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2018年7月25日水曜日

東海道を歩く (20) 亀山~土山    大坪正和

   東海道の旅も丸2年、掛け3年を超えてしまった。そろそろゴールしないといけないので、泊りがけの予定を立てることにした。それが前回の桑名から考えたこと。すでに日帰りで往復するにはお金がかかりすぎる距離になってきたことと、一日のうち歩ける時間が足りなくなってきたので、一泊して距離を稼ぐことにした。ただ、問題は天気と宿の手配を気にしながら、いつ出かけられるかが悩みのタネ。今回も出発に際してなるべく安上がりにしようと思い、夜行の「ムーンライトながら」に乗っていこうと考えたが、駅まで行って座席指定を取ろうとしたら、すでに満席。やむなく出直して名古屋まで新幹線で行くことになってしまった。考えてみれば、一般的には早春の3連休中日。旅行者は多い。もともとの計画では、坂下宿の先で一泊して水口まで歩こうと思ったが、すでに満室。ならばその先の土山宿はというと、唯一の旅館が廃業。やむなく一日で水口まで歩かなければならなくなった。距離にして約30キロ。しかも鈴鹿峠越えがある。自分の足がもつのか、日暮れまでに水口に到着するか不安に感じながら、絶えず時計を気にしながらの歩きとなった。


亀山宿
  前回で、宿場の大半は見ていたのだけれど、今回の方がしっとりとした家並が多い。 
 
宿場を抜けるところに大きな一里塚がある(野村一里塚)。東名阪自動車道をくぐると、関宿入り口の大きな看板が迎えてくれる。
 
関宿
   現存家屋の約70%が昭和初期の建築で、かなり早い段階で伝統的建造物群保存地域に指定された。旧東海道の宿場町で最も江戸時代の雰囲気を残している宿場と言える。

    もちろん、リフォームはしているだろうが、住みにくいことは住みにくいだろう。しかし、そこに住まう人たちは、むしろ住みにくいことを誇りにするというか、楽しんでいるようにさえ感じられる。この宿場を歩いているとそんなことを感じてしまう。
   伝統的な家屋は、中二階=厨子二階(つしにかい)で、街道からは二階の窓が見えにくくなっている。これは、街道を行く大名行列を上から見下していると思わせない配慮だそうだ。それにしても空が広いと思ったら、電線がない。風景がきれいだ。
   「関」とは鈴鹿の関のことで、この宿の外れに古代の関所が置かれていた。今は遺構も残っていない。関宿と坂下宿の間に鈴鹿馬子唄会館がある。




坂下宿
   関宿から5キロほどで坂下宿に着く。亀山からダラダラと上ってきたが、坂下宿あたりからは確かに上り坂だと感じられるようになってくる。宿場の面影はほとんど残っておらず、本陣跡の隣には茶畑が広がる。

   鈴鹿峠へは片山神社の参道へ入る。急な石畳と階段を登る。国道1号線の下をくぐると、すぐに峠に出る。時間にして20分程度。もっと長い登りを覚悟していたので、少し拍子抜けがした。やはり箱根は天下の剣と言われることはある。峠には大きな万人灯篭がある。滋賀県近江の国だ。

 
土山宿に入る前にある田村川橋を渡る。この橋は賃取り橋だった。渡ると坂上田村麻呂縁の田村神社。街道はこの神社の参道を通る。鳥居の出口には、名物「かにが坂飴」を売る店が残る。
 
 
土山宿
 
 
   この宿場の家並はほかの宿場に比べて間口が広く、家自体がとても大きく立派だ。これだけの家屋を維持していくのは大変な苦労がいるだろう。
    土山はお茶の産地だそうだ。伝承館のおばさんにさんざん自慢話を聞かされた。
  「坂は照る照る鈴鹿は曇る あひの土山あめがふる」と馬子唄に歌われた通り、土山は雨や霧が多いのだそうだ。松並木が黒く陰になってきた。先を急ぐ。


(つづく)

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