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2020年5月27日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (36)


711028 棚橋正人

75日(水)モンドネド(Mondonedo)  ~ ゴンタン(Gontan) 17㎞ 
                                                     

  ガリシア地方はともかく雨が多い。800年ものあいだ雨に降られれば石造りの教会にも苔が生える。モンドニェード大聖堂の屋上にはぺんぺん草まで生えていた。それはそれで「わびさび」を好む我々にはとても好ましい。その苔むしたところが、目指すサンティアゴ・デ・コンポステラのカテドラル(大聖堂)と似ている。だが、それは2012年に僕が見たカテドラルで、現在のそれは改修工事ですっかりきれいになっているはずだ。

 
 目覚めると朝焼けが美しかった。丘を上って振り返るとカテドラルが眼下に見える。いい眺めだ!牧草地の中の道をぐんぐん登っていく。歩きくたびれたところで道の脇に農家が一軒見えてきた。看板がある。読めたのは「Open House-donation」の文字。なんだろう?お接待かな?ちょっとのぞいていこう! 
テラスのテーブルに昨日のスペイン人の若者がいた。「オラーッ!」と朝の挨拶を交わす。奴らはここに泊まったみたいだ。隣には昨日とは別の可愛い女の子がいる。スペイン野郎もイタリア男には負けず、隅に置けないのだ。
 コーヒーがフリーだというので休んでいくことにする。女将さんが出てきてこの先の地図を見せてくれた。若者の一人が「ぜひバスルームに行け」という。「今はいいよ!」と断ったが、それでも行けという。なんだなんだ?トイレに連れ込まれてボコボコにされるのか?ここは「暴力アルベルゲ」だったのか…?
女将さんまで「のぞいたら」というので入るとビックリ!なんとそこは「アルタミラの洞窟」だった!
 これはなに?きれいな水洗のトイレとシャワーがあって壁にはなんとアルタミラ洞窟と同じ絵が描かれてあった。オーッすごい!牛と馬と古代人が踊っている!外に出るとスペイン人の若者3人がニヤニヤしながら待っていた。

   「なっ!すごいだろ?」
「うん!すごい!」
   「これは見るべきだろ?」
「そりゃそうだ!」

ここの女将さんは芸術家だったのだ。この壁画を描いたのは2万年前のクロマニヨン人ではなくこの館の主だった。旅人のお世話は奉仕でやっている。こんなところが「北の道」にはあるのだ!これだから旅は楽しい。
 四国遍路85番「八栗寺」に向かう坂の途中にもこことよく似た「仁庵」という接待所がある。私費で佳代子さんご夫婦が建てた庵だ。縁側に座ってお茶とお菓子をいただく。ほっこりと癒され元気が回復する。奥の座敷はお茶室になっていた。こんな気持ちのいいところがあることに感激だ。お世話しようという方の思いが自然と伝わってくる。千年続くこの道は、こういう方々の善意が集まって出来ているのだと思った。

 さて、にぎやかな奴らも出発したから、そろそろ行くか!お代はドネイション。あとに続く旅人のために大き目のコインを箱に入れた。

 
  村に入ると薪を球体の形に積み上げたのが二つあった。まるでイヌイットの氷の家イグルーのようだ。村の家の屋根がまるで魚のウロコのように見える。これはムーミンの住んでいる家の屋根だ。材料は瓦でも萱でもなく天然の黒くて薄い石だった。それを幅40センチから70センチ・縦の長さを30センチくらいにカットしてある。どれだけ手間のかかる屋根ふきなのだろうか?この技術が伝承されているところがすごい。この屋根材を後から調べてみた。いわゆる天然スレートと呼ばれるもので粘板岩というらしい。スペインが産地で耐久性は何百年というからびっくりだ!

