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2015年1月31日土曜日

第20回研究会の日が決まりました

 (記事の最後のほう、日付が間違っていたので訂正しました。失礼しました。)
 
 久しぶりのお知らせです。
 今夏の研究会、第20回奈良大学国語教育研究会の日が決まりましたのでお知らせします。
 2015(平成27)年8月1日(土)です。詳細な情報は、決まり次第お知らせする予定です。

 今年で研究会は20回目を迎えます、研究会の内容も20回記念にふさわしいものを計画していきたいと考えています。どうぞご期待ください。


 月の形がこんなだった日に、西大寺駅近くの某居酒屋で、研究会事務局のメンバーに大学の先生方にも加わっていただいて、日の設定やこれからの段取りについて相談しました。
 会員のみなさんには、まずは、予定表の8月1日の欄に、「奈良大学国語教育研究会」とご記入くださいますよう、お願いいたします。

奈良大学国語教育研究会
会長  岡部秀樹

2015年1月23日金曜日

看板2枚

 妙な看板を見かけるとうれしくなりませんか。
 大阪、大正区で2枚、見つけました。

 大正区でなんで、「お茶の水女子大学」の看板が?と早合点してしまったのですが、 まったく無関係でした。でも、これは何を訴えているのだろう。お店で働く女性の従業員を募集しているということなんだろうか。それとも、このビルのテナントとして入るお店を募集しているということなんでしょうか。伝える内容のはっきりしない看板です。しかし、考えさせられたということは、看板として成功かもしれません。


 次は、夏場には敬遠したくなるような屋号だなと思ったこと。もちろん、言いたいことは、「中華料理に必要な強い火力で調理しているからおいしいよ」ということだろうと想像はつきます。けれど、カウンターで座っていたら眉毛が焦げたとか、店内の室温がとても高くて難儀したとか、そんなことを勝手に想像して楽しくなってしまいますね。そんなはずはないことは十分わかっているのですが、想像して、思わず頬が緩んだのでした。お店に出前の注文などの電話がかかってきたら、どう答えるのでしょうね。「はい、お電話ありがとうございます。火力十分です。」なんていうのでしょうか。間違い電話を装ってかけてみましょうか。
 
(hill)

2015年1月10日土曜日

おせち


 子どものころ、暮れの数日間、母は台所でおせち料理を作ることに終始していたように思います。台所は湯気に包まれてガスコンロはフルタイム操業、 ストーブまでコンロ代わりに駆り出されて、黒豆が煮えていたような気がします。父は掃除の傍ら、サトイモにかぶれるという母の代わりに皮をむかされていま した。
 子どもにとって、おせちは、野菜が大半のたいしてうれしいものではありませんでした。親戚への新年の挨拶に同行しても、我が家と同じよう なお皿が並んでいるだけで、酒を飲む大人たちにとっては適当なアテかもしれませんが、子どもにとっては雑煮を除けば正月の食事は魅力的なものではありませ んでした。そもそもおせちは冷たい。
今、自分の生活を振り返って、おせちを食べる食事の回数が減っていることに驚きます。正月の間も実家だの外食だのと、落ち着いて自分の家で食事をする間が 少ない。せいぜい元日の昼と夜くらいです。アルコールの摂取もかえって少ないくらいです。子どもの頃は、三が日くらいは客が入れ替わり立ち代りあって、大 人はずっと酒びたりだったように記憶します。昔のテレビCMに「おせちもいいけどカレーもね」(今シーズンはそれをもじって文末に「ピザもね」と尾っぽ付 いたCMに驚きました!)というのがありましたが、あの時代には、飽きるほどおせちを食べていたということをCMは証言しているようでもあります。
  家族の人数も少なくなり家で食事をする回数が減り、お客もないとなると、おせちも手間をかけて作ってられないというところに至ります。ここ数年はお店で 作ったお重を買ってくることに落ち着いています。今年は芦屋のあるお店に注文をして、大晦日に取りに行きました。元日じゅうに食べてしまうことと注意書き がありますから、量としてもちょうど手頃。便利といえば便利です。
 このお店にはご主人様に連れられて、12月にランチを食べに行きましたが、なかなかいいお店ですし、料理もよかったです。

