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2023年8月15日火曜日

第28回奈良大学国語教育研究会報告

 第28回奈良大学国語教育研究会への多数のご参加ありがとうございました。おかげさまで盛会となりました。記念講演をいただいた鈴木喬先生、実践報告をいただいた岡部秀樹さん、棚橋正人さんに心より感謝申し上げます。いつも支えていただいている奈良大学の先生方、ご尽力いただき、ありがとうございました。
 来年の夏に皆様とお会いできることを楽しみにしております。連日猛暑が続きますが、お身体ご自愛くださいませ。

奈良大学国語教育研究会 会長 大呂広志


  日時 2023年8月5日(土)13:00~17:00
  場所 奈良大学 本部棟4階 中会議室

 懐かしい中会議室です。「コロナ」による影響で2020年は誌上開催、2021年はリモートで開催、昨年はやっと大学への入構が許され、完成予防のためと広い教室をお借りしました。中会議室で開催できたのは4年ぶりになります。研究会が立ち上がって30年目、いつもの会場に戻っての開催となりました。

    ◆開催の挨拶
        大呂広志 会長
    ◆記念講演
     「『万葉集』の文字表現-漢字専用時代の作品を読むということ-」
        鈴木 喬 先生(奈良大学国文学科准教授)

    ◆教育実践報告
     「あっという間の40年」
        岡部 秀樹 さん(当研究会前会長)
    ◆ワークショップ
     「ポルトガルと日本文学-巡礼路から見えたもの-」
        棚橋 正人 さん(当研究会前事務局長)

    ◆近況報告
        参加者全員の近況報告のコーナー


メモと感想
 鈴木先生の記念講演は現行の学習指導要領の内容を踏まえて、生徒に、漢字をどのように身近なものとして意識させるかという内容でした。高校生への模擬授業でも実践されているのは、身近なことばを漢字だけで書かせてみる試みでした。日本人が漢字という外来の文字(漢字)をどう工夫しながら日本語の中へ取り込んできたのかが、高校生にも理解しやすい内容でした。面白く興味惹かれるご講演でした。
 教育実践交流では、定年後も再任用教諭として働く岡部さんのこれまでの教員生活を振り返り、また定年後に初めて経験する通信制家課程でのレポートやスクーリングについてのお話でした。私たちがふだん授業としてイメージしているものとはずいぶん違うものであることを教えていただきました。
 ワークショップの棚橋さんは、これまで2度のサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼記事を、この研究会のブログでも公開しておられます。この度は三度目となる巡礼の報告。ポルトガルのリスボンからサンティアゴ・デ・コンポステラへ巡る旅の報告をしていただきました。旅の中で、自分の心がオープンになるまで、棚橋さんでも3日ほど時間が必要だとおっしゃいます。日常生活から心を解き放つことも大切さを教わったような気がします。

 参加してくれた学生さんからは、今日の話を聞いて、ぜひとも教員になりたいと思ったという感想を聞きました。学生さんの参加人数は多くはなかったのですが、私たちとしてはとても心強いことでした。
 いつもなら、会議室隣の展望ホールで「乾杯!」となるところなのですが、まだ懇親会を計画できる「日常」までは戻っていません。一部のメンバーで奈良市内某所において、お疲れさんと乾杯をして解散したのでした。






2023年7月17日月曜日

仁和寺にある法師  仁和寺から石清水八幡宮まで(5)


 


 

  5時間30分かけて、18kmほどを歩きました。歩いてみれば、それまで見えなかったものが見えるのではないかと淡い期待もしましたが、凡人の当方にはこれといったひらめきもありません。「亀さん、問題の列車に乗ってみようじゃないか」と言って、列車内から事件解決のヒントを見つけてくる十津川警部のようにはいかないのです。とりわけ、兼好の立場ではなく、「仁和寺にある法師」の立場でものが考えられるのではないかと思ったのも、考えすぎでした。


  現代、「法師」を擁護する意見もあるようです。例えば、今でいえば東京大学のように最高学府だった仁和寺のお坊さんがこんな失敗をしたということを書きとめることで、兼好は溜飲を下げたとか。また、都に住まいする者にとっては東にそびえている比叡山と比べれば、男山は低い低い山であって、俗人たちが踏み固めた山道は、畏怖を感じるに足りないとかいうものです(男山は標高143m、仁和寺の目の前にある双ケ丘は標高116mだそうです)。


