大徳寺には別院が2、塔頭が22あるそうです。そのうちの公開されているのは4院だそうですが、この季節には特別公開されているところもあります。黄梅院もそのうちの一院。
事前の勉強はまったくしていませんが、入ってみることにしました。拝観料600円也。高桐院が400円であることを考えると少し高いかなという印象。特別公開だからまぁいいかと思って入ってみました。
入ってから気づいたのですが、ここは撮影禁止なのだそうです。なんだ、知っていたら入らなかったのにとちょっと思いましたが…
ふだん公開していないだけあって、庭も立派です。回廊(と呼んでいいのだろうか)も、大人数の参拝に対応していないような高貴な感じ。値が張る?だけあって、高桐院より参拝者が少なく、落ち着きます。
その廊下の敷居に躓いてちょっとよろけました。後ろから大丈夫ですか?と女性の声。大丈夫ですよ、ありがとうと返事をしたのですが、彼女がいうには、このお寺は凸凹が多いので気をつけてくださいと。気をつけていると、しょっちゅう敷居が出っ張っている。たぶん、建築の様式がそうなっているのでしょう。どこも敷居が一段高い。気をつけろとあちらこちらに書かれています。
先ほど声をかけてくれた人を含め、何人かの女性スタッフが要所要所で説明をしてくれます。直中庭という庭では、ひょうたん型の池があるとか、庫裏は、禅宗寺院の庫裏としては最古のものだとか、禅宗の寺の庫裏には、たいがい韋駄天が祭られているとか…へぇそうなんだと納得しながら、でもどうせすぐに忘れてしまうんだろうなと思いながら、解説を聞いていました。
直中庭を見渡せる自休軒という書院は、大徳寺を開いた大燈国師の遺墨「自休」を扁額したものからその名がついたという説明でした。その扁額が頭上に無造作に?掛けられています。「自休」とは…
自ら(おのずから)立ち止まって真剣に物事に対していくこと、一考していくこと・・一度しかない人生、一度しかない自分自身が、失敗し悔いの残らない人生を歩むためにも、一度じっくりと座り込んで過ぎ去った日々、これから来る日々を見すえて、親や師や先輩の助言からではなく、自らが自発的に立ち向かっていくことの大切さ
ということなのだそうです。
実は、この黄梅院へ来て気が楽になっていることがあります。大した技術もない私ですが、撮影不可なのでその方面にエネルギーを使う必要がないのです。先に記事にした、しょうざんであれ高桐院であれ、どんな具合に撮るかということをずっと考えているわけで、それらからすれば、撮影できないものは考えを巡らせる必要がないのです。気が楽です。これって、「自休」なのではないかと思い当りました。
というわけで、撮影禁止を知る前の庭の写真しかありません。
(hill)
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