔の雰囲気を残すような工夫が感じられるところ、そんなことはまったく関係なく建て替えましたというところがあります。景観とは無関係に建てられたような住居はかなり古い。「1997年10月大阪府下で唯一『重要伝統的建造物群保存地区』の指定を受けて、富田林市では国の補助事業として町並み保存に取り組んで」いると、じないまち展望広場に案内がありました。昔ながらの建物たちが残っていることで、指定を受けるまでは比較的自由に改築や新築ができたものが、指定後は新築改築に町並み保存という目的が加わったということですね。

 町の中には、伝統的な建物の中で飲食店や販売店が入り、コロナ禍でもそれなりの訪問者たちがいて、賑わいがあります。しかし、道路の広さも「昔ながら」であるはずで、生活という点では、ご不便な点も多いように感じました。エアコン室外機の目隠しや、不用意に生活が見えないようにする工夫。「いいところだねぇ」と遊びにくる私たちはいいけれど、住民のかたがたは窮屈な思いもされているかもしれないと思ったことでした。

 じないまち交流館の前に立って、ここに来たことがある!と思いました。そう、父の仕事の手伝いでやってきたのは、確かにこの建物。であるなら、二階への上り口はこちらにあるはずと思って、交流館に入ってみると思った通り。かつて私はここに来たのだと思いました。裏庭にはホトトギスとツワブキが咲いていました。それから、しばらく歩くと浄谷寺。父の旧知のお寺だった様子で、父がクルマを置かせてもらったはこのお寺のような気がしてきました。

 たまたま訪れた寺内町で、タイムスリップしたような気分になりました。

(hill)

2021年11月24日水曜日

頭塔

  奈良市高畑町で、ホテルを解体したらそれまで見えなかった遺跡が、道路から見えるようになったというニュースを見たのは10月ころだったでしょうか。しかし、高畑もまったく知らないところではないもの、そんな遺跡ってどこにあったんだろうと思っていました。そんなことも忘れかけたある日、蕎麦を食べようということになって、高畑の蕎麦屋さんに行きました。破石のバス停を下りたところにあるお蕎麦屋さん
。もう20年くらい前に一度だけ入った記憶があります。

 おいしかったねと店から出ると、道路の向こう側が更地になっています。その更地の前にニュースで見た、古墳のような小山が見える。「これがニュースの…」と思いました。そしてその小山には何人かの見学客が見えます。それではというわけで、私たちも店主に教えてもらって、南側のお地蔵さんのほうから入りました。協力金300円。

 大正11年に国の史跡に指定されているそうですが、私はそんなものがあるとは全く知らずに今日まできました。この小山は仏塔であり、お寺でいえばまぁ五重塔のようなものだそうです。いだいたパンフレットのタイトルにこんなふうに英語でタイトルが付けられています。

 Zu-to is the mysterious pagoda made with dirt and stones,built at 8th

century(Nara-period).

  8世紀(奈良時代)に、土と石とで作られた不思議な仏塔だというわけですね。





  この頭塔を説明しようにも、知識がないのでどうしようもありません。しかし、当日はガイドさんらしき方がいらっしゃって、訪れた若い子たちに説明をされていたのを、私たちも聞かせてもらいました。

 この頭塔のある場所が三笠山から続く、尾根の上にあるということでした。確かに市内循環バスのルートを東大寺方面から南下すると、高畑町の交差点や高畑駐車場は低くなり、破石あたりで再び高くなって、奈良教育大前に向けて低くなっていく。頭塔から眺めても西側はぐっと低くなっていて、奈良の町を見下ろす感じになります。真西方面はJR奈良駅よりも少し南の大森町あたり、さらに図書情報館や唐招提寺あたりになります。ガイドさんは、平城京の広い範囲から、東側にこの頭塔がよく見えたはずだとおっしゃる。当時の人たちの見えやすいところにさらに土を盛って、パゴダをこしらえたということのようです。

 そのパゴダ、四方すべてが復元されているわけではありません。中心から北側は復元されていますが南側半分は林が残されています。史跡として重要であっても、南側はすでに人々の生活の中にあるからだということでした。復元といっても、どこにポイントを置くかということですね。

 当日教わったことはほんど右から左(忘れてしまう)でしたが、やはり私のような者は、行ってみてわずかでも覚えていることがあるものです。

 

Wikipediaの「頭塔」のページはこちら

 (hill)


2021年11月20日土曜日

11月19日の月食

17:59

  11月19日は月食だということを、その日の朝のニュースで知りました。

 とりたてて天文や月に興味があるわけではないけれど、140年ぶりのなんとかだとか説明をされると、「観なあかん」という気持ちになってしまいます。

 勤務時間は終わっているのですが、まだやり残したことや打ち合わせをしておくべきことがある…のをテキトーにさぼって、何度か表に出てみました。

 他にも月を楽しんでいる教員や撮影している教員が何人かいて、金曜日の宵は、少しだけ優雅な雰囲気でした。

18:08

18:13

18:24 飛行機がやってきました。

19:28

18:38

19:16

20:22 満月

 仕事の合間に、コンパクトデジカメで撮ったものです。満月はともかく、コンパクトデジカメでもそれなりに撮れるものだと思いました。

(hill)