  「仁和寺にある法師」が、仁和寺本家の僧だったのか、子院の僧だったのかは本文だけでは情報が足りません。また、それなりの年齢であることはわかるものの、僧としての位がどれほどであったのか、よくわかりません。それが明らかにされないと、「ただ一人徒歩より詣で」た意味が定まらないと考えられます。


  ただ、この桂川、宇治川、木津川に流れ込む水が、例外なく大山崎の狭い谷を通って大阪湾に流れ込むしかないと考えたとき、京の都からは、水の流れを頼りに下流へ歩いていけば石清水八幡宮のある男山の近くにたどり着くはず。兼好の時代、小椋池があったにせよ、下流を目指せば男山の近くを通ることになります。とすれば、「仁和寺にある法師」が「先達」をアテにしなかったのは、「先達」がなくてもたどり着けるという安心感があったからではないのか。


  私は5時間半かけて高良神社にたどり着きました。google師によれば、所要3時間39分。「法師」も3時間~4時間で到着したはず。しかし、その日のうちに、同じ距離を御室に向かって帰らねばならない法師を考えると、男山付近でのんびりしている余裕がなかったのではないかとも思われます。季節が明らかにされていませんが、もし冬至に近い頃なら、昼間は10時間を切っているはず。のんびり山登りなんぞしていられません。
  御室あたりに住まいする者にとって男山は、頑張ったら日帰りできるのに、「年よるまで岩清水を拝ま」ずにいた微妙な距離にあるのです。

2013月5月訪問

(「仁和寺から石清水八幡宮まで」 おしまい hill)






2023年7月16日日曜日

なかなか見えない男山  仁和寺から石清水八幡宮まで(4)

 

 

  13時38分。google師は、大胆にも徒歩ならではの道を指示してきました。名神高速道路、東海道新幹線を潜れと仰います。あと100mも歩けば車でも堂々と通れる国道478号線があるのに、妙に狭い道路を指定するものです。距離もほとんど同じはず。新幹線の下には、488k275mという表示されています。きっと、東京駅からの距離でしょう。私は4時間以上歩いている勘定になりますが、それだけの時間があれば、東京を出た新幹線が広島県に入っていることでしょう。


  新幹線の高架の向こうにあったものはダイハツ工業京都工場。今年で40周年だという幟が立てられていました。

  名神高速道路や新幹線を越えると、石清水八幡宮のある男山が見えるかと期待していたのですが、これが見えません。その理由は、大山崎ジャンクションと、京滋バイパスの高架がちょうど男山方面の視界を遮っているからでした。自分の目的とする南東方面は、長い間視界を遮られたままです。

  ここから三本の川を渡って男山に向かいます。まずは桂川。天王山大橋という立派な橋を渡ります。橋の上で八幡市に入ったという看板が目に入ります。

  「先達」は、橋を渡ったら、「左折して旧京阪国道に入れ。そのまま道なりに石清水八幡宮まで滑り込め」とおっしゃるのですが、歩道のある側、進行方向に向かって左側から左折しようにもこの交差点(京守)には横断歩道がありません。仰せの通りに行くにはこの交差点を過ぎて、脇の道を戻るようにして、下にある旧京阪国道まで下がる必要があります。それならばと、交差点を過ぎてクルマがいないのを見計らって車道を渡り、堤沿いの道路へ出るほうが楽に思われます。それに、車道を渡ったら、京滋バイパスの高架の陰で涼しそうです。


  やっと、男山が邪魔ものなしに見える場所に来ました。カードレールに隠れて腰を下ろし、靴も靴下も脱いで休憩する。川から吹く風の心地よいこと。土踏まずあたりや、向う脛の辺りをマッサージする。これがまた気持ちのよいこと。高架橋や高規格道路に囲まれたところなのに、田んぼがあって田植えの準備をする人たちがいます。今日歩いたなかで一番、和む場所かもしれません。


  14時14分。10分ほどの休憩の後、歩き始めます。それにしても男山の小さいこと。たとえ視覚を遮るものかなくても、遠くからは見えないはずです。


  旧京阪国道を八幡市駅方面に向かって歩きます。2本目の宇治川を渡る橋の名は御幸橋(ごこうばし)。3本目の木津川を渡る橋の名も御幸橋。ふたつでワンセットの橋なのでしょう。ついでに、google先生の地図では、2本目に渡った川は宇治川ですが、国土交通省は、この位置に「淀川」の看板を立てています。三川合流はまだ下流ですが、合流する時の本家筋は2本目の宇治川ということになるのでしょう。