 
 眼下にマッチ箱ぐらいの家々が見える。けっこう登ってきた。昨日に続いて自転車の夫婦が追い越していく。奥さんの方はかなりバテ気味で自転車を降りて押している。俺も、もうだめ!ぐるじー!と音を上げていたら、後ろから「オラー!」と声をかけられ、ベルギー人のデルクとカルラが追い越していく。旦那はスタミナがありそうだが、カルラは着いていくのがやっとという感じだ。なんだ坂!こんな坂!よし俺もがんばるぞ!
 やっと峠だ!風力発電の風車がのんきに2つユルユルと回っていた。
 次の村に入った。おばさんが一輪車を押しながらシェパードを連れて現れた。「オラー!」「写真を撮ってもいいですか?」OKをもらってパチリ!いいお顔をなさっている。こんなのどかな農村風景の中にいる自分がおもしろい。これで今までの疲れが、全部吹っ飛ぶから不思議なのだ!
 夕方近くやっとゴンタン(Gontan)の町に着いた。アルベルゲは新しかった。
 ここでまた雲南省の大学生と再会。彼は笑顔で迎えてくれた。

 明日はマイワイフ美智子さんの誕生日!忘れずにメールを送ろう!
 そんなに距離は歩いてないがずっと登りで疲れた。もう眠れる。
 こんな何もない平和な日もありだな!
 おやすみー!明日のこころだー!

2020年5月25日月曜日

大和西大寺駅南北自由通路


 419日。大和西大寺駅の南北を渡れる通路が開通したそうです。
 私の学生時代。大学は当時宝来町にありましたから、西大寺駅もよく利用しました。駅の南口改札口は今と違って地上にあり、改札をくぐって右方向に階段があり、数段上がって直進すれば5番線、直進せずに左に曲がり階段を上がれば、14番線という具合でした。
 いつしか橋上駅になり、改札口の中にたくさんお店もできて…しかし、電車に乗らない人が駅の南北を行き来するのは、駅の西側の地下道を通るか、さらに西にある開かずの踏切を渡るしかありませんでした。
 それがこの度、駅をまたぐ通路ができたのです。行ってみました。北側、近鉄百貨店側からアプローチしてみましたが、まず長い間慣れ親しんだ北改札口がなくなっていました。その場所には自由通路に上がるための階段ができていました。従来北改札口を利用していた人たちはこの自由通路を通って、新設された中央改札口から入ることになります。自由通路は自転車も押して通行することができるようになっています。
 中央改札口から内側を眺めると、ここはどこの駅?と思えるほど、シックな様子。これまでの南改札口は存続していますが、ネーミングやゲートの数からして、この中央改札口がこの駅の正面玄関になっていくことでしょう。

 自由通路を通って南側へ。エレベーターで降り立ったところが、かつて不二家のあった辺りでしょう。私の学生自分は南側の道路の向こうにはお店がずらっと並んでいましたが、今は何もありません。その代わり、南側にもロータリーが整備中で、こちら側からもバスが発着するようになる様子。


 さらに、ロータリーから南側に太い道路ができていて、県道1号奈良生駒線(かつての阪奈道路-大宮通のスジ)に接続しています。大和西大寺駅へは、南側からのアプローチがとても便利になりそうです。

(hill)

2020年5月20日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (35)

711028 棚橋正人
 
                                     
74日(火)ゴンダン(Gondan)~ モンドネド(Mondonedo)15km




雲が低くたれこめて天気が悪い。外はまだ暗いが一番に起きて、さぁー行くぞ!コンポステラまであと167㎞。ここらのモホン(道標)は新しい。牧草地の中の道を一時間ほど歩いたらLourenza(ローレンツァ)の村に着いた。
なんだ!こんなに近かったのか!


これもめぐり合わせ。道沿いのアルベルゲをのぞくと、昨日ゴンダン(Gondanの宿に立ち寄った長身の美しい女の子がいた。休憩がてら話してみると、彼女はなんとロシア人。3日前は中国雲南省の青年だった。なんとなく中国とロシアには親近感がわく。カトリックではない彼女がなんでカミーノに?と疑問に思って聞いてみた。すると彼女は現在美術の勉強のためにイタリアの大学に留学しているそうだ。なるほど、するとスペイン巡礼は留学先からの夏休み旅行というわけだ。60代のおじさんが歩いてもこんなにワクワクする旅なのだから、20代の若者が歩けば受け取るものは何倍も大きいはずだ。いいことだ!うれしくなったおじさんは、昨日折った折り鶴を彼女にプレゼントした。彼女はとても喜んでくれた。こんななんでもない出会いがカミーノの醍醐味なのだとおじさんはしみじみ思うのだ。

