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2020年3月25日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (27)


711028 棚橋正人
626日(月) ラ・イスラ(La Isla)  ~ ヒホン(Gijon) 48 


ホテルの朝は快適だ。熱いシャワーで目を覚ます。天気はイマイチかな。
1時間ほど歩いてガソリンスタンドの中のカフェで簡単な朝飯をすます。
昨夜、これからの行程を検討してみた。このペースでは予定の日にちにコンポステラに着かない。それで、今日は途中からバスでヒホンまで行くことにした。
町で「富士フィルム」のみどり色の看板を見つけた。なんか懐かしい!今はデジカメでフィルムを使う人などほとんどいなくなった。フジフィルムの工場が近くの堺にあったがそれもなくなった。高校生の時、通学に使っていた国鉄阪和線の駅から毎日見ていたシャープの会社も今はない。時代の移り変わりとはいえ、隆盛を誇っていたが企業が消えていくのは寂しいものだ。

 道沿いにヤシの木が植えてある南国風のお屋敷が見える。別荘なのかもしれない。その中にデザインはすごくいいのだけれど、住む人がいなくなってかなりの年月がたっているお屋敷があった。とても気になる。ここには幽霊が住んでいると聞かされても驚かないような佇まいだ。どこかでこんな屋敷を見たぞ。これも『思い出のマーニー』だ。入り江の湿地屋敷の金色の髪の少女の物語。不思議な話で原作も読んでみた。原作者のジョーン・G・ロビンソンはイギリスの人。彼女自身が子どもを連れて夏の休暇をイングランドの海辺の町で過ごしたのだとか。帰ったらこの映画をもう一度見てみよう。

 また牧場の中を歩く。茶色の牛がのんびり草を食べている。こんな景色も遠い遠い昔、学生のころに見ている。遥かにオホーツク海を望む北海道根釧原野別海町のパイロットファームで2ヶ月ばかりアルバイトをしていた。搾乳をすませた牛たちに飲ませる水を、切断したドラム缶一杯にためるのが僕の仕事だった。昼間の草刈り(牧草)の仕事は重労働でそれが終わると夕方の搾乳。夏の牛飼いは大忙しだ。霧で有名なこのあたりは日が沈むころにそれがどこからか湧いてくる。腰の高さまで霧がくるとまるで雲の上にいるようだ。頭まで霧に埋まると目の前の牛さえ声はすれども姿が見えない。  
さっき牧草の山の上から見た夕陽は世界一きれいだった。
夢のような日々だった。

 昼が過ぎたころ大きな工場が見えてきた。これはきっとレンガ工場に違いないとなぜか思い込んだ。道路の反対側に広い駐車場があって工場を見学する人が次々と降りてくる。ずいぶん歴史のある工場のようで、道路沿いは石垣で出来た塀が延々と続く。中央に高い煉瓦造りの煙突があって白い文字が書いてある。覗いてみたいと思ったが、先を急ぐ身の上なので写真だけ撮ってスルーした。
 ところがだ!後から写真を検証してびっくり!あの煙突の文字は「EL GAITERO」(エルガイテロ)というお酒の名前だった。例のリンゴのお酒シードラの超有名な醸造所だったのだ。そういえば余市のニッカ工場のような建物があった。試飲ができたのはまちがいない!「フランス人の道」のワイン工場のように飲み放題だったかもしれなくて残念!これを読んだだれか!「北の道」を歩いたら確かめてくださいね。えーっそんな暇があるかって、はいはい!次、プリミテボを歩く機会があったら自分で確かめることにしよう!

 2017年、東京の「カミーノ友の会」で発表をした時、同じ報告者のかおりさんから「北の道」の日本語のガイドブックはないから「書いたら」と言われた。カミーノもここ数年で歩く方がかなり増えて、ブログを書く方もけっこういて情報が採れるようになった。スペイン語の出来る方ならちゃんと確認がとれるのだろうが私の能力ではこれが精一杯なのでご容赦を!英語のガイドブックは発行されているので、これから「北の道」を歩く方はそれで確かめてほしい。                

さて、醸造所のあるこの町ビリャビシオサはなんとあの「原始の道」(カミーノ・プリミテボ)との分岐点。プリミテボへは道をオビエドに向けて左へ、「北の道」はヒホンを目指して海へと進む。

本日、ここまで歩いた距離は20㎞。遍路はここから計画通り、バスに乗り込みヒホンへと向かう。
Gijon(ヒホン)はアストゥリアス州最大の都市。27万人の人口を抱える製鉄業で栄えた街。バスは山を縫って国道632号線を走り、30キロをヒトットビ!やがてバスは市の中心街に到着。さて、目の前の海を眺めてどうするか? 
まずは海岸にある観光案内所(インフォメーション)へ。アルベルゲはいま通ってきた街の郊外のキャンプ場の中にあるそうだ。時間は夕方5時。昨日はホテルだったので、今日は都会の街中に泊まりたくない。(我がままなんだからまったく!)
仕方がないので市内バスでまたキャンプ場まで戻ることにする。バス停を降りるとキャンプ場の矢印があった。まだかまだかと思って歩いているとプールも食堂もバンガローもある施設に到着!長い一日でした。やれやれ!
でもこれからさらに一騒動!さて、どうなるハポン遍路の運命やいかに?
来週のこころだー!!

