711028 棚橋正人
6月13日(火) ビルバオ (Bilbao ) ~ ポベナ(Pobena) 26㎞
朝の一発目から道を間違えたかもしれない。どんどん丘を上って行くからこれは違うなと思いつつ、だんだん不安になって出勤途中の女性に「カミーノはどの方向?」と尋ねた。彼女が指さしたのはまったく反対の方向だった。杖はなくすわ!道は間違えるわ!トホホ!しっかりしようぜ!国を出てからほぼ2週間、疲れがたまっているのかも?気を取り直して遍路は進む。それにしても先ほどのキャリアウーマンのお姉さんはとてもいい匂いがした。
カミーノはビルバオ川沿いを河口に向かって進めばいいわけで、なんで迷ったのだろう。江戸の旅人なら狐にだまされたりするのだろうが、スペインにも狐がいるのだろうか?ずいぶん昔、北海道の釧路川をカヌーで下ったとき、川岸でキャンプをしていたら夜中に狐が現れて、テントにおしっこをかけていった。その話をホームドクターにしたら、そのうちエキノコックスに肝臓を食い破かれるかもしれないよとおどかされ、受診するといつもその話になる。
河口に向かって左岸は住宅地で鉄道も走っている。歩いている右岸は工場や倉庫・中小の事務所が続く。道路には路上駐車の車がずらりととまり、なぜかニッサンの中古車が多い。川を水上警察の船が遡っていく。この先のビスカヤ港は内外の水運の拠点なのだ。その後ろからさらに大きいサーチライト付きのがっしりした船が行く。船体に「DOUANE」とあるからフランスの税関の船だ。対岸に造船所の巨大クレーンの林が見えてきた。ドックにある船はどれも大型船ばかりだ。今日のカミーノは工業地帯の真ん中を貫いていく。
もう歩き疲れたと思ったころにちょうどいいぐあいにバルがあった。
店のカウンターには作業着を着た数人の労働者がコーヒーを飲んでいた。トイレをすませて出てくると、この店の主人がカウンターの中から呼んでいる。注文のときに「どこから来た」というからハポンだと答えたが、なんだろう?
ここからまさかのお説教が始まった。
「いいか、あんたは日本から来た巡礼者だ。俺からあんたにアドバイスを一つしておく。よく聞け。トイレに行くときはカバンを持っていけ。これはアドバイスだ!絶対に忘れるな!」
トイレに立ったときに他に客はいなかった。店にはきさくな親父一人だけだったから、気を許して財布やカメラやパスポートの入ったショルダーをポイと座席に置いてトイレに行った。隣のビルが改装工事中で作業員が頻繁に出入りをしていた。ひょいと手をのばしたところに旅行者のバックが忘れてあったら、マスターの目を盗んで中身を抜き取るくらいは簡単かもしれない。
今まで幸いなことに旅行中の盗難はなかった。イタリア旅行で同じツアーのご婦人がスリ集団に二度も被害にあったが、自分は大丈夫だった。忘れ物は何回もしたが、取りに戻るとたいていその場にあった。これはたまたま運がよかっただけなのだなぁ。反省します!私がもっと注意しておくべきでありました。バルの親父ありがとう!感謝!感謝!であります。
帰ってから調べてみると、この橋はネルビオン川に架かる世界最古の「吊橋」「運搬橋」で全長164m高さ50mだそうだ。その50mのところからゴンドラがぶら下げられ、そこに人やバイクや車を積んで幅50mの川を2分で向こう岸に渡してくれる。案内板には地上50mの橋の上を歩いても渡れると書いてあったが、この日は工事で通行止めだった。
「ポルトガレッテの鉄橋」とも呼ばれるこの橋が出来たのは1893年。作ったのは、パリのエッフェル塔を設計したギュースターブ・エッフェルの弟子アルベルト・パラシオだ。エッフェル塔が出来たのは1889年フランス革命100周年を記念するパリ第4回万国博覧会だから、その4年後にこの橋は完成した。もっともエッフェル塔は高さ300mでこちらはたった50mだが、やはり時代の息吹を感じる建造物であることは間違いない。
さて、自販機で切符を買って対岸に渡ろう!その町ポルガリートは教会がある坂の街。午前中歩いてきた工業の町とは趣が違う。街並みはおしゃれで平日なのに人通りが多い。ちょっと古めかしいバルでコーヒーを飲む。おばあちゃんたちがみんなオシャレでシャキッとしていてカッコいい。親父の言いつけを守ってバック持参でトイレにいくとなんと!金隠しのあるしゃがむ式のトイレで、水は上から降りている細い鎖状のひもを引っ張るやつだった。これは懐かしい!