2021年9月2日木曜日

第26回 奈良大学国語教育研究会 実施報告

 


 コロナ禍を受けて、25回研究会(昨年度)の紙上発表に続き26回研究会はZoomを使ったオンライン研究会となりました。卒業生だけでなく国文学科の先生方、教員を目指す学生さんにも参加していただき無事に終えることができました。

24回までは当たり前のように、参加者が大学に集まっての研究会、その後は懇親会という流れで続けてきました。しかし、2年連続で「集まる」ことができず、寂しい思いをしている参加者もたくさんあることでしょう。一方では、新しい研究会の実施方法を見つけた2年間だったともいえます。

 来年はオフラインで実施したい、懇親会で盛り上がりたいと願いながら、26回研究会の簡単な報告を下に記します。

 

1.日 時  2021年8月7日(土)午後1:00開始

                       午後4:00ごろ終了

2.内 容  開会のあいさつ(大呂会長)

       教育実践交流

       記念講演

       閉会のあいさつ(大呂会長)

 

3.◆教育実践交流(記者のメモから、骨組みだけを記します)

     「相談に乗ってください!!通信制高校での国語教育」

       中園真弥さん(長尾谷高等学校)

(1)   通信制高校の仕組み

通信制の現場から見た高等学校、高校生

(2)   長尾谷高校が取り組むもの

(3)   発表者が取り組みたいこと

(4)   参加者に質問

  プリントの作成について

  文法(古典)を説明しきれないこと

  導入ネタについて

◆記念講演

     「これからの古典教育」

       三宅晶子 先生(奈良大学 文学部 国文学科)

(1) 小中高の連携を

(2) 比較することは理解を助ける

 

 

  27回奈良大学国語教育研究会の情報

2022年8月6日(土)実施の予定です。

(記者 hill

2021年7月3日土曜日

第26回 奈良大学国語教育研究会のお知らせ

第26回 奈良大学国語教育研究会のお知らせ

今夏開催の奈良大学国語教育研究会についてご案内いたします。

今年はZoomを使ってのオンライン研究会として実施します。昨年に続き、対面での研究会が行えないのが残念ですが、逆にオンラインのほうが参加しやすいという方もあると思います。

校務、クラブ活動指導、研修等でお忙しいかとは存じますが、多くの方にご参加いただけるようお願い申し上げます。

 

奈良大学国語教育研究会

会 長   大 呂 広 志

(奈良大学文学部国文学科 光石亜由美研究室内)

 

1.日 時  2021年8月7日(土)午後1:00開始

                       午後4:00ごろ終了予定

2.内 容  ◆記念講演

     「これからの古典教育」

       三宅晶子 先生(奈良大学 文学部 国文学科)

     ◆教育実践交流

     「相談に乗ってください!!通信制高校での国語教育」

       中園真弥さん(長尾谷高等学校)

 

3.参加費 無料

 

4.申 込  7月20日までにメールでお知らせください。

       nukokugokyoikuagmail.com

              ※ (a)の部分はアットマークに変更してください。

            (お名前/卒業年次または学籍番号など)

      お申し込みを受けて、ZoomのミーティングID、パスワードをお伝え

します。

 

. その他 ・大学を拠点としたZoomによるリモート研究会です。大学では、不要不急の学外者の入構が制限されています。参加したいけれどZoomでの参加ができないという方は、お早めに事務局までご相談ください。

 

 

2021年3月1日月曜日

広重の名所江戸百景

 奈良県立美術館

令和3年1月16日(土)~3月14日(日)

 

 浮世絵を観に行きました。琳派の絵を見るより、浮世絵のほうが自分の身の丈に合っているような気がします。サイズも手頃ながら、観て理解できるように思うのです。

 浮世絵が西洋の絵画に影響を与えたという話は以前から聞いていました。黒船の力を見せつけられた日本人は、自国の文化にもすっかり自信を失ってしまった。日本の芸術品が西洋で人気になり、(安値で)海外に売り渡す始末。陶器の梱包材として使われた浮世絵が、西洋の芸術家に大きな刺激を与えた。西洋では写真技術の発展により、写真のようにリアルに描いた絵画は追われることになり、印象派というジャンルを生んだ。その印象派にヒントを与えたのが浮世絵だという話です。

 では浮世絵師が使う遠近法はどこから伝わったかというと、江戸時代後期のヨーロッパ文化の流入により伝わったというのです。教えたり教わったり…。ちょうど今アメリカでは、日本の70年代80年代のシティポップと呼ばれたジャンルの音楽が受けているという記事を見たことがあります。シティポップだって、もとをただせばアメリカ音楽に多大な影響を受けたもの。文化は行ったり来たりを繰り返していくものなのでしょう。