(つづく)

2020年3月18日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (26)


 711028 棚橋正人
625日(日) ピニェレス・デ・プリア( Pineres de Pria) ~ ラ・イスラ(La Isla)  26㎞ 


 珍しく薄暗い時刻に宿を出たのだが、道標を見落として村の中をウロウロ。
仕方なく分岐のところまで戻って反対方向に進む。やれやれ!
道は村の山側を登っていく。尾根に出ると眼下に朝焼けのカンタブリア海が見えた。美しい!これが今朝のご褒美だ!

 しばらく行くと鐘の下に時計が埋め込んである教会があった。ここは泊まれるのかも知れない。その先にペイントした手のひら大の石が数百個積み上げてある。絵のテーマは巡礼や自然。なかなか可愛いらしい。近くの小学生が作ったのかも知れないな。
 ちょうどお腹の減ってきたころにRibadesella(リバデセーリャ)の町に着いた。早速バルで遅い朝ご飯。カフェコンレチェ(ミルクコーヒー)がうまい。
 入り江の橋を渡るとそこはリバデセーリャの砂浜。ここもお洒落なリゾート地だった。海岸沿いの遊歩道のフェンスにかすがいがあって、それがカヌーのオールの形をしている。ここはカヌーの世界大会が開かれる町なのだそうだ。仕事の仲間でヨット競技をしている人がいて、その方によるとヨットの世界大会もスペインのこの辺りであるらしい。だからこの海岸一帯はスペインのリゾートであるばかりではなく世界的マリンスポーツの聖地なのだ。
 気になって調べてみたら、私が「北の道」を歩いた2017年の67日からサンタンデールでセーリングワールドカップが開かれていた。サンタンデールの渡し船に乗ったのは一週間前の618日なのでちょうどこの時期だった。知人もスペインに行くはずだったというから、運命の糸は思わぬところですれ違っているのだ。
 海岸の砂浜では50人くらいがサーフィンを楽しんでいる。67歳の兄弟を連れたお父さんが子どもと遊んでいる。10歳くらいの少女が赤いウエットスーツを着て、これから波乗りに出かけようとしている。お父さんと二人でボードを持って波打ち際に向かう。いいなぁー。

 老人が砂浜で一人、2本の杖に体重を預けて海を眺めている。
 白髪でかなり体重がありそうだ。彼は何を思っているのだろうか…。
 人生は楽しむためにあるというのがスペインの人の信条だと聞いた。
 こうして楽しいバカンスを過ごすために1年を頑張って働く。
 老いも若きも家族もみんなで楽しむ。
 しかし、遍路は歩く。それらをながめてぼつぼつ歩く。これも幸福!
 また高床式の倉庫があった。やはり穀物蔵だった。足とネズミ返しは武骨な石で出来ている。西の果てのムシアにあったのは細長い四角形だったが、ここらのは大型で正方形だ。ガリシア語ではオレオといい、アストゥリアス語ではオル・オリウというそうだ。軒先からトウモロコシの干したのがぶら下がっているのがよく似合う。
海岸線の草地を歩く。ここも牧場らしく柵のかんぬきを開けて出入りする。
出口の柵に張り紙が

Por favor, Cierren, Gracias
「お願い、閉めて、ありがとう」
なんかほっこり!スペインいいね!

前からツーリングの自転車が1台やってくる。だいぶお疲れのようす。がんばって!高速道路を超えて目指す港町に入る。

アルベルゲを探して岬の先まで行ったが、満員だった。若い子たち中学生くらいの子が大勢いた。村のおばさんに他にアルベルゲはないかと聞くと海岸に私営の安い宿があると教えてくれた。やれやれせっかく上った坂道をまた下る。夏の家みたいな宿はあったが、ここも海の客で満員だった。どうしよう?
6月に入ると学生の旅行がどっと増えると聞いたがほんとうだった。観光地では安い宿から埋まる可能性が高い。しかたない、お金持ちのおじさんは今夜はホテルだ。バルに近くてそれほど高くないホテルにご宿泊決定!

うわー個室だ!カミーノで初めての一人部屋!シャワーも独り占め!トイレもドアを開けたままでもOK!この解放感!は快感!!
ロビーにはゆったりソファーがあって、窓の外には芝生。
フロントのお姉さんはとても美しかった。
でも、なんか落ち着かない。巡礼者はだれもいない。

レストランに食事に行って明日からの計画を練ろう!
寝袋以外の寝具で寝るのは何日ぶりだろう。
スプリングのきいたベッドで清潔なシーツで寝られる幸せ!
スタンドの明かりを消そうとしたがもう眠い……。
グッグー!!

(つづく)