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2020年7月22日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (44)


711028 棚橋正人
712日(水)サンタ・イレーネ(Santa Irene)~ モンテ・ド・ゴソ(Monte do Gozo) 



ここのアルベルゲは朝食が出る。焼いたパンとオレンジジュースにカフェコンレチェ。気持ちのいい朝だ。ソニャとクリスはもうすっかり支度が出来ている。彼女たちは今日中にサンティアゴまで行くらしい。ブエンカミーノ!またどこかで会いましょう!良い旅を!行ってらっしゃい!

今日の行程はモンテ・ド・ゴソまでの18キロなので楽勝だ!そのまま歩いてもゴールまでは5キロくらいなのだが、早朝にサンティアゴ大聖堂に着きたいのでモンテ・ド・ゴソに1泊する。
 国道わきの歩道を行くとまもなく村を通り抜ける。石造りの家が続く。どの家にも花が咲いているのがきれいだ。畑にゼンマイのようなのが植えられていた。なんだろう?

 国道を横断する所にアルベルゲの看板が恐ろしいほどが立っている。これは5年前にはなかった。近年、スペイン巡礼はブームとなり2000年には年間5万人だった巡礼者が2012年には20万人となり、2017年には30万人と右肩上がりで増えている。日本ではあまり知られていないが、世界中から巡礼者が集まってくる。当然、安い公営アルベルゲから人があふれ、私営アルベルゲに流れる。以前は町の体育館などを開けて巡礼者を泊まらせていたが、これは商売になると考えた人が出てきたのだろう。それで10軒ほどのアルベルゲの看板が国道の中央分離帯に突き刺さっている。カミーノにおける新自由競争もこのように過熱しているのだ。

 国道から森に入る。細くて高い木はユーカリだ。下を向いて歩いていてもユーカリの葉は細長い三日月型なのですぐにわかる。ユーカリがあると揮発性の強い香りがすると福井さんが書いていたが、鼻の利かない僕は感じない。
ユーカリはそもそもオーストラリアの木でスペインに自生する木ではない。パルプの原料にするために成長の速いユーカリを植林したのだというが、生態系の維持や山火事との関係を考えるとどうなのだろうか?

 村の中でもう一度国道の下をくぐるトンネルに入る。抜けたところに車が一台停車している。黄色と青のツートンカラー。側面に棒に巻き付く蛇のマーク。これは救急車に違いない。この辺りはよく巡礼者が倒れるところなのだろうか?マラソンのゴール地点に救急車が待機していることがあるから、そうなのかもしれない。あの蛇マークが以前から気になっていたので調べてみた。
これはギリシア神話の医者の神様アスクレーピオスからきている。その神様の手にしているものが杖とそれに巻き付く蛇なのであるそうな。杖は旅人を、蛇は知恵をあらわすものらしい。ちなみに外国の救急車は有料の場合があるので旅行保険には入っておいた方がよさそうである。
道は切通しを上っていく。シダがはえる森を歩く。土の道は足に優しい。
昨日、見かけた、手をつないだカップルが前を歩いている。マウンテンバイクの少女があえぎながら坂を上がっていく。一目見て乗り慣れてないのがすぐわかる。歩いて押した方が楽だよ!
次に現れたのが女子高生ヤンキー集団。それはスポーツブラではないの?という軽装で道端にたむろしている。君たちの関心はなに?視線の先には男子たち。おそらく学校行事で無理やり、イヤイヤ歩いてるんだろうな。引率の先生らしき人はいないから、先回りしてどこかで待っているのだろう。
 

再び国道に出た。5年前はここにコーラ売りのお兄さんがいたのに、今日はいない。残念!日が高くなってきて喉が渇いた。ここからはサンティアゴ飛行場のフェンスに沿って歩く。今回、帰路パリまでの移動は飛行機にしたので、ここから飛ぶことになる。荷物満載のマウンテンバイクの青年が、大勢のヘロヘロ歩き遍路を立ちこぎで追い越していく。カッコイイ!俺も次は自転車にしよう!
 
 でかいバルが見えてきた。ここは覚えている。近くに教会と公園があって土産物をたくさん売っていた。あんまり人が多いので今日はスルー!土産物屋も出ていなかった。そのすぐ先に急な登りがあった。長身の男性と小柄な女性の自転車二人組が坂道で苦労している。峠で一息ついていると彼らもようやくあがってきた。二人はニュージーランドから来たご夫婦。お年は40代くらい。バックにつけたキウイバードの人形が可愛かった。写真を撮らせてもらったが、その身長差は70センチくらいあった。先日、前の席の英語の先生から「キーウィ・ハズバンド」という言葉を教えてもらった。キーウィという鳥はオスが巣作りをして2か月半卵を温める。子育てもするので「育児に協力的な夫」をそう呼ぶのだそうだ。これをこのとき知っていたら詳しい話がきけたのに残念だ。ちなみに本物のキーウィはメスがオスより1.3倍くらい身体が大きいらしい。
畑と森を抜けてテレビ局までやってきた。モンテ・ド・ゴソまでもう少し。暑くて死にそうだと思ったらまたバルがあった。エーイ!今日はバルのはしごだい!同じような巡礼者がぐったりとビールを飲んでいる。ここは木陰がいっぱいあって風が気持ちいい。「お願い!生ビールください!」
 

