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2020年1月29日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (19)


711028 棚橋正人
    
618日(日) グエメス(Guemes) ~ サンタンデール(Santander)  15

 
一晩寝たら体調はかなり良くなったので、朝ごはんはなんとか食べられた。食堂でスタッフの紹介があった。昨日、僕の受付をしてくれた人だ。彼は村人ではなく、ここに泊まった巡礼者だった。このアルベルゲのもてなしに厚く感動した彼はコンポステラに到着した後、奉仕をするために歩いて戻ってきたのだという。僕はフランス人の道で日本人の女性が奉仕しているアルベルゲに泊まったことがある。彼女は日本から持参したお抹茶を巡礼者にふるまっていた。まったくこういう方には頭がさがる。
このアルベルゲは無料であるが、ここを維持するための心づけをお好きなだけというシステムだ。巡礼者ならばだれでも夕食と朝食・清潔なベッドとシャワーが提供される。施設の維持には15ユーロくらいはかかるという話を何かで読んだ。お金に困ってない限りそれくらいはカンパしたいものだ。

エルネスト神父に何か感謝を表したいと思って、折り紙で鶴を折って渡した。大変喜んでいただいて、いっしょに写真を撮ってもらった。折り紙を持ってきて大正解だった。言葉のつたない遍路は行く先々で親切にしていただいても、なかなかお返しができない。その感謝を表すのに折り紙はピッタリのアイテムだった。

昨夜、夢を見た。大学の友人と北大のポプラ並木を歩いている。あの並木はいつかの台風で倒れて、現在はないはずだ。友人の声が聞こえてとても懐かしい。彼女は20年以上前に亡くなっている。北スペインの気候は北海道ととてもよく似ている。スカッと晴れた青空、乾燥した空気。だから思い出したのかもしれない。
さて、そろそろ出発しよう!!
ここにはまた戻ってきたいと思う素敵なアルベルゲだった。


街路樹に赤い実が成っている。近づくとサクランボだった。2時間ほど歩いてまた海に出た。天気が良くて気持ちがいい。いい日曜日だ。前から自転車の一団がやってくる。全員マウンテンバイクだ。みなさん結構なお歳の方ばかり。
「オラー!」
「ブエンカミーノ!」
カメラを向けるとみんな挨拶してくれる。スペイン人は陽気な方が多い。
それにしても、カミーノの自転車乗りはみんなヘルメットをちゃんと被っている。これは法律があるからなのか?国民性なのか?だれかに聞いてみよう。

 町に入ると教会が目に入った。日曜日の礼拝が行われているらしい。ちょっと覗いてみることに。中はたいへん豪華で立派な教会だ。カミーノの沿道で入った教会はどれもマリア様が前面に祭られているところが多いような気がする。なんでキリストさんではないのか?カトリックについてあまり知らないので、このあたりも聞いてみたいものだ。
晩餐式がすんで司祭さんが出てきた。たいへんお忙しいようで、この教会を戸締りしてすぐどこかへ行ってしまった。日本でも住職のいない寺が増えたというが、スペインの教会も同じような問題を抱えているのかもしれない。

少し歩くと電信柱に「渡し船乗り場こちら」の矢印が見つかった。切符売り場でみんなが船を待っている。波止場にやってきたのは一昨日のとは違って50人くらいは乗れる大きな船だった。
船から見る砂浜では人々が思い思いのままに日曜の昼下がりを楽しんでいる。それでいて日本のようにごみごみしていないのがいい。

船は15分ほどで対岸のサンタンデールに着いた。ここはカンタブリア州の州都。人口は17万人。かつての王家が愛した避暑地だそうだ。でも、町は人が多すぎて黄色い矢印も見つからない。アルベルゲの場所がわからない?そして、遍路は途方にくれる。そこに見たことのある髭の親父と若い娘さんの二人連れを発見した!すかさず!
「ドンデ エスタ アルベルゲ?」(アルベルゲはどこですか?)
二人は親子。親父さんが足を痛めたのでこの町でしばらく休養するそうだ。娘さんが親切にもアルベルゲの入り口まで送ってくれた。この二人はちらりと見かけた記憶があるくらいで話をしたこともなかった。おそらくどこかのアルベルゲか道中のバルでいっしょになった方だ。
「ありがとう、助かったよ!よい巡礼を!」