  まっすぐまっすぐ歩いて京阪電車の踏切を越えたら、石清水八幡宮の一ノ鳥居に至ります。




  14時49分。一ノ鳥居を越えて、頓宮を過ぎると右手にある小さな社が高良神社。八幡の氏神だそうです。よくこんな小さい社を本殿と間違えたなと思いますが、昔はもっとずっと大きく華やかだったらしい。極楽寺は鳥羽伏見の戦いで焼失したままで現存しないとのこと。


  仁和寺の二王門から高良神社まで5時間30分もかけて歩いてきました。写真を撮ったり、休憩したりしての道中。リタイヤせずに、どうにかここまで歩いて来られました。

 (つづく hill)

 









2023年7月15日土曜日

現代の大動脈に沿って     仁和寺から石清水八幡宮まで(3)

 

 

 11時34分。久世橋を渡って少し歩くと上久世の交差点。足を広げた巨大な蜘蛛のように歩道橋が交差点に覆いかぶさっています。
 この交差点の手前に昔の街道のような、そそられる通りがあって、それを通っても同じ方向に行けそうなのですが、ここは「先達」の教えにしたがって、国道171号沿いの歩道を歩くことにします。後で調べると、そそられる通りが西国街道のようです。いつか、この西国街道を歩いてみたいものです。
 その巨大な蜘蛛の上にある空を眺めると、飛行機雲が一本。綺麗な色合いだと思った瞬間、頭痛がしたような…。まずい、熱中症かもしれません。ビルの陰であわてて、水筒を取り出します。五条通を渡ってからはほとんど日陰がありませんでしたからね。

 とりあえず、休むところはないかと思っていたら、拾う神もあるもんです。国道から少し入ったところに厳嶌神社という神社があって、休憩をさせてもらいます。日向の暑さが別世界のように木々に囲まれた境内。桂川が近いということは、水運にかかわりのある神社なのでしょう。10分ほど休憩させてもらいました。神社の軒下で、例のマップを印刷したプリントをつなげて、ゴールまでの長さを知ります。日陰にいるのにクラッとしました。
 また国道沿いの歩道を歩きます。ところが、さっきの休憩で一気に疲労がきた気配。向う脛が痙攣を起こしかけています。つま先を上げるという何でもないようなことも歩数が重なると、大きな疲労になるようです。それに、下半身の蝶番がガタガタしている気もします。これまでと同じように歩いていると、向う脛が辛いので、やや外股気味に歩いてみたり、足首を大げさに動かしながら歩いてみたりしてだましだまし歩きます。しかし、まだ10kmも歩いていないはずなのですが、日頃からの鍛錬が足りないことを実感します。頭の中で、「リタイヤ」の文字が浮かんだり消えたり。


 さて、風景はというとさすがに国道。天神川沿いにはなかったファストフード店やレストラン。「M」も「吉」も「王」もパスタ屋さんの「J」も、なんでもあるという感じです。昼時。どのお店もお客さんがいっぱい。


 ひたすらまっすぐな国道171号線を歩きます。とりあえず、向日市に入った模様。佐川印刷の近くで流れている小さな川を、おじさんが覗きこんでいます。私も倣って覗いてみると大きな鯉がいくつも泳いでいます。天神川には魚がまったく見えなかったのと対象的です。
 12時20分。もうすぐ名神高速道路と合流するというところで、道路沿いのワークマンに寄ります。手袋がほしいと思っていました。日差しをさえぎるために、デニムの長袖を着てはいるのですが、手の甲はむき出しのままです。甲だけ日焼けするのも具合が悪い。軍手の指先をちょん切った手袋を買いました。このお店でちょっと休憩。
 雲もほとんどない快晴。気温が約30度。わずかに風があるのが幸いです。太陽が高い位置にあるので建物の影もほとんどなく、歩道に街路樹もありません。当方のいでたちは、帽子にサングラス、田吾作風にタオルを首に巻いて、デイパックと首から下げたカメラ。それに先ほど買った白い軍手。相当怪しい。