私が生まれた名古屋の家はお茶屋さんだった。といっても、綺麗なお姉さんがいる方ではなくて日本茶を商いする店だった。繁華街の今池という場所で、前の道には路面電車が走り、向いはアイススケート場。10分以内のところに映画館が4軒あって、おばあちゃんから小遣いをもらって封切りを全部観て回った。夜になると歩道には赤ちょうちんにのれんの掛かった屋台がずらりと並んだ。私が小学校に上がるころには店はお茶屋さんから男前の叔父がマスターをする珈琲屋に変わっていた。そこで生まれて初めてペプシ・コーラなるものを飲んだ。薬の味がしてうまくなかったのを覚えている。建物の半分と2階が居宅で、トイレはお客さんと共同で使っていた。そのトイレがまさにこのバルのトイレだったのだ。
名古屋の店は明治生まれのしっかり者の祖母・叔父・叔母とウエイトレスのお姉さんで切り盛りしていた。思い出してみればみんなずいぶん忙しく働いていた。初孫のわたしは夏・冬・春の休みごとに名古屋に帰り、ちょこんとカウンターの椅子に腰かけ、生意気にも朝から珈琲とホットドックなんかをかじっていた。昭和30年代「三丁目の夕陽」の日本が今より健全で元気な時代だった。
さて、時間はまだ昼。この町にはアルベルゲがある。道行く女性が「アルベルゲは向こうだよ」とわざわざ教えてくれる。どうするか考えてやはり今日はもう少し歩くことにした。
いざ、11キロ先の町ポベーニャめざして出発!
自転車専用道路と歩行者専用道路がセットになって郊外へ続いていく。道があんまり単調なので歩くのに飽きてくる。高速道路をくぐるトンネルにスプレーで怪獣と宇宙人がでっかく描かれている。落書きにしてはみごとなもんだ!
やっと山道に入ると柵の中に不思議な馬がいた。身体は白に黒のぶち。金色のたてがみが前髪のように顔に斜めに掛かって左目が見えない。顔もぶちで、そいつがじっとこっちを見ている。なんか魔物っぽいな。あれは馬じゃないような気がしてきた。東北には「おしらさま」というのがあって馬の神様なのだが、スペインにもそんなのがいるのかしらん…。
山を抜けてしばらくぶりに海が見えた。海岸はサーフィンが出来るところらしい。アパートの1階がアジア風カフェになっていたからまたまた休憩。まだシーズンには少し早いらしく海辺の町は閑散としていた。店の正面にある蓮に座ったお釈迦様の絵を見ながらカフェオレを飲んだ。
海を右手に見ながら進む。風が強くて波が次々と押し寄せてくる。やっと砂浜の奥に公営のポベーニャのアルベルゲを見つける。先に着いた巡礼者たちが建物の前で靴を脱いでくつろいでいた。いい感じの宿だ!本日これまで!
老体に鞭打って歩いた距離は26キロ以上!よく歩きました。偉い!自分で自分をほめておこう!シャワーと洗濯をすませてシエスタ。本日のお遍路さん定食はアジの開き(?)の焼いたものにレモンとたっぷりのフライドポテト添え。これにたっぷりの野菜サラダとパンにワイン。これが千円くらいで食べられるからうれしい!
おなかはいっぱい!今夜は気持ちよく寝られそうだ。
明日も海沿いの道を歩くぞ!ぐぅー!!
(つづく)
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