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2020年4月29日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (32)


711028 棚橋正人

71日(土)ルアルカ(Luarca )~ ピニェラPinera)  16
                                                        


昨夜はよく飲んだ!発散するお酒なので、目覚めは爽快だ!
なぜか「檀一雄」が気になっている。彼は晩年を、ひなびたポルトガルの漁村で大西洋に沈む夕陽を眺めながら2年ほど暮らした。場所は首都リスボンからバスで2時間ほどのところだ。
「フランス人の道」を歩いた2012年の帰り道、ポルトガルに寄りたかったのだが、とてもその余裕がなく帰ってしまった。その後、巡礼仲間の美紀さんからポルトガルには「ファド」という音楽があって、とてもいいよと聞かされ、気になっている。それで3度目のカミーノはぜひ「ポルトガルの道」を歩きたいと思っている。

吾輩の好きなものに文学史がある。高校の教科書が好きだった。近代文学に「無頼派」と呼ばれる人たちがいる。太宰治『斜陽』、坂口安吾『堕落論』、織田作之助『夫婦善哉』、檀一雄『火宅の人』の名前が並ぶ。どれも好きな作家たちだ。
1970年代、吾輩が必死で見ていた青春ドラマのヒロインが「檀ふみ」だった。その時は知らなかったが、彼女は無頼派「檀一雄」の娘だったのである。
私小説『火宅の人』は20年にわたって書かれた長編小説だ。1975年に完成しているので、檀がポルトガルにいた1970年から1972年にも書いていたと想像できる。その漁村サンタクロスにはYさんが教えてくれた俳句
「落日を 拾ひにゆかむ 海の果て」の句碑があるそうだ。
そして、俳優の高倉健さんが檀一雄の足跡をたどるドキュメンタリーの撮影でその村を訪れたことがあるらしい。そういえば、健さんは映画の仕事がオフのときはポルトガルで過ごしていたと何かで読んだ。健さんとポルトガルを結びつけたのは檀一雄なのかもしれない。
ちなみに、檀ふみが芸能の仕事に入るきっかけは、彼女の叔父が関係する東映の撮影所で見かけた健さんだというから、人の出会いとは不思議なものだ。

さて、ポルトガルからスペインにもどろう。アルベルゲのラウンジで朝飯を食べていたら、昨日のアジアの青年が話しかけてきた。なんと彼は中国人だった。それも台湾とか香港ではなく大陸の中国だという。世の中も変わったもんだ。共産主義の国の青年がカトリックの巡礼路を歩いているなんて信じられない。彼は雲南省からヨーロッパの大学に留学しているという。今は夏休みで「歩き旅」にはまっている。これはいいことだ。カミーノには世界中から若者が集まってくる。お金もかからず同じ目標に向かって歩く旅は、素晴らしい友情の輪を広げるだろう。彼は実にきれいな英語を話していた。世界の平和な未来はきっとこんな若者が切り開いてくれるに違いない。

宿を出て、昨日バスで下った坂を上る。高台から見下ろすルアルカの町は実に美しい。岬には白い波が今日も砕けている。その右側の断崖の上には白い教会が建っている。雲が分厚い。ときおり雨がパラパラ降ってくる。これは当分カッパを脱げそうにない。

振り返るとその厚い雲の間から一筋の白い光が地上を照らしている。雷に見えなくもないが、何回見直しても筋状の光なのである。それが5分以上続いた。なんだ!なんだ!イエス様かマリア様がご降臨あそばすのか!いやー不思議!不思議!
道は村の集落を抜けてトウモロコシの畑が続く。やっと雨があがった。すると道路にカタツムリが出始めた。スペインのはデカい!カラなしのは10センチ以上ある。そんなのを見るとついつい写真を撮りたくなって止まってしまう。

草原の中に建つ教会の様式が違ってきた。新しいというかシュッとしてる。
次は猫がひょっこり現れる。単調な歩きにこれはほんと癒される。

あまりに単調だった道中で歌ができた。カミーノで見かけた「オレオ」という穀物蔵。土台と柱は石材なのだが、蔵そのものは校倉造のような太い木材を使っていて、なぜか懐かしい感じがする。そこで自然と歌が出た。サッカーの観戦でサポーター達が歌うあれです。あのメロディーで

オーレ― オレオレ! オレオレ! 俺 おまーえ
オーレー 俺 人!  俺 人!  お前 うーし!

オーレ オレオレオレー オレオレー オレオレーオ!(オレオ!)

オーレ オレ 蔵 オレオレ 俺はクーラ!
オーレオレオレオレ オレオレー オレオお菓ー子!


自作の歌詞を大声で歌いながらカミーノを歩く!

アドレナリンはいろんなものを生み出す!

それがおもしろい!! 
オレオと聞くと思い出すのはナビスコのクリームをはさんだ黒いクッキーだ。
穀物蔵のオレオと関係を調べたがみつからなかった。この高床式倉庫には二千年の歴史があるそうで、スペイン北西部に多く見られ、その起源はケルト文化だそうだ。そうすると正倉院の校倉造を思い出すのも不思議はないかもしれない。6本の石の柱の上にネズミ返しの丸い石が置かれ、その上に穀物を入れる小屋が載せられている。その丸いネズミ返しの石の形がお菓子のオレオに見えないこともない。読者がもしガリシア州に行かれたらぜひ、倉のオレオとクッキーのオレオを比べてもらいたい。

眼下に高速道路を見下ろして峠を下る。海も見える。そこをさらにダラダラ下る。畑の中に3つ目の教会が見えてきた。線路を跨いだ先に車がいっぱい止まっている。礼拝があるみたいだ。今日は土曜日だった。ちょっと覗いてみるか。教会の隣の建物がナビアのアルベルゲだった。カギは開いていたが時間がまだ早くて3時前。誰もいないが本日の歩きはここまで!

荷物を降ろす。設備は新しい。近くに商店やレストランはなさそうだ。
シャワー浴びてお昼寝をしているうちに何人かの巡礼が到着していた。
夕方、車でおばさんがやってきて受付をしてくれた。「食事が欲しい人はいる?」というから頼んだ。出てきたのはトルティージャという卵焼きとパンとオーリーブと水。なんと質素な夕食だろう。「郷に入っては郷に従え」昨日の散財とは大違い。こんな日があってこその修行の旅と、ありがたくいただきます。

もう明日のこころだー!!

(つづく)

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