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2020年1月22日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (18)


711028 棚橋正人
    

617日(土) ノハ (Noja) ~ グエメス(Guemes)  17
これを書いている今日は2019年515日。朝刊で京マチ子さんが95歳で亡くなった記事を読んだ。黒沢映画「羅生門」の妖艶な演技が目に浮かぶ。
昨日は「ケセラセラ」のドリス・デイ97歳の訃報が載った。大人の魅力のあるカッコイイ女性がまたいなくなったなぁー。共通するのはとても品があるところ。一本筋が通っていて、凛とした美しさがあった。
それに引きかえテレビで見る政治家や文化人達はどうだろう。大衆は自分たちにふさわしいリーダーを選ぶというから自分が反省するしかないのだが…。
しかし、これで良いはずがない。このままだと遠からず日本は滅びるのではないだろうかと心配になる。リクオのオマージュで「大人だろ 勇気を出せよ!」という忌野清志郎の歌詞が現代によみがえってきたのがよくわかる。

さて、今朝はアルベルゲのベッドでアバの大音響の曲で起こされた!
「うるさいぞ!誰や!ほんまに!」
スマホの目覚ましにしてはボリュウムが大きすぎる!犯人は隣のタスマニア・デビルだった。そういえばこの曲は昨日も遠くで鳴っていたな…。
「おいおい!反省はないんか?」
その彼となぜか一緒のバルで朝飯を食べることになる。「俺の朝飯にはオレンジジュースがないとだめなんだ!」と盛んに持論をぶっている。朝っぱらから迷惑をかけてごめんなさいという風はまるでない。なんかおおらかで憎めない人だな。

青い壁のアルベルゲを出て歩き出す。天気は快晴。体調がちょっとおかしい。胃が気持ち悪いというか、ムカムカして、痛みもある。日本から持ってきた胃薬はよく効いてこれまではなんとか持ち直してきた。その薬が切れた。こちらの薬局で買ったのは成分が違うのかあまり効かない。だましだましいくしかないか。

またスプレーの壁画があった。これは落書きのたぐいではなく、ピカソ風ありダリ風あり見ごたえがある。芸術に関しての感性は高い国だと思う。私が住む和泉市でもスプレーの落書きに手を焼いて、大学に通じる遊歩道に壁画を描き始めた。しかし、「この絵はここ不似合いだろう」というのが何点かある。私の相方にはすこぶる不評である。せめてアンケートでもとって不人気なのは入れ替えるくらいのことはしてほしいと思う。
また海に出た。砂浜にコートがあった。若い人が集まっている。ビーチバレーかと思ってみていたがゴールがあった。ハンドボールだった。スペインはサッカーに次いでハンドボールも盛んな国なのだ。

やがて海岸を離れて畑の道になった。農家の玄関に緑色の古いスズキのジムニーがあった。見るからに使い込まれた車だ。マフラーが助手席の横に縦に突き出ている。これならどんな水たまりも走れる。こんなスペインの片田舎で懸命に働く日本車を見るとなんかうれしくなるのは僕だけだろうか!
 日差しがだんだん強くなってきた。Marceloの村にまだ新しい私営のアルベルゲがあったが、時間はまだ昼なのでがんばって進むことにした。

次の村に入るとサーカスのような大きなテントが張ってあり、盛装をした人たちが大勢座っている。バンドの演奏が用意されており、今はどっかの偉いさんが前で挨拶をしている。これは何だろう?ボランティアの若者が巡礼者を前のテーブルに案内している。私もエスコートされるままに席に着き食事が提供された。ここは村の広場で、周りには車がたくさん止まっている。
ところがどうも体調が悪い。食欲がなくて食事ができない。日なたがつらいので日影で休んでいると2日前のLiendoの宿のオスピタレロが現れた。そうか、これが彼女の言っていた「巡礼フェスティバル」だったのだ。
どうも具合がわるいと彼女に伝えると「アルベルゲまで車で送ってくれる人を探してあげる」と人ごみに消えていった。やがて、ピックアップのトラックが乗せてくれるからとザックを持って車に連れて行ってくれた。ありがたい!吐き気と頭も痛かったから軽い熱中症だったかもしれない。
車は土煙をあげながら見晴らしのいい丘にぐんぐん上がっていく。その上に大きな別荘のようなアルベルゲがあった。ここが「北の道」で一番有名な「グエメスのアルベルゲ」だった。送ってくれたのは近所の農家の人で、スタッフに事情を説明して帰っていった。みんなほんとに優しい。ありがとうございました。助かりました。
このアルベルゲには部屋が何室もあった。平屋のゆったりとした作りで、広い芝生で洗濯物が干せるし、ベンチでのんびり読書もできる。景色もいいし、いいところだ。とりあえず受付をして水分をとってベッドで休ませてもらうことにした。1時間ほどぐっすり眠った。シャワーを浴びたらかなり気分がよくなった。洗濯物を干してから施設を見学してみた。入り口の外階段の前に鉄製のオブジェがあり、なぜか日本語が書いてあった。「道は生命の大学です」ここにはすでに何人もの日本人がお世話になっているようだ。 

夕方に集会室で全員参加のミーティングがあった。司会者がこのアルベルゲについて説明し、それを巡礼者の中でドイツ語と英語のしゃべれる人が通訳した。そして、簡単な自己紹介をみんながした。それはフランス人の道の宿でも1回経験したくらいなので、ここはやはり出会いや精神性を大切にする貴重なアルベルゲなのだ。

その後、全員が食堂に移動して晩餐が始まる。ここにいるのは20人くらいの巡礼者とボランティアスタッフたち。奥の席に真っ白なお鬚の老人が静かに座っている。何人かが彼に気づき、話しかけて抱擁している。それを見た人がまた同じように彼のもとに近づいていく。だれあろう彼こそがこのアルベルゲの創設者エルネスト神父だ。優しい目をしていらっしゃる。貧乏人をかばい過ぎて教会と不仲になったといううわさまである方なのだ。
何年か前バイクで天草の海を見下ろす高台にある木造の教会を訪ねて、おられたシスターと話をさせていただいた。
「わたしは教会を定年退職して、今はボランティアでここにきているの」とおっしゃる。聖職者に定年があるとは知りませんでした。ネットで調べたら神父の定年は70歳とあった。あのシスターはとても70を超えているとは見えませんでしたが、そうなのかも知れない。
しかし、エルネスト神父はとっくに70を超えていらっしゃるようにお見受けしました。彼は故郷で余生を送ることより、このアルベルゲで巡礼者の世話をする生き方を選ばれたのでしょう。
ハポネ遍路はみなさんと会話をする元気もあまりなく、せっかくのパエリアの夕食も少ししか頂けず。早々にベッドに向かいました。

明日は元気になっているといいのだけれど…。

少し不安を抱えながらも、暖かい気持ちで眠りにおちる遍路でした。

(つづく)

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