  ところで、子どもの頃は祖父が納屋で縄をなって注連縄を作っていました。鏡餅も餅つきのときに作っていましたが、今はどちらも財布から捻り出します。鏡餅 に至っては31日の夕刻にスーパーに行けば、見かけだけはよいニセ鏡餅が売れ残って、あきれるほどの投げ売り価格で売っています。
 おせちも鏡餅も注連縄も、恰好だけでも昔からの風習を守っていると評価すべきなのか、形骸化してしまったと嘆くべきかはよくわかりませんが、折り目正しく季節の行事を一つひとつたどっていくことは容易ではありませんね。

(hill)

2015年1月8日木曜日

壽新春大歌舞伎

 何十年かぶりに歌舞伎を観ました。20代の頃に京都、南座の顔見世興行に連れて行ってもらったのが前回の歌舞伎鑑賞。升席で窮屈だったなという記憶があります。それから何十年の間、歌舞伎というようなものに近づいたことがないように思います。私のように生活に追われている者が近づくところではない、優雅な暮らしをしている人たちが着物を着て出かけるところだと思っていました。演目や役者さんにもほとんど知識がありません。
 そんな私が鑑賞してみようという気になったのは、今回の教材が歌舞伎に関わっているからです。教室では「こないだも、歌舞伎を観てきた」(副助詞の「も」に注目!)と言いたい。
 大阪松竹座の壽新春大歌舞伎は、4代目中村
鴈治郎襲名披露と冠がついています。1月2日。初日の夜の部の切符が手に入りました。 知識も何もない、ほとんどおのぼりさん状態の記録を記しておこうと思います。
 切符を渡して劇場に入ったら紅白の餅をもらいました。ものをもらうとうれしいものですね。ロビーでは着物の男女も目立ちますし、外国人(西洋系と思われる)もちらちら見えます。外国の人にとっても歌舞伎は魅力ある日本の芸術なんでしょう。私たちの席は花道の下手側。1階の左端あたりです。舞台には「祝襲名披露 4代目中村鴈治郎丈江」と書かれた幕。ちゃんと雁が飛んでいる!エアコンなどを作っているダイキンの寄贈のようです。客席のサイズやシートピッチはゆったりめと思われます。よかった。のびのびと観られます。花道を通る役者さんの顔もよく見えるはず。が、1階席はあまり傾斜していないので、舞台を見るには前の人の頭が結構気になります。幕見席もありますが3階後列の上手12席限りだそうで、いっぺん挑戦してみたいと思うもののハードルが高そうです。
ひとつめの演目、「将軍江戸を去る」。新歌舞伎(明治後期から昭和初期に、座付作者ではなく独立した作者によって書かれた歌舞伎をこういうらしい)のせりふ劇。その日早起きしたこともあって、申し訳ないことにしばらく妄想している時間がありました。気がついたら将軍慶喜(尾上梅玉)は千住大橋のたもとまで来ていて、まさに江戸を「去る」ところでした。
 続いて「口上」。片岡仁左衛門をスタートに、「4代目と、歌舞伎をこれからもよろしく」という挨拶をそれぞれがします。考えてみればその日が初日。口上も役者さんにとって初めてであるはずで、ちょいちょい噛んだり詰まったりします。私は4代目中村鴈治郎の襲名披露公演の初日を観たことになるわけで、大変なシーンに居合わせたことになります。先ほどまで少し眠かったのにいっぺんに目が覚めました。
 30分の休憩。お弁当タイムです。