もう登りはないのでバルを後にぶらぶら歩く。モンテ・ド・ゴソの丘が見えてきた。あそこまで行けばサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の三本の尖塔が見えるはずだ。丘の頂にある小さなサン・マルコス教会にお参りする。その近くに前法王ヨハネ・パウロ二世の巨大な記念碑があってここもグルリとまわってみる。実に5年ぶりなのだ!
ここからはまだ大聖堂は見えない。左に丘を下って行った高台に2人の巡礼者の像があり、そこからようやくカテドラルが見える。
それで、先に収容人数800人という巨大アルベルゲの受付を済ませることにした。ここはアルベルゲ団地と言ってもいいところで丘の上から階段状にアルベルゲが並んでいる。棟数は20くらいあると思う。混んでいるかと思ったらまったくのガラガラだった。あの高校生団体はどこへ消えたのだろうか?まあ静かなのはいいことだ。
  ベッドの下の段を確保してシャワーを浴びる。洗濯をする。今日は天気がいいからよく乾きそうだ。こんなことがとても嬉しい。巡礼の一日はとてもシンプルで分かりやすい。
 シエスタをすませて再び丘に登っていく。この丘を「歓喜の丘」という。
ブロンズの巡礼者が二体、カテドラルを見つめて歓喜の声を上げている。
中世の人の杖は長く、先にはホタテ貝とひょうたんが括り付けてある。
かれらの視線の先に本物の大聖堂の三本の尖塔が見えた。やっとここまできたか!丘には腰を下ろして夕陽を待っている女性が二人。それ以外に人はいない。ほとんど独り占めだね!

初めてこの丘に立った時、空から声が聞こえてきた。

「遠いハポンからよー来た!よー来た!」

「えらかったなー!」

「ご苦労やったのー!」

「偉い!偉い!」

「お前はほんまにようがんばった!」

あれはきっとヤコブ様に違いない!

ほめてもらうとほんとうにうれしい!ある程度の年齢になると人から褒められることは皆無となる。「五十の手習い」の効用の一つは、全くの初心者となって「習い事」をすると先生がほめてくれることだと思う。それがたまらなくうれしいのだ。年甲斐もなく顔をくしゃくしゃにして涙が出るほどうれしい。
そして、天の声は親父の声かも知れないと思う。
一冊目の本『星めぐりの旅人』は父に読ませることができなかった。
僕の旅好きと山好きは父方のDNAだ。名古屋に住んでいた祖父は子どもだった親父をハーレーのオートバイのタンクの上に乗せ信州まで走ったという。
昭和3年生まれの親父のアルバムには学友3人と常念岳から槍ヶ岳を望む姿がある。それは中学3年とあるから昭和18年。太平洋戦争の戦局が悪化し、学徒出陣の始まった年である。彼らはどんな思いで山をみていたのだろう…。
その父ももうあちらに行ってしまった。今日もこの空の上からきっとニコニコしながら見てくれているに違いない。

 歩きながらよく会話をしている。もう一人の自分との時もあるし、亡くなった人たちとのこともある。話したい友達を登場させて語りかける。その時の自分は『ハウルの動く城』のソフィーの如く、魔女によって老人にされたことにして、中身は若者なのである。そんなわけはなのであるが気分はAOHARU(青春)なのだ。

以前あった坂の下のレストランは閉まっていた。オスピタレロに聞くと「食料を買うならもう一度坂を登ってバル兼食料品屋までもどれ」という。しかたないのでエッチラオッチラ行くことに。店に着いたらのどが渇いてまたセルベサを頼んだ。実にうまい!ほろ酔いで店を出ると通りは無人。夕暮れまではまだまだ時間がある。宿でパスタを茹でて晩飯にしよう。ガランとした巨大アルベルゲ団地がやけに寂しい。

明日はいよいよゴール。長かったカミーノもついに終わってしまう。

うれしいようなわくわくもあり、悲しいようなせつなさもある。

 だれかとカテドラルで会えるだろうか?会えるといいなー!

眠くなってきたぞ!

ともかく明日、まちがいなくサンティアゴ・デ・コンポステーラに着く!

おやすみなさい。

明日のこころだー!!

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