やっぱり夕方になると胃の調子が悪くなる。都会のアルベルゲなので昨日の宿の広々としたおおらかさは望めない。でも、オスピタレロのおばさんはとても感じがよかった。シャワーをすませてお昼寝をする。
さて、街に出て薬局を見つけて胃薬を買おう。薬局はFarmacia(ファルマティア)、店の入り口に緑の十字架の看板があるから遠くからでもすぐにわかる。
体調のせいでがんばりというか、歩く距離がぜんぜん伸びていない。このままだと予定している日にちにコンポステラに着くのが難しくなる。ここまで280キロあまり、残り580キロ。まだまだ先は長い。大聖堂に着かず道半ばで終わるよりは、無理をせず電車やバスを使うのもありだと考えるようになった。
タクシーは違う気がするので乗らない。電車やバスは乗れるところが限られているから地図と相談しながら計画を立てることにしよう。
 遍路は『深夜特急』を読むとバスの旅もいいなと思い、関口君の「鉄道の旅」をみると列車にも乗ってみたくなる。初めて四国遍路を歩いたときは「完全歩き」にこだわった。日が暮れて宿になかなかたどり着けず、ボロボロになってあせっている姿を見かねて車が止まり、「乗りませんか?」と声を掛けられた。喉から手が出るほどありがたいお接待だったが、丁重にお断りした。これはこれでよかったのだと思う。2巡目からは腰の痛みを理由にして自転車遍路に切り替えた。でも、これもまた「歩き遍路の道」にこだわって、登山道を自転車かついで登るというあきれたことをやっていたのでまだまだ体力があったのだ。やはり800キロを歩くにはそれなりの体力がいる。普段のトレーニングで身体をつくるか、さもなければ体調に合わせて乗り物をつかうべきだと思う。四国遍路(1400キロ)でも徳島を過ぎたあたり(160キロ)で足に炎症が出てリタイヤする人が大勢いる。体力があっても無理をして故障しては何もならない。今回は出発前にいろいろあってちゃんとしたトレーニングはまるでできていない。ならば、無理をして身体を壊すよりは乗り物を利用して巡礼を楽しもうと思う。

食事後、地図で明日はどこからどこまで鉄道に乗るかの検討にはいる。僕は「鉄ちゃん」ではないが外国の鉄道にも少しは興味がある。

でも、地図を見ていると眠くなってきた。
出たとこ勝負でなんとかなるだろう。

ほんと眠い、もう明日のこころだー!!

(つづく)

2020年1月22日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (18)


711028 棚橋正人
    

617日(土) ノハ (Noja) ~ グエメス(Guemes)  17
これを書いている今日は2019年515日。朝刊で京マチ子さんが95歳で亡くなった記事を読んだ。黒沢映画「羅生門」の妖艶な演技が目に浮かぶ。
昨日は「ケセラセラ」のドリス・デイ97歳の訃報が載った。大人の魅力のあるカッコイイ女性がまたいなくなったなぁー。共通するのはとても品があるところ。一本筋が通っていて、凛とした美しさがあった。
それに引きかえテレビで見る政治家や文化人達はどうだろう。大衆は自分たちにふさわしいリーダーを選ぶというから自分が反省するしかないのだが…。
しかし、これで良いはずがない。このままだと遠からず日本は滅びるのではないだろうかと心配になる。リクオのオマージュで「大人だろ 勇気を出せよ!」という忌野清志郎の歌詞が現代によみがえってきたのがよくわかる。

さて、今朝はアルベルゲのベッドでアバの大音響の曲で起こされた!
「うるさいぞ!誰や!ほんまに!」
スマホの目覚ましにしてはボリュウムが大きすぎる!犯人は隣のタスマニア・デビルだった。そういえばこの曲は昨日も遠くで鳴っていたな…。
「おいおい!反省はないんか?」
その彼となぜか一緒のバルで朝飯を食べることになる。「俺の朝飯にはオレンジジュースがないとだめなんだ!」と盛んに持論をぶっている。朝っぱらから迷惑をかけてごめんなさいという風はまるでない。なんかおおらかで憎めない人だな。

青い壁のアルベルゲを出て歩き出す。天気は快晴。体調がちょっとおかしい。胃が気持ち悪いというか、ムカムカして、痛みもある。日本から持ってきた胃薬はよく効いてこれまではなんとか持ち直してきた。その薬が切れた。こちらの薬局で買ったのは成分が違うのかあまり効かない。だましだましいくしかないか。

またスプレーの壁画があった。これは落書きのたぐいではなく、ピカソ風ありダリ風あり見ごたえがある。芸術に関しての感性は高い国だと思う。私が住む和泉市でもスプレーの落書きに手を焼いて、大学に通じる遊歩道に壁画を描き始めた。しかし、「この絵はここ不似合いだろう」というのが何点かある。私の相方にはすこぶる不評である。せめてアンケートでもとって不人気なのは入れ替えるくらいのことはしてほしいと思う。
また海に出た。砂浜にコートがあった。若い人が集まっている。ビーチバレーかと思ってみていたがゴールがあった。ハンドボールだった。スペインはサッカーに次いでハンドボールも盛んな国なのだ。

