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2020年6月3日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (37)


711028 棚橋正人
 7月6日(木)ゴンタン(Gontan)~ ビラルバ(Vilalba19㎞                                                        


昨夜、雲南省のチョウ君と漢詩の話になった。雲南省はベトナム・ラオス・ミャンマーと国境を接しており、かつては辺境の地と呼ばれたところだ。少数民族もいるが明代からは漢民族が70%近くを占めている。地図でみると一面黄土色で緑がない代わりに錫や亜鉛・鉛などの鉱物資源が豊富である。
大学まで進学する者は2%というからチョウ君は超エリートということになる。小学校で漢詩を習ったというから杜甫の「春暁」を暗唱してくれと頼んだ。漢詩は韻を踏んでいるから中国語で発音してもらうと、とても気持がいい。
チョウ君は朗々と詩を暗唱してくれた。さすがである。日本の中学でも習うのだよというと、とても驚いていた。

同じ雲南省のチベット族自治州にシャングリラ(香格里拉)市がある。この命名は2014年のことで、『チップス先生さようなら』を書いたジェイムス・ヒルトンの『失われた地平線』からきている。チベットの山奥にシャングリ・ラなる理想郷がほんとうにあるのなら行ってみたい気がする。となりの堺のお坊さんに河口慧海という方がいる。この人は明治の中頃、鎖国をしていたチベットに仏教の原典を求めて単身入国し、お経を持ち帰ったすごい人である。この慧海のたどった道を歩いている女性が、近くの千早赤阪村にいて、彼女は2019年、チベットで越冬するそうだ。他にもダライラマが大好きな後輩がいて、今年はチベットの風が吹いていた。椎名誠を読んでいると、奥様の渡辺一技さんがチベットを馬で旅をしていると書いてある。それで読んでみるとウイグル自治区と同様の中国の少数民族に対する弾圧の状況がわかる。

こんな現実を知ったのもカミーノを歩いたおかげである。チョウ君とは深い話ができたわけではないが、いい奴だった。出来ることならラサのポタラ宮に行って一技さんが撮ったキラキラした瞳のチベットの子どもたちに会ってみたいものだ。

さて、いいかげんスペインに戻らねば!

宿を出るといきなりの坂道。モホンの表示は「あと140㎞」。もうこんなに来たのだ。2度目のカミーノは体調不良もあって列車とバスにずいぶん助けられた。歩いての巡礼は100キロ以上歩くと巡礼証明書がもらえる。残りの140キロはなんとしても歩き切ると、固く心に誓うお遍路爺でありました。
 森の中を歩く。黄色い花が咲いている。そのうち沼のほとりに出た。
水が透明で水中植物が揺れている。また草原がつづく。鉄条網のところにいる牛がこっちをジッと見ている。ホルスタインではない。歩いているのは遍路だけなので牛の数の方が圧倒的に多い。「北の道」は「フランス人の道」と比べて巡礼者が少ない。アジアの人は韓国の方が一番多いが、この道では誰にも会うことがなかった。

再び緑のトンネルを抜けていく。切り通しを過ぎるとバルがあった。ちょうど昼なのでボガディージョ(フランスパンのサンドイッチ)を作ってもらう。中身はチーズとハムとか希望を聞いてくれる。ただ、このパンは大きすぎて食べ切れた試しがない。それで残りは頼んで、ホイルに包んでもらうことにした。

さて、出発!牧草地に石でできた柵があった。家畜が道に出ないようにするものだが、その脇に不思議な木が生えている。太い幹がなぜかクネクネ曲がっており、さらにくびれているのである。枝を伸ばし、葉を青々と繁らせているが、幹が変わっている!その木はまるで、豊満な女性の裸体に見えるのである。

これはきっと魔女に魔法で木にされてしまった女性に違いない!
いかん!これはだいぶ疲れてきたのだ!妄想にもほどがあるぞ!

やっと国道634に出た。石垣の上にAの形の塔が並んでいる。Aの上には十字架がある。その数ざっと50基。近づくとそれはすべて石造りのお墓だった。
なにか由緒があるのだろうが分からないまま通過する。
ポプラの並木道を歩いて、ジャガイモの花が咲く畑を通り抜けたところに消防署があった。ここがビラルバの町の入り口。その隣が今日のアルベルゲだ。
本日、これまで!!
ここもまた誰もいない。
ベッドを確保してシャワーを浴びる。お昼寝したら町を探検に行こう!
そのうちカルラ夫婦が到着。旦那のデルクはビールが大好きのようで、小瓶のカートンを抱えて帰ってきた。晩飯の後、それをいただく。2人は貯めておいた有給休暇でカミーノを歩いているそうだ。働き盛りの年齢で長期の休暇をとれることがとてもいいことだと思う。

平和な一日だった!
明日の巡礼の無事を願って乾杯!!

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