このブログを検索

2020年5月6日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (33)

711028 棚橋正人
72日(日)ビニェラ(Pinera) ~ リバデオ(Ribadeo)   43㎞                                                        



朝、食堂でスペインの男性が刻み煙草を紙に巻いていた。見るのは初めてだ。他のみんなはまだ起きてこない。今日は日曜日だから、巡礼も休みだろうか?

さて、俺はそろそろ出かけるか!道は森を抜けて暗い小川を渡る。国道は車が走るから疲れる。土の道がやはり歩いていて一番楽なのだ。でも、そんな道はすぐに終わって舗装路に変わる。牧草地帯を進むと大きい牛舎があった。中にいるのはホルスタイン(乳牛)で100頭はいる。
ぼちぼち歩いて町に入った。トラックターミナルにガソリンスタンドがあった。飲み物とパンくらいは置いていそうなので寄ることにした。お姉さんが忙しく働いている。ファンタを飲みながら場所と時間をメモしようとしたらペンがない。お姉さんに「わるいけどボールペンを貸して」と頼んだら「どうぞ」と貸してくれた。そのペンを返そうとしたら「もっていきなさい」と彼女がほほえんだ。そのビックの青のボールペンが今ここにある。書き味は抜群である。そうだ!僕はまだこの借りを誰にも返していないと思い出した。

歩き出して2時間、赤い壁のアルベルゲがあった。ここはナビア。

大きな川の左岸に造船所のクレーンが見える。鉄道の鉄橋が道路の上を跨いでいる。川岸を見るとアメンボみたいに先の尖ったボートを倉庫から出す人たちがいる。これから練習なんだ。あれはエイトだろうかフォアだろうか?
川を渡って登りを行くと白い建物。アグアとあったから貯水タンクのようだ。また牧草地帯を行く。ぬかるんだ道を行くと線路に出た。看板があって「列車注意!」「サンティアゴはこちら」と黄色い矢印があった。このあたりで3日前のスキンヘッドと髭の2人連れに追いついた。スキンヘッドは中国系カナダ人だとわかった。話してみると意外に若い男だった。
草原の向こうに白い風車が回っていて、その反対側には海が見える。

腹へったと思った頃にラ・カリダーの町に着いた。なにやらにぎやかで車がやたら多い。町の中心の広場に行くとなにやらお祭りの雰囲気。民族衣装を着た人が何人もいる。人垣の中を覗くと「丸太割り大会」をやっていた。太い丸太の上に立って、足の間の木に長い柄のついた斧を振り下ろす。そして、2人の内どちらが早く丸太を2つにできるかを競うのだ。司会者の実況放送が入る。観客はヤンヤの喝采!楽しそうだね。
この「丸太割り」はバスク地方で盛んに行われる力比べの競技だそうだが、ここはアストゥリアス州でバスクではない。「大草原の小さな家」はアメリカの開拓時代の話だが、その中にも「丸太割り」が出てくるから農民の祭りの行事として広がったのだろう。
ゲームが終わったところで民族衣装の一団に「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと笑顔でOKをもらった。小さい女の子が可愛かった。真ん中の親父が「お前も撮ってやるよ!」と入れ替わった。隣のお姉さんが腕を組んでくれた!なんか嬉しいな!「ありがとう!グラシアス!」
広場に続く公園に露店がずらりと出ていた。食べ物におもちゃ、お土産物もいろいろ並んでいる。その奥に古い農機具の展示があった。時代物のトラクターが修理されて並んでいる。色は緑に赤にオレンジ。ライトがまん丸でまるで昆虫の目に見える。そう思って見ると、トンボ顔・コオロギ顔・バッタ顔のトラクターが実に可愛かった。
自分はトラクターが好きかも知れない。初めてトラクターに興味を持ったのは北海道別海町の牧場で働いている時だ。ここは国の肝いりでアメリカ式大規模酪農のパイロットファームとして開拓された土地なのだ。その資金はなんと世界銀行から借りている。それでトラクターもアメリカからの輸入車で、びっくりするほど馬鹿でかいものだった。エンジンはフォード製の排気量5000㏄。こんな巨大なエンジンは初めて見た。それに比べればここのトラクターは小さくてかわいい。せっかくなのでこの時撮った写真を調べてみるとHANOMAG(ハノマーグ)にDEUTZ(ドゥーツ)これはドイツのトラクター。もう1台のJOHN DEERE(ジョンディア)はアメリカ製だった。どれも1900年の初めころのトラクター。これは車好きにはたまらない代物だと思う。スペインの国土は日本の1.3倍だから、大排気量のアメリカ車よりやっぱりスズキのジムニー(こちらではサムライ)が似合う国なのだ。

