藤川宿
国道から離れると突然藤川宿が現れる。ここにはしっかりと木戸口が復元されている。さすがに三河の国、徳川家康ゆかりの寺や神社が多くなってきた。ここのところ、前回歩き終わったところに車を置いて歩き出し、歩き終わったところから電車に乗って車を置いたところまで帰るという方法を繰り返している。この藤川宿、宿場の西終わりに名鉄の駅があり、そのすぐ横が国道1号線の道の駅がある。
駐車代もかからず、戻ってくるにも都合がいい。当分、使えそうな所だ。
岡崎宿
藤川宿道の駅から出発する。ちょうど霧に包まれて、余計なものが隠され、江戸時代と同じ雰囲気かとも思える。この辺りにも松並木が残り、地元の人たちに大切にされていることがわかる。
しばらく進むと岡崎の入り口になる。言わずと知れた徳川家康のお膝元。旧街道は、岡崎城を守るように幾重にも曲がりくねりながら進んでいる。
いわゆる、「岡崎の二十七曲がり」と言われて、迷路のようだ。案内看板はあるが、なかなか忠実に進むことは難しい。どうも、二か所ぐらい飛ばしてしまったようだ。角々はたどれるが、昔の雰囲気はほとんどない。岡崎城もなかなか見えず、町の外れからほんの少し見えただけだった。
岡崎と言えば「八丁味噌」。
赤みその代表で、かなり保存がきく。戦国時代、この味噌を団子にし、乾燥させたものを戦場で舐めながら戦ったといわれている。現在は大きな二社が「八丁」と言われる場所で製造しており、これ以外は八丁味噌と名乗れないのだそうだ。無料で工場見学もさせてもらえる。黒塀の蔵が続く通りも見事だ。
岡崎を出ると「池鯉鮒」だ。現在は「知立」。むかし、神社が低いところにあって、池に鯉や鮒が住んでいて、とてもおいしかったことからこの辺りを「池鯉鮒」と書いたのだそうだ。
たしかに、この辺りは地盤が低そうに見える。稲作よりも綿、大豆の生産が盛んで、味噌や反物の産地として有名になった。それからもう一つ。東海道からは外れるが、ここで有名なのが「カキツバタ」。伊勢物語の「八つ橋」の舞台だ。在原業平たち一行は、この辺りで都のことを思い出してかれいひの上に涙をこぼしたのだと言われている。私はコンビニのおにぎりに汗を落としながら食べた。なぜだかここは少し高台になっている。
(つづく)
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