 国道171号線が名神高速と合流。高速道路を中央にして片側2車線の一般国道が上下線で挟み込む形です。google先生は、上り線(京都方面行き)の歩道を通れと指示されています。でも、指示通りだと日陰もほとんどないので、教えに背いて下り線(大阪方面行き)の歩道を歩くべく、名神高速道を潜りました。ところが、すぐに歩道がなくなってしまいました。先生は偉い!と、また上り線方面へ戻ります。


 右手後方から東海道新幹線の高架が近付いてきて、名神高速道路をまたぎます。ということは、名神高速のほうが先にできたわけですね。それだけの高さが新幹線にはあるのに、橋脚は意外とスリム。地震のとき大丈夫かなと心配になります。


 しばらく進むと、自転車に乗った親子が田んぼを注視しています。この辺りは工場ばかりなのですが、こうして田んぼも残っています。この辺りはもともと延々と田んぼだったんでしょう。それが高度経済成長期に名神高速が走り、新幹線が走り、工場がいっぱい立ち並び…と変化して。そんな想像をしながら親子の視線のほうを見ると、アオサギが蛇を咥えています。生き物を見るとうれしくなりますね。
 国道に交差するように三菱通なる道路がありました。近くには三菱電機の大きな工場。工場と同時に道路も田んぼのなかに作ったということなのでしょう。この辺りから長岡京市に入ります。
 道路沿いの家電量販店、ジョーシンでまた休憩。おっと、サングラスと手袋は取らなきゃ。マッサージ機のデモに視線が釘付けになるも、理性をもって通過。こうしてだましだまし、男山まで歩いていこう。


 このあたりは、工場や倉庫ばかりで、その間に住宅が入り込んでいます。けれども国道沿いにもあまり店舗がなく、人通りもまばら。2車線の国道を車だけが疾走する、どちらかというと殺風景な景色です。もちろん、名神高速道路は防音壁のお陰で、様子はまったくわかりません。


 また彩雲が見えました。けれどもどう頑張ってアングルを工夫しても、送電線や鉄塔が視界に入ってしまいます。やはり、ここは工業地帯です。


 13時35分。名神高速道路と国道171号が右に回り込みだすと、そろそろこの道路ともお別れです。ずっと右手にはサントリーのビール工場のタンクも見えます。

(つづく hill)











2023年7月8日土曜日

第28回奈良大学国語教育研究会のお知らせ

 

 小暑の候 研究会の皆様におかれましては、益々のご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて、過日お知らせした第28回奈良大学国語教育研究会を以下の内容で開催いたします。ご多忙の中恐縮ですが、お誘い合わせの上ご参加の程よろしくお願い致します。

 日時 2023年8月5日(土)午後1時開会

 場所 奈良大学 本部棟4階 中会議室

 会費 1000円(学生無料)

 内容 ◆記念講演
     「『万葉集』の文字表現-漢字専用時代の作品を読むということ-」
        鈴木 喬 先生(奈良大学国文学科准教授)
    ◆教育実践報告
     「あっという間の40年」
        岡部 秀樹 さん(当研究会前会長)
    ◆ワークショップ
     「ポルトガルと日本文学-巡礼路から見えたもの-」
        棚橋 正人 さん(当研究会前事務局長)

 参加申し込み

   メールアドレスを把握している皆さんにはメールで申し込みフォームの

   アドレスをお送りします。
   7月22日(土)までにお申し込みください。 

  
 懇親会
   午後6時30分より「テバス高の原店」で予定しています。

 リモート参加
   「Zoom」での参加希望があれば研究会参加フォームでご相談ください。
 その他
   大学での宿泊を承ります。ご利用ください。
   ワークショップで参加の皆様の近況報告をお聞かせいただければ幸いです。

  暑い、暑い夏がやってきます。皆様にお会いできる日を楽しみにしています。

 奈良大学国語教育研究会
  会長 大呂 広志


2023年7月7日金曜日

天神川を下る     仁和寺から石清水八幡宮まで(2)

  

    

  9時49分。やがて御室川は東から合流してきた天神川と合流します。地図で川の形を確認すると、合流するのは天神川のほうなのですが、名称上は逆になって、合流以降は天神川となります。