もう昼過ぎ、今日は先ほどの広場からバスに乗ってリバデオまで移動する。
バス停で並んでいたら、なんとルアルカで夕食を一緒に食べたYさんがいた。「なんで?」バスの中でお話を聞くと、膝の痛みが悪化しているという。こちらの病院で治療をすると旅行保険の支払いになるので手続きが面倒なのと、言葉の問題で不安がある。家族と相談して、一旦帰国して治療した後コンポステラの語学学校に戻ってくるとおっしゃる。たいへんだ!ちょっと元気がない。お気の毒としか言いようがない。バスでリバデオまで行ってコンポステーラ行きに乗り換え、飛行機でマドリッドに行くそうだ。身体が一番大事ですからそれがいいですよと慰めた。Yさんが、僕の『星めぐりの旅人』のブログを2日間で全部読んでおられたのにも驚いた。カミーノはいろいろ。Yさんも初めてのカミーノではないのに膝の痛みでリタイアを余儀なくされた。これはもう神様の思し召しなのですよ。明日のことは分からない。ただただ歩かせて頂いているだけ。やはり「巡礼の道」というのはそのようなものだと、つくづく四国遍路も含めて思うのでございますよ。

バス停でYさんと別れアルベルゲを探す。リバデオも河口の町。中心地から岬に向かって高台を目指す。宿は見つかったが、またしても高校生でいっぱい。夏休みに入ったもんな!1泊6ユーロは安いよな!しかたない!おじさんは町のオスタル(安宿)を探すことにした。
しかし、この町は何か変だ。見たこともないデザインの建物が建っている。一番は市庁舎の隣の円筒形のビルディング。屋根が赤のウロコ。展望室があるが建物自体はかなり傷んでいる。よく見ると網やフェンスが張り巡らしてある。なんだ!これは?
調べてみたらこの変わった建物は、この町から中南米に行き、大儲けをした人々(この人たちをインディアノスと呼ぶ)が建てた高級アパートだそうだ。ちなみに赤屋根円筒アパートはガウディーの弟子の作だとか。先にバルセロナで本物を見ておいてよかった。やはりガウディーは稀有な天才である。
町中にもアンティークや古い写真・昔のドレスが並ぶ洋品店がある。どれもウインドウから覗けるが人の気配がしない。食堂の看板にPULPO(蛸)が描いてある。そうかここはもうガリシアなのだ!

夕暮れのメインストリートを幼稚園のスモックをきた大人がふざけながらやってくる。よくみると半ズボン・ミニスカートのいい歳のおじさん・おばさんだった。女性が3人・男性が4人。なんだこれは?寸劇のようにも路上パフォーマンスのようにも見える。お祭りなのか何なのか最後まで謎のままだ。
ここは不思議で謎の町リバデオだった。

この町でカンタブリア海とはいよいよお別れだ。「北の道」の4分の3を占める海沿いのルートがこれで終わる。きれいな海だったが流石に海はもう見飽きた。プリミテボ(原始の道)に行けばよかったと何回後悔したことか。
明日からは内陸のルートを行く。サンティアゴ・デ・コンポステーラまで残りあと200キロを切った。ここからはスルーせずに歩く。体調も万全。
さて、明日は何が起こることやら…。

明日のこころだー!!

0 件のコメント:

コメントを投稿