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2015年1月8日木曜日

壽新春大歌舞伎

 何十年かぶりに歌舞伎を観ました。20代の頃に京都、南座の顔見世興行に連れて行ってもらったのが前回の歌舞伎鑑賞。升席で窮屈だったなという記憶があります。それから何十年の間、歌舞伎というようなものに近づいたことがないように思います。私のように生活に追われている者が近づくところではない、優雅な暮らしをしている人たちが着物を着て出かけるところだと思っていました。演目や役者さんにもほとんど知識がありません。
 そんな私が鑑賞してみようという気になったのは、今回の教材が歌舞伎に関わっているからです。教室では「こないだも、歌舞伎を観てきた」(副助詞の「も」に注目!)と言いたい。
 大阪松竹座の壽新春大歌舞伎は、4代目中村
鴈治郎襲名披露と冠がついています。1月2日。初日の夜の部の切符が手に入りました。 知識も何もない、ほとんどおのぼりさん状態の記録を記しておこうと思います。
 切符を渡して劇場に入ったら紅白の餅をもらいました。ものをもらうとうれしいものですね。ロビーでは着物の男女も目立ちますし、外国人(西洋系と思われる)もちらちら見えます。外国の人にとっても歌舞伎は魅力ある日本の芸術なんでしょう。私たちの席は花道の下手側。1階の左端あたりです。舞台には「祝襲名披露 4代目中村鴈治郎丈江」と書かれた幕。ちゃんと雁が飛んでいる!エアコンなどを作っているダイキンの寄贈のようです。客席のサイズやシートピッチはゆったりめと思われます。よかった。のびのびと観られます。花道を通る役者さんの顔もよく見えるはず。が、1階席はあまり傾斜していないので、舞台を見るには前の人の頭が結構気になります。幕見席もありますが3階後列の上手12席限りだそうで、いっぺん挑戦してみたいと思うもののハードルが高そうです。
ひとつめの演目、「将軍江戸を去る」。新歌舞伎(明治後期から昭和初期に、座付作者ではなく独立した作者によって書かれた歌舞伎をこういうらしい)のせりふ劇。その日早起きしたこともあって、申し訳ないことにしばらく妄想している時間がありました。気がついたら将軍慶喜(尾上梅玉)は千住大橋のたもとまで来ていて、まさに江戸を「去る」ところでした。
 続いて「口上」。片岡仁左衛門をスタートに、「4代目と、歌舞伎をこれからもよろしく」という挨拶をそれぞれがします。考えてみればその日が初日。口上も役者さんにとって初めてであるはずで、ちょいちょい噛んだり詰まったりします。私は4代目中村鴈治郎の襲名披露公演の初日を観たことになるわけで、大変なシーンに居合わせたことになります。先ほどまで少し眠かったのにいっぺんに目が覚めました。
 30分の休憩。お弁当タイムです。

 次の演目は「封印切」。亀屋忠兵衛が4代目を襲名した鴈治郎。丹波屋八右衛門の悪口によって窮地にどんどん追いやられる忠兵衛、その結果自分の命と引き換えに遊女梅川を身請けする苦悩がよく表現されていると感心したものの、冷静に考えると鴈治郎を引き立てるための今回の興行でもあるわけで当然ではあります。梅川を奪いたい八右衛門役の片岡仁左衛門と、それを快く思わない井筒屋のおえん役の片岡秀太郎が兄弟。さらに、梅川役の中村扇雀と忠兵衛役の鴈治郎が兄弟と、初心者は混乱してしまいます。槌屋治右衛門役は片岡我當の予定だったのですが、中村橋之助に変更になっていました。「将軍江戸を去る」で山岡鉄太郎を演じ、「口上」に登場し、さらに治右衛門と、よく働く橋之助に感心したのでした。
 最後は、「棒しばり」。次郎冠者役は片岡愛之助。狂言のようなスタイル(松羽目ものというそうな)です。案山子のように両腕を一本の棒に縛られた次郎冠者と、後ろ手に縛られた太郎冠者が協力して酒を盗み飲むというストーリーですが、二人とも縛られたまま上手に飲むこと。まるでマジックショーを見ているようでもあります。また、歌い、踊る。客席から見ている分にはとても楽しいのですが演じるには相当な体力が必要と思われ、客席からでも愛之助のこめかみの汗がよく見えます。若い間でなければ演じられない役でしょう。

 大向こうからの掛け声もたくさん聞きました。うまく決まると観客としても心地よいものですね。余韻を感じながら客席を後にし1階のロビーまで階段で下りてくると、薄紫の和服の女性が観客に「ありがとうございました」と頭を下げています。初代国交大臣、で今日の主役の母君です。
 楽しく歌舞伎鑑賞ができました。さ、生徒に早く、「こないだ、歌舞伎を観てきた」と言いたいな。早く授業が来ないかな。


(hill)

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