やがて海岸を離れて畑の道になった。農家の玄関に緑色の古いスズキのジムニーがあった。見るからに使い込まれた車だ。マフラーが助手席の横に縦に突き出ている。これならどんな水たまりも走れる。こんなスペインの片田舎で懸命に働く日本車を見るとなんかうれしくなるのは僕だけだろうか!
 日差しがだんだん強くなってきた。Marceloの村にまだ新しい私営のアルベルゲがあったが、時間はまだ昼なのでがんばって進むことにした。

次の村に入るとサーカスのような大きなテントが張ってあり、盛装をした人たちが大勢座っている。バンドの演奏が用意されており、今はどっかの偉いさんが前で挨拶をしている。これは何だろう?ボランティアの若者が巡礼者を前のテーブルに案内している。私もエスコートされるままに席に着き食事が提供された。ここは村の広場で、周りには車がたくさん止まっている。
ところがどうも体調が悪い。食欲がなくて食事ができない。日なたがつらいので日影で休んでいると2日前のLiendoの宿のオスピタレロが現れた。そうか、これが彼女の言っていた「巡礼フェスティバル」だったのだ。
どうも具合がわるいと彼女に伝えると「アルベルゲまで車で送ってくれる人を探してあげる」と人ごみに消えていった。やがて、ピックアップのトラックが乗せてくれるからとザックを持って車に連れて行ってくれた。ありがたい!吐き気と頭も痛かったから軽い熱中症だったかもしれない。
車は土煙をあげながら見晴らしのいい丘にぐんぐん上がっていく。その上に大きな別荘のようなアルベルゲがあった。ここが「北の道」で一番有名な「グエメスのアルベルゲ」だった。送ってくれたのは近所の農家の人で、スタッフに事情を説明して帰っていった。みんなほんとに優しい。ありがとうございました。助かりました。
このアルベルゲには部屋が何室もあった。平屋のゆったりとした作りで、広い芝生で洗濯物が干せるし、ベンチでのんびり読書もできる。景色もいいし、いいところだ。とりあえず受付をして水分をとってベッドで休ませてもらうことにした。1時間ほどぐっすり眠った。シャワーを浴びたらかなり気分がよくなった。洗濯物を干してから施設を見学してみた。入り口の外階段の前に鉄製のオブジェがあり、なぜか日本語が書いてあった。「道は生命の大学です」ここにはすでに何人もの日本人がお世話になっているようだ。 

夕方に集会室で全員参加のミーティングがあった。司会者がこのアルベルゲについて説明し、それを巡礼者の中でドイツ語と英語のしゃべれる人が通訳した。そして、簡単な自己紹介をみんながした。それはフランス人の道の宿でも1回経験したくらいなので、ここはやはり出会いや精神性を大切にする貴重なアルベルゲなのだ。

その後、全員が食堂に移動して晩餐が始まる。ここにいるのは20人くらいの巡礼者とボランティアスタッフたち。奥の席に真っ白なお鬚の老人が静かに座っている。何人かが彼に気づき、話しかけて抱擁している。それを見た人がまた同じように彼のもとに近づいていく。だれあろう彼こそがこのアルベルゲの創設者エルネスト神父だ。優しい目をしていらっしゃる。貧乏人をかばい過ぎて教会と不仲になったといううわさまである方なのだ。
何年か前バイクで天草の海を見下ろす高台にある木造の教会を訪ねて、おられたシスターと話をさせていただいた。
「わたしは教会を定年退職して、今はボランティアでここにきているの」とおっしゃる。聖職者に定年があるとは知りませんでした。ネットで調べたら神父の定年は70歳とあった。あのシスターはとても70を超えているとは見えませんでしたが、そうなのかも知れない。
しかし、エルネスト神父はとっくに70を超えていらっしゃるようにお見受けしました。彼は故郷で余生を送ることより、このアルベルゲで巡礼者の世話をする生き方を選ばれたのでしょう。
ハポネ遍路はみなさんと会話をする元気もあまりなく、せっかくのパエリアの夕食も少ししか頂けず。早々にベッドに向かいました。

明日は元気になっているといいのだけれど…。

少し不安を抱えながらも、暖かい気持ちで眠りにおちる遍路でした。

(つづく)