このブログを検索

2020年7月29日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (45) 


711028 棚橋正人
713日(木)最終日 モンテ・ド・ゴソ(Monte do Gozo) ~ サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)                                                      

今日も目覚めが早い!荷物を持って食堂に移動する。窓の外はまだ真っ暗。
お湯を沸かして紅茶を飲む。パンをかじって、さぁ出発だ!!
 お忘れ物はありませんか?ストックは持ちましたか? OK!

お世話になりました!ガラスの扉を押して外に出る。
街灯以外は真っ暗だ。遠くにサンティアゴの街の明かりが見える。
巡礼路に出るともう高校生たちがナップサックひとつで歩いてくる。
さすがに奴らも朝は静かだ。ゴールに向かう緊張がなんとなく彼らを無口にさせているのだろう。同じ道を歩いてきた者としての感慨は、青年の彼らと同じなのだ。そこがうれしい!
だんだん夜が明けてきた。5年前に通った石の館の前に来る。ここはやっぱり怪しい。だが今回、石の像は動き出しそうになかった。一瞬一瞬の光景は、同じ場所に来たからといって再度見られるものではないのだ。一期一会は人だけではなく事物についてもそうなのだよ。
坂を下り切って高速道路に架けられた木道を渡る。この橋も5年の間にずいぶんすり減ってしまった。巡礼者の数は2006年には10万人だったのが2017年には30万人に増えた。この木のくぼみは、巡礼者の土ぼこりだらけのかかとが削った跡なのだ!

やっとサンティアゴ・デ・コンポステーラの街に入る。星の形をしたモニュメントが迎えてくれる。カミーノの道路標識には人・自転車・トラクター・馬車は通行可能とある。それらの実物を全部この目で見たことがあるのでニヤリとする。
次に迎えてくれたのはロータリーの花壇にいたカモメ!サンティアゴから海までは85㎞。スペイン最西端の岬フィステーラまで歩けば3日かかる。サンティアゴに川はあるが大きな川ではない。なぜこの町にカモメがいるのか不思議だ。同じような宗教都市であり学生の街である京都の鴨川にもたくさんのカモメがいる。歴史的都市と大学とカモメの関係やいかに?
駅を左下に見て市街地を歩く。やっと大きな道から旧市街へと入る道にやってきた。ここを左に曲がると、修道院の一部がアルベルゲになっているセミナリオ・メノールに至る。5年前はここに泊まった。目指す大聖堂への道はまっすぐ。坂を下りきれば目の前に尖塔が見えるはずだ。

通勤の人たちが急ぎ足で歩いて行く。カテドラルの尖塔が1本見えてきた。心が高ぶる。一軒の店の看板に「MONONOKE」とあって「もののけ姫」の黒い「こだま」が描かれている。シャッターが閉まっているから分からないが、いったい何を売っているんだろう?「こだま」は森に住む精霊だが、宮崎アニメはカトリックの聖地でも市民権を得ているらしい。
坂の終点の信号に着いた。広場で正方形の編み物をパッチワークにした壁掛けが一面に展示してあった。写真の展示もあってすべて女性だ。スペイン語がわかればいいのに。こんな時は勉強するのだったと後悔する。

旧市街が懐かしい。やっと帰ってきた気がする。やっぱりいい町だ。
ザックを背負った若者が昨夜の雨で濡れた石畳みの上を歩く。この町には巡礼者が似合う。スペイン広場の手前の花壇が美しい。ここで5年前、足をブラブラさせている和子さんと再会したのだった。さあ、あのトンネルをくぐるとゴールのオブラドイロ広場だ!

まだ人は、まばらにしかいない。
ガランとした広場の真ん中まで行って振り返る!

とうーちゃこ!!

 3本の尖塔が僕を迎えてくれた。

(「こころ旅」の火野正平は70歳になっても、コロナが流行ってもまだ自転車で全国を走っている。これはやはり見習わねばならない!)

工事中だが2度目の大聖堂が目の前にそびえている!
やっぱり800キロは遠かった!
もう歩かなくていいぞ!
やりました!!
無事到着!
でも、一度目の感激はないな……。
いや、だんだんとくるのだ、きっと…!

周りを見渡すがハグをする相手がいない!