 ゴッホの「雨の橋」は広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」を見て描いたとか…、楽しい話です。

 

 美術館から帰ってから、少し勉強をしました。

 江戸名所百景は、言葉通りに江戸の名所を浮世絵にしたものですが、原信田實氏の「浮世絵は出来事をどのようにとらえてきたか」によれば、浮世絵は俗、狩野派や土佐派の絵は雅なのだそうです。浮世絵は庶民のもの、世俗なものというわけです。それで納得できました。私が浮世絵を見るほうが身の丈に合っていると思うのも理由のあることなのですね。

 さらに、江戸名所百景は、安政江戸地震とかかわりが深いそうです。安政2年10月2日(旧暦)。地震の推定規模M7.07.1、町人の死者が7000人。地震後の名所がどうなったか知りたい、見たいという江戸っ子の興味に支えられ、広重が名所図会に仕立て上げたというのです。いわばジャーナリズムとしての浮世絵でもあると原信田氏は記します。

 

 そんな難しいお話しを抜きにしても、浮世のデフォルメは写真の構図の勉強になると思いました。




(hill)

 

2021年1月25日月曜日

滝川幸司 著 『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』 中公新書

 

  先日、NHKの『歴史秘話ヒストリア』で、「1000年愛され続けた天神様 菅原道真」を観ました。番組の内容を、NHKのフェイスブックから引用すると…

学問の神様・天神様として知られる菅原道真。平安時代に活躍した貴族だ。政争に敗れ、大宰府に流され、非業の死を遂げた道真。その後、都では怪事件や天変地異が巻き起こる。当時の人たちは、これを道真の怨霊の仕業と恐れおののいた。しかし、いつしか道真は、天神様としてまつられるようになる。なぜ、怨霊は神になったのか? 理由を探るため、道真ゆかりの地を調査。1000年愛される続ける天神様誕生の物語をご紹介する。

番組を頭の中で整理してみると、

  • 幼少のころから学問に秀でており、11歳で初めて漢文を詠んだこと。
  • その後も、学者、政治家として才能を発揮し順調に昇進を重ねること。
  • 讃岐国司として赴いても、人々の悲惨な暮らし見つめそれを都に報告したこと。
  • 阿衡事件や遣唐使派遣再検討についても自らの立場よりも大局にたった意見をしたこと。
  • 藤原氏との諍いを避けるため右大臣の辞職を天皇に願い出たが受け入れられず、結果的に左遷され太宰権帥に落とされたこと。
  • 大宰府では質素な暮らしをし人々から慕われていたこと。
  • その後、天神様として人々の信仰の対象になったこと。

 私の記憶ですから、いいかげんなところもあると思いますが、だいたいこんな番組の流れだったと記憶します。

 

ヒストリアの道真の回にコメントをしていらっしゃったのが大阪大学の滝川幸司先生。現在は大阪大学で研究をされていますが、かつては私たちの奈良大学の先生でした。

 滝川先生のご本を最近読みました。本当を言うと、先にご本を読んだので番組を見てみようという気持ちになったのです。

中公新書の『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』です。平安時代に漢詩を数多く残している道真を、彼の漢詩を読み解くことで捉えなおそうというのが

 滝川先生のこの一冊です。「はじめに」の中で、滝川先生はこんなふうに書かれています。

それぞれの時期の心情がこれほどまでに残り、自分彼の手で編纂した史料が現存している官僚は、平安時代には他にいない。それが右大臣のまで至り、地方赴任すら経験しているのである。

 私たち国語教員は、まず漢文にふれる時間がそんなに十分にあるはずがなく、日本人の漢文にふれる時間はさらに少ない。道真といえば、天神さんか、飛梅の歌くらいしか知らないのですが、滝川先生のこの一冊でこれまで知らなかった道真について教えてもらうことになりました。

 並々ならぬ才能があったことのみならず時の天皇に重宝され、それが度を過ぎていたことも道真の不幸だったようです。

 

(hill)

2021年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。奈良大学国語教育研究会、4代目の会長を仰せつかりました大呂広志です。

昨年度終わりごろからコロナ禍により、いつもとは違う学校現場になっています。普段通りにはできなかったことがたくさんある中で、普段にはない発見や、普段ならできなかったことができたということも多少はあったこの1年ではなかったでしょうか。

私たちの研究会も昨年25回目を数える年ではありましたが、コロナ禍により一堂に会しての研究会は開けませんでした。その代わり、のべ28名の方々から原稿を寄せていただき、冊子としての研究会を開くことができました。実験的にではありますが、これまでにはなかった新しい研究会の形を試すことができました。

そして今年の夏、26回目の研究会はハイブリッドでの開催をできたらと準備を始めました。いつものように奈良大学を会場として研究会を行いますが、遠方の方にはオンラインでも参加していただけるという意味でのハイブリッドです。開催日は8月7日(土)。どうぞ、多くのみなさんのご参加をお待ちしています。

少しでも早いコロナ禍の終息を願って、新年のご挨拶とします。

大呂広志