 この天神川は上流では紙屋川(優雅なネーミング!)と呼ばれていて、「しょうざんリゾート」の横を流れている川です。その紙屋川は北野天満宮の横を流れているために、天神川と名前が変わるとか。


 その合流地点は御池通の北側。東側には蝶の幼虫のような建物が見えます。こういうユニークな建物はきっと浄水場なのでしょう。西は地下鉄東西線の終点、太秦天神川駅があるはずです。


 三条通と嵐電をまたいで南へ南へ。京都外国語大学の体育館を過ぎます。国道162号の歩道は、川べりの桜の木が日陰を作ってくれて、とても歩きやすい。一方、国道の西側の歩道には日陰がまったくありません。枝ぶりからいって、昼過ぎまでは東側の歩道がお得です。


 四条通から南へは国道ではなく、天神川の東側堤を歩きます。一人が通るのがやっとくらいの桜のトンネルができています。太い幹で頭を打たないように気をつける必要はありますが、日がな1日涼しいトンネルであるはず。


 10時12分。ゆったりとした公園を過ぎると、スーパー歩道橋(勝手に名前をつけました!)が見えます。西万寿寺歩道橋。川の堤が周辺よりも高くなっているので、歩道橋を渡るには2階分ほどの階段を上がらなければなりません。どうしてここだけこんな妙な歩道橋があるのだろうと、歩道橋の上から車道を見下ろすと、歩道を作るだけの広さがないことがわかります。おまけに、公園の隣は小学校。児童の通学用だなと納得しました。歩道橋の上からは遠くに比叡山が見えます。西側は嵐山辺りと思われる山々が見え、私の目標地点はどこだろうと南方面を眺めるものの、送電線と街中の建造物しか見えません。


 天神川沿いは工場が多いように思われます。都の外れだったんでしょう。帰って調べると、天神川あたりが平安京の西の端っこにあたるようです。

 五条通を過ぎると、桜のトンネルはなくなってしまいます。天神川の東側歩道には日影がまったくありません。やがて、川の西側に森と、その上に聳える大きな照明。西京極総合運動公園。「都大路を駆け抜ける」という全国高校駅伝のあの公園ですね。公園の隣に阪急電車の駅があり、その線路の下を潜って南へ歩きます。


 いよいよ、木陰はまったくなくなってしまいました。それに京都の街中では立派な何条通と名前を付けられた道路もこのあたりまでやってくると、しょぼい道幅になってしまいます。やはり平安京の一番端っこです。


 天神川に沿ってずっと下ってきているのですが、川には魚の一匹も見えません。魚の生息できる環境ではないのかな。八条通が近づいてきたところで、カモが水に遊んでいるのが見えました。3キロほど川沿いに歩いてやっと見つけた「動く生き物」です。
 10時35分。桂小橋のほとりのローソンで、朝食代わりのパンと野菜ジュースを買って、軒下で食べます。今日は食べ物に恵まれません。「吉」とか「M」とか、それらしいお店がここまで見つからなかったのです。こういう日は水分をしっかり摂らなければ大変な目に遭うと、でっかいパックの野菜ジュースを流し込みます。

 10時52分。再び歩き始めます。天神川の左右どちらの岸を通っても、車では通れない道。google師は、ここから徒歩かせいぜい自転車しか通れない道を通るよう指示されたのでした。雲もほとんどない青空。見上げるとサングラス越しに彩雲が見えます。これはラッキーかも。何かいいことが起こりそうな予感がします。小学生がサッカーの練習をしているグラウンドを過ぎると、嵯峨野方面からやってきた桂川が近くなり、JR京都線(本名、東海道本線)、東海道新幹線の線路を潜ります。
 11時9分。この先で、天神川は桂川と合流します。二本の川の間にある堤には桜の木がびっしり。花の季節にはさぞ見事な咲きっぷりだろうと想像できます。でも、新幹線からは見えても、一瞬で通り過ぎてしまうでしょう。


 桂川の左岸。私が歩いているのは自転車道のようです。道幅は3mくらい。舗装されていて自転車で走る人が多くなります。移動のために乗っているのではなくて、スポーツ目的で乗っている人が多く、徒歩組も前後に気をつけながら歩くことになります。建物の間から京都タワーの上部がわずかに見えます。
三川合流点から10kmという碑が道ばたに立てられています。三川合流とは、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる地点であり、今日の目的地のやや下流にあたる。ということは、まだ10km近くは歩かなければならないということですね。