大聖堂は修復の途中で足場が組まれ、ブルーの網で3分の2が覆われている。見ることのできる2本の尖塔の上3分の1は、長年のガリシアの雨で苔むしていたのが、ピカピカになっていた。あれはあれで趣があったのだが、もう見られないのか!残念だ。
誰かにシャッターを押してもらおうと待っていたら、やっと顔見知りのカップルがやって来た。
「おめでとう!」
「がんばったね!」
お互いの健闘を称えあう。一緒に写真も撮って到着のセレモニー終了!!

なぜ夜明け前に宿を出たかというと、これから巡礼事務所に行って巡礼証明書を発行してもらうためだった。11時までに手続きをすると、その日の正午からの「巡礼者のためのミサ」で出発地と出身国が読み上げられ、無事到達したことが祝福されるのだ。
ところが、巡礼事務所が移転していた。以前は庭がある古い建物だった。階段を上っていく「ジュリエットの館」みたいで気に入っていたのに残念だ。
巡礼者の数が増えすぎて前の事務所では対応できなくなったのだろう。
看板に「Buen camino」をいろいろの言語で書いてある。英語は「Good way」日本語はなんと「正しい軌道」とある。これは違うよな!もう行列ができているので並んでいると、証明書を持ってドイツ人のクリスが前からやってきた。ソニャはいっしょではなかった。彼女はもう次の巡礼に出かけたのだろうか…。

証明書ももらったし、さて、大聖堂のヤコブ様に会いに行くか!
教会内部の工事はまだ始まっていなかった。人の数は前回より多い。巡礼者も増えたが観光客がやたらと多い。これから始まるミサは巡礼者のためのものなので歩いた巡礼者だけが特別に中央の席に誘導される。ミサはスペイン語なので内容は全くわからない。「ハポン」に耳をすますが聞き取れなかった。今日は特別の日ではないので大香炉(ボタフメイロ)は期待していなかったが、どうやら行われるようだ。(だれかが寄付をしたらしい。)
大香炉に火が入れられだんだんと堂内に煙がただよい始める。なかなかいい匂いだ。綱を引く男性は六人くらい。太いロープで天井に吊り上げられ、左右に揺れ始める。やがて、大香炉はうなりを立てながら頭上を何度も通過する。何回見ても感動する。これでミサは終わり、周りの巡礼者が抱き合っている。涙を流している人もいて、こちらまで温かいものが込み上げてきた。
お疲れさん!我々はヤコブさんに導かれてやっとここまで来れたんやね。

大聖堂に入ったときには、あまりにも混みあっていたので、吾輩はまだヤコブ様にごあいさつをしていない。階段をのぼって後ろから抱きつき、旅の報告と感謝を申し上げる。もうこれで思い残すことはないね。
いやいや、肝心なことがまだだった。ここにやってきたのはお灯明をあげるためなのだ。
そもそも1回目のカミーノは四国遍路の折、師走の伊予松山のユースホステルで同室の男性からの、「スペインにもお遍路のあるのをご存知か?」の一言で、すべてが始まった。
そして、そのお遍路のきっかけはその年の春に、娘の佳那が天国に行ってしまったことだった。前回の「フランス人の道」で出会ったドイツ人教授からいきなり「お前はなんでカミーノを歩いてるんだ?」と理由を聞かれ、ポロっと本当のことを言ってしまった。するとその男性は

「俺たち夫婦がカミーノを歩いている最中に母の危篤の連絡が入った」
「それで俺たちは国に帰って葬式すませ、またカミーノに戻ってきた」
 「俺はサンティアゴまで行って母親のために蝋燭を一本灯す」
 「お前も娘のために蝋燭を一本灯しなさい」

こんなやり取りのあったのが5年前だった。それからその病弱な佳那のことをいつも気にかけてくれていた親父が向こうに行ってしまった。
一冊目の本『星めぐりの旅人』の扉に「二人に捧げる」と名前を入れた。
この二人のおかげで2度目のカミーノを無事歩くことが出来たのだ。
聖堂の隅のひっそりした献灯台に行って、コインを2つ入れ蝋燭を灯した。

  

2020年7月22日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (44)


711028 棚橋正人
712日(水)サンタ・イレーネ(Santa Irene)~ モンテ・ド・ゴソ(Monte do Gozo) 



ここのアルベルゲは朝食が出る。焼いたパンとオレンジジュースにカフェコンレチェ。気持ちのいい朝だ。ソニャとクリスはもうすっかり支度が出来ている。彼女たちは今日中にサンティアゴまで行くらしい。ブエンカミーノ!またどこかで会いましょう!良い旅を!行ってらっしゃい!

