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2020年7月8日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (42)


711028 棚橋正人
710日(月) ソブラド ドス モンセス(Sobrado dos Monxes) ~ アルズア(Arzua)  22                              
サンティアゴまで残りあと60㎞。町は静かだ。開いているバルで朝ご飯。カフェコンレチェがうまい。
町はずれの丘から振り返って見る教会の尖塔が美しい。少しだけの上りでスピードダウン。団体さんに追いつかれる。「オラー!」「オラ!」
みんな眠そうだ。白髭の親父がやたら元気で隣のお姉さんに話しかける。よくしゃべるので「あんたは先生か?」と聞くと「ちがうよ、俺は。この人たちが先生だ」若く見えたが、周りの4人が引率の先生だった。



  女性が3人に男性1人。みんな10キロ以上あるザックを背負っている。先生も生徒と同じように歩くのだな。女性はみんな20代。しっかり日焼けしている。親分かと思った白髭親父はオーストラリアから来たピルグリムだった。道端でみんなのスナップを撮っていたらすっかり置いていかれた。沿道の花もきれいだ。ピンクの花を写していたら視界の中に全く誰もいなくなった。雨がまた降ってきた。さすがガリシアは雨が多いところだ。ザックにカバーをかけよう!そうでないと中身が全部濡れてしまうぞ。
4時間くらい歩いたら村の入り口に学校が見えてきた。高校生たちのサポートカーが駐車場に止まっている。運転していた先生が手招きをしている。「おやつを食べていってくれ!」と誘われた。そこで、自己紹介をして同業者だよと話した。ついでに、気になっていたことをいくつか質問してみる。

Q この子たちの年齢は? A 「12歳から17歳の学生」「15歳が多い」

Q みんな同じ学校か?  A 「ばらばらでマドリッドもバルセロナもいる」

Q 何キロ歩くのか?   A 「180㎞を8日間で歩く」

Q 引率の先生は何人?  A 「5人いて交代で車を運転する」

Q なんでみんな銀マットを持ってるんだ?

A 「アルベルゲのベッドが足りないときは床に銀マットを敷いて寝るため」

Q カミーノへは生徒の意志で来ているのか? 

A 「ほぼ親が決めている」

なるほど。親は自分が若いころ歩いたカミーノの値打ちを知っている。カミーノがその後の人生の宝物になった経験があるのだ。それを自分の子どもにも体験させたくて送り出したのだ。だから、高校生の中にはその意味も理解せず、いやいや歩いている奴もいるわけだ。

日本にも一定の年齢になると、村の若い衆が数人で四国遍路を歩いてくるという風習がある。これは一種の通過儀礼で、それを無事済ませると大人の仲間入りが認められる。四国参りの時に出会った若者は親が住職で「親父も若いころ四国を歩いたので自分も来ました」と言っていた。「フランス人の道」のアルベルゲでシェア飯に誘ってくれたイタリア人の若者は同じ村の友達と二人連れだった。彼らもカミーノを若いころに歩くのが村の風習だと言っていた。
スペインには若者がカミーノを歩いて試練を乗り越えるという文化がある。
私の中学校の林間学校は奈良の大峰登山だった。大阪南部には昔から大峰講があり、若者が山に登り山頂のお寺にお参りすることで一人前と認められる文化があった。女人禁制の山なので女子たちは隣の山を登った。高野山も昔は女人禁制だったが今は違う。地元の方の理解が進むのを期待したい。
当時、小学校の林間学校は高野山だった。宿坊に泊って、夜に肝試しをしたのを覚えている。修学旅行はお伊勢さんだったので、宗教施設ばかり回っていたことになる。これは江戸時代から続いていることで「旅=寺社参り」だったのである。それで、修学旅行のお土産は砂糖でできた伊勢神宮の御幣を親戚中に配ったのを覚えている。生まれた土地を離れることの出来なかった庶民が、唯一認められた移動が寺社へお参りすることだったのだ。伊勢参り・四国遍路・善光寺参りなどがそれにあたる。
中世のスペインでも庶民の旅行が自由に認められるわけはない。カミーノにも伊勢参りと同じような宗教・文化・娯楽の要素があったはずである。
後から読んだ本で、ヨーロッパの農民は良い土地を求めて移動することができたとあった。だとすれば、多く収穫のできる良い土地を探す目的もあったのかもしれない。

スペインの先生たちと話がはずんで一緒に写真を撮った。中の一人の女性は、日本に友達がいるのでこの仕事が終わったら日本に行くのだという。世界は狭い!
昨日、足を痛めてリタイヤするかもしれないという女子生徒がいた。女の先生が付き添って歩いていた。なんとかがんばらせようとするが、雨も降るし寒いしお腹は減るし足は痛い。彼女はもうギブアップ寸前に見えた。昨日、レストランで折った鶴の折り紙がバックにあったので「これはハポンの幸運の鳥だよ」と言ってその娘に渡した。反応は薄かったけれど受け取ってくれた。マラソンでもそうなのだが「もうだめだ!」と思っても、沿道の人の「がんばって!」の声援一つで何故だか涙が出て元気が蘇ることがある。僕は彼女たちを追い越し、その後がどうなったのかを知らない。そして、昨夜、宿で彼女がハポンから鶴をもらった話をみんなにしたそうだ。

「それはあなただろ?」
「そうみたいだ」

先生たちの笑顔はそれだったのだ!「パン食いねぇ!」「ジュース飲みねぇ!」
一期一会、情けは人の為ならず。ありがとう!先生たちもがんばって!

  遠足という行事は、昔は本当に遠くまで歩くことだった。「みんなで苦労しながら旅をする」これぞ本当の遠足ではないだろうか。数は少ないが、夜通し街道を歩かせる学校がある。峠を越えて長距離を歩かせる学校、高野街道を一日かけて歩かせる私立高校もある。これはとても良い教育だと思う。

わが奈良大学には学生の有志が奈良市内からお伊勢さんまで歩いて旅をするという行事がある。ここから得られた成果は計り知れない。それを中心になって取り組んでいた教授(元学長)の本がある。 
鎌田道隆 『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』 中公新書
25年にわたって調査・研究された「実験歴史学」の本である。これはおもしろかった。「可愛い子には旅をさせよ」これは思った以上に価値のある言葉だった。

さて、俺もまた歩くか!空模様はぐずついている。めざすアルズアまでは10㎞を切った。みんなの歩みはのろい。まわりはすべて緑。上り坂はなし。
新しいモホンがこれでもかというほど並んでいる。サンティアゴまで41㎞。アルズアまで3㎞。ようやく町が見えてきた。うれしいような、寂しいような。

まだ時間は早いが町の中は人が多い。公営のアルベルゲは避けて、案内所で私営のアルベルゲを紹介してもらう。きれいな宿だったが巡礼者は少なかった。さぁーシャワーと洗濯だ。この天気なら乾くかもしれないぞ!!

先生たちとの出会いが嬉しかった。日本に帰ったら「歩く遠足」の効能をみんなに宣伝して回ろう!
うん!これはいいことだ!と久しぶりのカミーノハイのお遍路だった。


(つづく)

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