 次の演目は「封印切」。亀屋忠兵衛が4代目を襲名した鴈治郎。丹波屋八右衛門の悪口によって窮地にどんどん追いやられる忠兵衛、その結果自分の命と引き換えに遊女梅川を身請けする苦悩がよく表現されていると感心したものの、冷静に考えると鴈治郎を引き立てるための今回の興行でもあるわけで当然ではあります。梅川を奪いたい八右衛門役の片岡仁左衛門と、それを快く思わない井筒屋のおえん役の片岡秀太郎が兄弟。さらに、梅川役の中村扇雀と忠兵衛役の鴈治郎が兄弟と、初心者は混乱してしまいます。槌屋治右衛門役は片岡我當の予定だったのですが、中村橋之助に変更になっていました。「将軍江戸を去る」で山岡鉄太郎を演じ、「口上」に登場し、さらに治右衛門と、よく働く橋之助に感心したのでした。
 最後は、「棒しばり」。次郎冠者役は片岡愛之助。狂言のようなスタイル(松羽目ものというそうな)です。案山子のように両腕を一本の棒に縛られた次郎冠者と、後ろ手に縛られた太郎冠者が協力して酒を盗み飲むというストーリーですが、二人とも縛られたまま上手に飲むこと。まるでマジックショーを見ているようでもあります。また、歌い、踊る。客席から見ている分にはとても楽しいのですが演じるには相当な体力が必要と思われ、客席からでも愛之助のこめかみの汗がよく見えます。若い間でなければ演じられない役でしょう。

 大向こうからの掛け声もたくさん聞きました。うまく決まると観客としても心地よいものですね。余韻を感じながら客席を後にし1階のロビーまで階段で下りてくると、薄紫の和服の女性が観客に「ありがとうございました」と頭を下げています。初代国交大臣、で今日の主役の母君です。
 楽しく歌舞伎鑑賞ができました。さ、生徒に早く、「こないだ、歌舞伎を観てきた」と言いたいな。早く授業が来ないかな。


(hill)

2015年1月6日火曜日

薬膳料理

 通勤時に聞くラジオ番組で、薬膳料理の専門家がゲストに招かれていて、七草粥のことが話題になっていました。
 せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞ七草
 昔、春の七草はこうして覚えるとよいと教えてもらったことがあります。年に一度、この時期にだけ思い出すのですが、覚えているものですね。
 さて、その番組では、薬膳という方向から七草粥を考えるという話題だったと思います。薬膳。薬の膳。そういえば、ひと月ほど前に、薬膳料理を食べさせてもらったことがあります。「和風薬膳料理 京小づち」というお店。
 身体にはよいのだろうけれども、けっしてうまいとは思えないのではないかと考えてしまいますね。
 薬膳ならまち弁当というのをいただきました。決して薬臭いわけではありませんよ。「蘇」や赤米を含め40種ほどの食材が使われているそうです。和食をいただいたという感じで、特に変わったものや、「これはちょっと」と遠慮したくなるようなものはありませんでした。また、食べた後にお腹がもたれるということがありませんでした。これが薬膳ということかと感心しました。杞憂というか薬膳料理への偏見でした。
 明日は七草粥を食べる7日です。

2015年1月1日木曜日

今年もよろしくお願いします

新しい年になりました。
 今年もよろしくお願いいたします。
 奈良大学国語教育研究会は先輩方が立ち上げられておよそ20年、今年の夏には研究会が20回目を数えるところまできました。最近は参加者の中にも若い教員が増えつつあります。
 研究会に集まってくださるメンバーは、各校種の学校で勤務する方々、これから教員を目指して頑張る学生さん、学校以外の現場で活躍される卒業生、そして奈良大学の先生方など、多様です。どんなベテラン先生にも新任時代があり、困ったときにアドバイスしてくれる先輩がいたはずです。若い方もベテランの方もこの研究会に参加して、お互いに元気になりましょう。日ごろの現場とは少し違う雰囲気で国語のことや教育のことについて、気持ちを共有できる研究会ができればいいなと考えています。
 夏には多くのみなさんのご参加をお待ちしています。

 奈良大学国語教育研究会
岡部秀樹