今日の行程はモンテ・ド・ゴソまでの18キロなので楽勝だ!そのまま歩いてもゴールまでは5キロくらいなのだが、早朝にサンティアゴ大聖堂に着きたいのでモンテ・ド・ゴソに1泊する。
 国道わきの歩道を行くとまもなく村を通り抜ける。石造りの家が続く。どの家にも花が咲いているのがきれいだ。畑にゼンマイのようなのが植えられていた。なんだろう?

 国道を横断する所にアルベルゲの看板が恐ろしいほどが立っている。これは5年前にはなかった。近年、スペイン巡礼はブームとなり2000年には年間5万人だった巡礼者が2012年には20万人となり、2017年には30万人と右肩上がりで増えている。日本ではあまり知られていないが、世界中から巡礼者が集まってくる。当然、安い公営アルベルゲから人があふれ、私営アルベルゲに流れる。以前は町の体育館などを開けて巡礼者を泊まらせていたが、これは商売になると考えた人が出てきたのだろう。それで10軒ほどのアルベルゲの看板が国道の中央分離帯に突き刺さっている。カミーノにおける新自由競争もこのように過熱しているのだ。

 国道から森に入る。細くて高い木はユーカリだ。下を向いて歩いていてもユーカリの葉は細長い三日月型なのですぐにわかる。ユーカリがあると揮発性の強い香りがすると福井さんが書いていたが、鼻の利かない僕は感じない。
ユーカリはそもそもオーストラリアの木でスペインに自生する木ではない。パルプの原料にするために成長の速いユーカリを植林したのだというが、生態系の維持や山火事との関係を考えるとどうなのだろうか?

 村の中でもう一度国道の下をくぐるトンネルに入る。抜けたところに車が一台停車している。黄色と青のツートンカラー。側面に棒に巻き付く蛇のマーク。これは救急車に違いない。この辺りはよく巡礼者が倒れるところなのだろうか?マラソンのゴール地点に救急車が待機していることがあるから、そうなのかもしれない。あの蛇マークが以前から気になっていたので調べてみた。
これはギリシア神話の医者の神様アスクレーピオスからきている。その神様の手にしているものが杖とそれに巻き付く蛇なのであるそうな。杖は旅人を、蛇は知恵をあらわすものらしい。ちなみに外国の救急車は有料の場合があるので旅行保険には入っておいた方がよさそうである。
道は切通しを上っていく。シダがはえる森を歩く。土の道は足に優しい。
昨日、見かけた、手をつないだカップルが前を歩いている。マウンテンバイクの少女があえぎながら坂を上がっていく。一目見て乗り慣れてないのがすぐわかる。歩いて押した方が楽だよ!
次に現れたのが女子高生ヤンキー集団。それはスポーツブラではないの?という軽装で道端にたむろしている。君たちの関心はなに?視線の先には男子たち。おそらく学校行事で無理やり、イヤイヤ歩いてるんだろうな。引率の先生らしき人はいないから、先回りしてどこかで待っているのだろう。
 

再び国道に出た。5年前はここにコーラ売りのお兄さんがいたのに、今日はいない。残念!日が高くなってきて喉が渇いた。ここからはサンティアゴ飛行場のフェンスに沿って歩く。今回、帰路パリまでの移動は飛行機にしたので、ここから飛ぶことになる。荷物満載のマウンテンバイクの青年が、大勢のヘロヘロ歩き遍路を立ちこぎで追い越していく。カッコイイ!俺も次は自転車にしよう!
 
 でかいバルが見えてきた。ここは覚えている。近くに教会と公園があって土産物をたくさん売っていた。あんまり人が多いので今日はスルー!土産物屋も出ていなかった。そのすぐ先に急な登りがあった。長身の男性と小柄な女性の自転車二人組が坂道で苦労している。峠で一息ついていると彼らもようやくあがってきた。二人はニュージーランドから来たご夫婦。お年は40代くらい。バックにつけたキウイバードの人形が可愛かった。写真を撮らせてもらったが、その身長差は70センチくらいあった。先日、前の席の英語の先生から「キーウィ・ハズバンド」という言葉を教えてもらった。キーウィという鳥はオスが巣作りをして2か月半卵を温める。子育てもするので「育児に協力的な夫」をそう呼ぶのだそうだ。これをこのとき知っていたら詳しい話がきけたのに残念だ。ちなみに本物のキーウィはメスがオスより1.3倍くらい身体が大きいらしい。
畑と森を抜けてテレビ局までやってきた。モンテ・ド・ゴソまでもう少し。暑くて死にそうだと思ったらまたバルがあった。エーイ!今日はバルのはしごだい!同じような巡礼者がぐったりとビールを飲んでいる。ここは木陰がいっぱいあって風が気持ちいい。「お願い!生ビールください!」
 