高原から見下ろす村々はすべて雲の中。白い牛がのんびりと草を食べている。濃い霧の中に巨大な送電線の鉄塔がそびえたっている。またモホンがあった。「あと162㎞」なんだ、まだ5キロしか歩いていない。そろそろ腹がへったと思ったら次の村に着いた。
バルに向かうと先ほどのロシア人の女の子と顔見知りの若者がいたので仲間に入れてもらう。それにしてもどこで追い抜かれたのだろう?女の子の名前はオリガで若者はポルトガル人のフィリップだ。フィリップはポルトガル語が日本に伝わっていることをよく知っていた。カッパもバッテラもポルトガル語なのだと彼が教えてくれた。

村を出てユーカリの林にさしかかると、巨大トラックが切り出した材木を積み込んでいる。トラック後部にクレーンが付いていて鉄の爪で丸太を器用に挟んで荷台に載せていく。しばらく見とれていたが、遍路は先を急がねばならない。土の道が続く。標識があった。Mondonedo(モンドネド)まで「あと3.8㎞」峠から町が見下ろせる。なにやら古色なたたずまいがいい。これは期待してよさそうだぞ。
すっかり天気は回復。山間の古い町だが規模が違う。聖堂は大きくて立派である。珍しく拝観料を払ってカテドラルに入った。期待どおり「北の道」で一番の教会だった。それもそのはずで、ここ「モンドネド大聖堂」は世界遺産だった。資料によるとイギリスの「セントポール大聖堂」がカトリックでなくなる16世紀に運ばれた遺物もあるらしい。建築は古いものが13世紀に建てられている。ロマネスクからゴシック・バロックの建築様式まで見られるそうだ。きれいなステンドグラスは18世紀のものだとか。とても見応えがあったのに見学者は私以外一組だけだった。サンティアゴから160㎞しか離れていないのに、これはもったいない。だが、これも「北の道」を歩いたからのご褒美なのでしょうね。モンドネド大聖堂を独り占めさせていただき至福の時でありました。

付属の博物館にはカトリックの儀式に使用する聖杯や十字架が多数展示してあった。なかでもよかったのは素朴なマリア像や母子像だった。これらは村の小さな教会に祭られていたものらしい。四国の遍路道にあるお地蔵さんに、これは作った人のお母さんかと思われるものが時々ある。ここのマリア様のお顔もたいへんよく似ている。市井の人々の思いは「洋の東西を問わず」なのだといたく感心する遍路でありました。

 アルベルゲは郷土資料館の隣のきれいな建物だった。ドアは開いていたが、やはりここも無人。巡礼者も他に2組だけ。先ほどバルにたくさんいた若い連中はどこへ行ってしまったんだろう。スペイン人もいたからいろんな情報を持っているんだろうな…。本日これまで!ザックを降ろしてシャワーを浴びる。

 シエスタから目覚めた夕方、制服の屈強なポリスマンがやってきた。
 「悪いことはしておりません!敬虔な巡礼者でございます」
 「日本人の元教師 公共施設への不法侵入で逮捕!」の記事が目に浮かぶ!
 「はい!みんなパスポートを出して!」
 「宿代は6ユーロだよ!」

なんだ!彼はアルベルゲの管理人だった。にこやかに料金を徴収してクレデンシャルにスタンプを押してくれた。アルベルゲは公共の建物の場合が多いから市の職員がいるというのはわかるが…。まあ巡礼者はよそ者には違いないから、ポリスがパトロールのついでに寄るというのはいいのかもしれない。西部劇の保安官みたいなものだ。彼は感じのいいタフガイで「写真をいっしょにいいか?」と聞くと、笑って応じてくれた。

 町を散歩していたら中学生くらいの女子3人に話しかけられた。今日は初めての経験が続く日だな。なんでもペレグリーノに取材するという夏休みの宿題があるそうだ。
「どこから来ましたか?」「旅の目的は?」などいくつか質問された。可愛いセニョリータたちだった。この町はなんとなく奈良を思い出させる古都の佇まいで、たいへん気に入った。
 レストランでMenu del Peregrinos(メヌー・デル・ペレグリーノス)、お遍路さん定食を食べる。野菜サラダが胃袋にしみる!ワインも美味!

 今日もしあわせ!明日のこころだー!!