 11時27分。トラス橋の久世橋で桂川を渡ります。google師は桂川沿いでなく、国道171号を通るルートを指示されています。向こう岸に屋形船が係留されていて、その屋根に「やみづい」と書かれています。何だろうと思っていたら、「いづみや」という遊船料理屋さんの船でした。桂川に出した船でおいしいものを食べて一杯飲むという優雅な遊びがあるわけですね。

(つづく hill)


2023年7月6日木曜日

先達はgoogle師    仁和寺から石清水八幡宮まで(1)

 高校1年。古典の授業で、「仁和寺にある法師」という徒然草の中の文章を勉強したことを覚えています。何十年も前のことになのに、その時の先生の顔も、教室の雰囲気も不思議なことによく覚えています。
 京都のお寺のお坊さんが、石清水八幡宮に詣でに行ったのに、ふもとの社で満足して、石清水八幡宮を御参りした気になって帰ってきたという話。よく覚えているのは、石清水八幡宮という神社の名前に思い入れがあったからだと思います。小学生のころ読んだ、エジソンの伝記。京都にあるという石清水八幡宮の竹が電球のフィラメントに使われたという話。
 Googleマップで、仁和寺と石清水八幡宮の徒歩での距離を測ってみると、18kmほどと出ました。これまで考えてみたことはなかったけれど、歩いてみたくてみたくて…。季節的には、もう少し歩きやすい時期のほうがいいのでしょうが、秋まで待てない。

   

 というわけで、ある日曜日、まずは仁和寺を目指します。
  仁和寺へは10年ほど前に来たことがあります。桜にはまだ遠い、冬のことでした。それに、仁和寺の二王門は、よくサスペンスドラマで出てくるところ。「京都殺人案内」の音川音二郎(藤田まこと)も、この門の下で何度か関係者(たいがいは美人ですね)から事情を聞いたはず。門の前から見上げると、二王門はテレビで見るより、ずっと小さいです。


  その二王門の下に立って南を見ると、正面のつきあたりが嵐電の御室仁和寺駅。その背後にそびえるのは、双ケ丘です。


  9時20分。出発します。持ってきたのは、ルートを表示させたgoogleマップを何枚かに分けてプリントしてきたもののみ。「先達」、つまり道案内人はgoogle師というわけです。徒歩でのルートを師匠に案内してもらいました。これがiphoneやipadの使い手なら、じかに画面を見ながら歩くことになるのでしょうが、そんな今風の人間でもない当方、クリアファイルに挟んだプリントだけが頼りです。google師の仰せのとおりに、和風の御室仁和寺駅まで歩き、住宅の中を東に折れる。御室小学校の前を南に折れ、あとは道なりにずっと下っていく塩梅です。



  すると、住宅街は町内の清掃日なのか、住民たちがみんなで作業をしているのが見えます。「和(なごみ)のまち御室」とネーミングされているこの町は、かつて、(あのオムロンの)立石電機があったところだそうです。道路沿いの公園には、「オムロン発祥の地」の碑が据えられています。2000年に会社が移転したあと、この住宅地に生まれ変わったということは、帰宅してからわかりました。さらに、宅地に変わるときに、発掘調査をした結果、仁和寺の子院(大きなお寺に付属する寺院)があったということがわかったとか。


  9時30分。その公園のすぐ南に長泉寺という寺があって、そこには、「兼好法師舊跡」という碑がありました。寺には兼好の墓もあるらしい(非公開だって)。晩年の兼好が双ケ丘で住まいしたのはこの寺かと思うのは早とちりで、別のところにあった墓を、後にこの寺に移したという話。あとで、googleストリートビューで確認したら御室小学校の入り口にもほぼ同じ碑が置かれています。気付かずに通ってしまったわけですね。


  長泉寺を過ぎて、双ケ丘中学校の脇を抜けて丸太町通へ出ます。丸太町通の向こうはJR嵯峨野線(正式には山陰本線)。花園駅のすぐ近くです。google先生の仰せに従い、線路の下をくぐって、御室川に沿って歩きます。徒歩ならではのルートです。川に並行して走るのは国道162号。広い道路で歩道もあります。八幡市にある石清水までどれくらいかかるのだろう。

(つづく hill)