もう登りはないのでバルを後にぶらぶら歩く。モンテ・ド・ゴソの丘が見えてきた。あそこまで行けばサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の三本の尖塔が見えるはずだ。丘の頂にある小さなサン・マルコス教会にお参りする。その近くに前法王ヨハネ・パウロ二世の巨大な記念碑があってここもグルリとまわってみる。実に5年ぶりなのだ!
ここからはまだ大聖堂は見えない。左に丘を下って行った高台に2人の巡礼者の像があり、そこからようやくカテドラルが見える。
それで、先に収容人数800人という巨大アルベルゲの受付を済ませることにした。ここはアルベルゲ団地と言ってもいいところで丘の上から階段状にアルベルゲが並んでいる。棟数は20くらいあると思う。混んでいるかと思ったらまったくのガラガラだった。あの高校生団体はどこへ消えたのだろうか?まあ静かなのはいいことだ。
  ベッドの下の段を確保してシャワーを浴びる。洗濯をする。今日は天気がいいからよく乾きそうだ。こんなことがとても嬉しい。巡礼の一日はとてもシンプルで分かりやすい。
 シエスタをすませて再び丘に登っていく。この丘を「歓喜の丘」という。
ブロンズの巡礼者が二体、カテドラルを見つめて歓喜の声を上げている。
中世の人の杖は長く、先にはホタテ貝とひょうたんが括り付けてある。
かれらの視線の先に本物の大聖堂の三本の尖塔が見えた。やっとここまできたか!丘には腰を下ろして夕陽を待っている女性が二人。それ以外に人はいない。ほとんど独り占めだね!

初めてこの丘に立った時、空から声が聞こえてきた。

「遠いハポンからよー来た!よー来た!」

「えらかったなー!」

「ご苦労やったのー!」

「偉い!偉い!」

「お前はほんまにようがんばった!」

あれはきっとヤコブ様に違いない!

ほめてもらうとほんとうにうれしい!ある程度の年齢になると人から褒められることは皆無となる。「五十の手習い」の効用の一つは、全くの初心者となって「習い事」をすると先生がほめてくれることだと思う。それがたまらなくうれしいのだ。年甲斐もなく顔をくしゃくしゃにして涙が出るほどうれしい。
そして、天の声は親父の声かも知れないと思う。
一冊目の本『星めぐりの旅人』は父に読ませることができなかった。
僕の旅好きと山好きは父方のDNAだ。名古屋に住んでいた祖父は子どもだった親父をハーレーのオートバイのタンクの上に乗せ信州まで走ったという。
昭和3年生まれの親父のアルバムには学友3人と常念岳から槍ヶ岳を望む姿がある。それは中学3年とあるから昭和18年。太平洋戦争の戦局が悪化し、学徒出陣の始まった年である。彼らはどんな思いで山をみていたのだろう…。
その父ももうあちらに行ってしまった。今日もこの空の上からきっとニコニコしながら見てくれているに違いない。

 歩きながらよく会話をしている。もう一人の自分との時もあるし、亡くなった人たちとのこともある。話したい友達を登場させて語りかける。その時の自分は『ハウルの動く城』のソフィーの如く、魔女によって老人にされたことにして、中身は若者なのである。そんなわけはなのであるが気分はAOHARU(青春)なのだ。

以前あった坂の下のレストランは閉まっていた。オスピタレロに聞くと「食料を買うならもう一度坂を登ってバル兼食料品屋までもどれ」という。しかたないのでエッチラオッチラ行くことに。店に着いたらのどが渇いてまたセルベサを頼んだ。実にうまい!ほろ酔いで店を出ると通りは無人。夕暮れまではまだまだ時間がある。宿でパスタを茹でて晩飯にしよう。ガランとした巨大アルベルゲ団地がやけに寂しい。

明日はいよいよゴール。長かったカミーノもついに終わってしまう。

うれしいようなわくわくもあり、悲しいようなせつなさもある。

 だれかとカテドラルで会えるだろうか?会えるといいなー!

眠くなってきたぞ!

ともかく明日、まちがいなくサンティアゴ・デ・コンポステーラに着く!

おやすみなさい。

明日のこころだー!!