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2016年11月3日木曜日
御伽草子 ~奈良絵本・絵巻を中心に~
天理図書館(天理大学賦存天理図書館)で、11月6日まで開館86周年記念展として、「御伽草子~奈良絵本・絵巻を中心に~」という展示が行われています。10月22日には、特別企画として、記念講演と琵琶語りがあるというので、私の勤務する学校の国語科のメンバー揃って勉強に行ってきました。
私としては、大学の卒論を書くために、過去に一度だけこの図書館の資料を見るためにおじゃましたことがあります。何十年ぶりかに、この建物に入ることになります。古くて重厚な天理図書館。新しくて機能的な建物には感じられない値打ちを受け止めながら、図書館に入ったのでした。
展示されていた資料は、素人目に見て大きく3種類。ひとつは版本の御伽草子。ふたつめには御伽草子のストーリーに手書きの絵をつけた、奈良絵本とか奈良絵巻と呼ばれるもの。そして、丹緑本(たんろくぼん)と呼ばれる、版本に丹、緑、黄の三色で彩色したものです。50点余りが展示されていて、講演のある日でもあったからか、私よりも先輩と思われる世代を中心に、結構な入りでした。その人たちがほぼ、講演会場になだれ込むような様子でした。
記念講演は、「御伽草子の世界」。慶應義塾大学教授の石川透先生。天理大学がもってる奈良絵本、絵巻はレベルが高い。数ではなく質・完成度として世界でも一番だと思うというところから石川先生のお話しは始まりました。
(1) 奈良絵本って何?
豪華な手書きの絵本を奈良絵本、巻物の形をしているものを奈良絵巻といい、室町時代から江戸時代前期くらいに作られたものをいうのだそうです。私はそのことばを恥ずかしながら知らなかったか、あるいは遠い記憶で忘れてしまっているか、とにかく耳に新しい、奈良絵本という言葉でした。このネーミングは、絵本なり絵巻なりが作られたころにはそうは呼んでいなくて、明治時代に入ってから、奈良絵本とか奈良絵巻と呼ばれるようになったのだそうです。現在、赤膚焼の絵によく見られる、また奈良土産の店などでも見られる奈良絵。これも明治時代になってからそう呼ばれるようになったのだとか。明治時代になって旅行などで人々が奈良へもやってくるようになって、区別の都合上奈良絵と呼び、それに似た絵なので奈良絵本とか奈良絵巻とか呼ばれるようになったのではないかということでした。御伽草子の有名なストーリーに絵を着けていく形で出来上がっていくのが、現在展示されている奈良絵本、奈良絵巻だというのです。奈良絵は興福寺の絵仏師が書いたと広辞苑にも記されているけれども、奈良で書かれたという証拠は見つかっていないこと。奈良絵に似ているので、奈良という言葉が独り歩きをして奈良で書かれたと思い込むようになった。実際は京都で書かれていたそうです。
現在展示されているものは、江戸時代には絵草紙と呼ばれていました。
(2) 浅井了意(あさい りょうい)
御伽草子の作者はわからないことが多い。署名をしないからです。和歌には署名があるのに、御伽草子は和歌よりも低い扱いだったようです。和歌がちゃんと詠めることは出世や恋愛に関わることですから、御伽草子では出世や恋愛の材料にならなかったということでしょうか。
浅井了意は仮名草子作家の第一人者。作家は売れるほど忙しいので直筆ではなく清書屋(筆耕)が存在する。彼はいろんなところから孫引き(今でいうコピペ)をして大量に作品を作った。自分で作品を書き自分で筆耕(自筆版下)した。版本と奈良絵本の『蓬莱山』が同じ筆跡であることに石川先生が気づかれた。つまり、自分で版下を作っていたことになる。『狗張子』という仮名草子は序文に了以の自筆だと書かれていて、全7巻のうち巻7だけが版の筆耕者が違う。巻6まで自分で版下を作ったあと巻7を作る前に他界してしまったのだそうです。了意の筆跡がわかれば、署名がなくても彼の作品か否かは簡単にわかるというわけです。
豪華写本の筆耕師だったのが後に作家にシフトしていったのだろう。了意は元僧で字を書く能力は筆耕師としていい食い扶持だった。ではなぜ、作家と筆耕師を兼ねるのか、作家だけでは食えない時代だったとのこと。原稿料だけで生活が成り立った最初の人は曲亭馬琴で、1800年代のことだったそうです。
(3) 居初つな(いそめ つな)
日本最初の本格女流絵本作家が彼女だという話。男性専門職場において、女性である彼女が特異だったのは文章も絵も自分で書いたことです。奈良絵本ではかなり個性を出していますが、版本ではルールに縛られるためあまり個性を出せない。つながストーリーを作っていたかどうかはまだわからない。石川先生からもっとたくさんつなの話を聞いたはずなのですが、私のメモが残っていません。
(聞いたことをメモしてまとめたつもりですが、とんでもない聞き間違いをしているかもしれません。)
(4) 琵琶語り「小栗判官」
肥後琵琶奏者の玉川教海氏の琵琶語りをしばらく聞きました。「小栗判官」は全部通すと6時間くらいかかるものだそうで、それをつまみつまみしながら、小一時間、語られました。
始まる前にあらすじを記した資料をもらっていたこともありますが、私のような者でもとてもわかりやすいと思ったら、ほとんど現代語で語られていました。こんなことってあるのですね。例えとして正しいかどうか不安ですが、子どものころテレビで見た浪曲のような感じです。とってもよくわかる。もちろん琵琶語りですから、浪曲と一緒にしてはいけませんが、聞いててもまったくわからなかったら切ないと心配していたのですが、幸いでした。
琵琶の音は、思っていたよりも低く太い。きれいなという音ではないと感じました。それがまた語りによく合うように思いました。弦楽器というより小太鼓をたたいたような音にも聞こえるところもあり、不思議な楽器です。
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