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2014年12月30日火曜日

年中無休


 お正月が近い。
 このことに気づいたのは夏のことなのですが、ちょうどその問題の日が近づいてきたこともあって書きます。
 大阪市大正区のイケアで見つけた、「年中無休」という表示についてひっかかっています。その後に書かれている(1月1日を除く)という部分です。
 1月1日を除くのであれば、年中無休とは言わない、言えないのではないか。だって、「一年中休みなし」のことを年中無休というはずなんですね。想定外の休業はともかく、初めから1月1日を休みにすることを決めてあるのに年中無休はおかしい。
 その下に英語で書かれているもののほうが、ずっと実態に合っているように思いませんか。
 「Opens daily (Closed January 1st)」「毎日オープンしているけど、1月1日は閉めるよ」って感じでしょうか。そうですよね、「年中」という言葉を使うからややこしいんです。英語表記のように「毎日営業(1月1日を除く)」と書いてくれれば疑問をもたなかったのです。このブログの記事にもならなかった。   (^_^;)


 気を取り直して、「年中無休」で検索をかけてみたら、同じようなことを考える人がいるのですね。ヤフー知恵袋に私と同じような質問がありました。
 ベストアンサーとされた回答には、年中無休は「ほぼ365日営業します」(下線はhillが引きました)という意味なのだと記されています。つまり、イケアの表示は正しいというわけですね。
 そこで国語辞典。新明解国語辞典第4版を開いてみました。「年中」の項に、「そうでない日がないくらいいつも決まってそうすることを表す」(下線はhillが引きました)とありました。1日くらいの例外は許されるわけですね。
 とすると、私の年中無休という語への理解がまちがっていたわけです。
 結論はとても恥ずかしいところに落ち着いてしまいました。(TvT)

 今年一年、お世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。みなさん、どうぞよいお年を。

(hill)

2014年12月23日火曜日

朔旦冬至

 昨日は冬至でした。ゆず湯に入って、なんきんを食べてという方は多かったはず。
 昨日の冬至は冬至の中でもスペシャルな冬至で、朔旦冬至(さくたんとうじ)というのだと友人が教えてくれました。 その友人がいうには、新月と冬至が重なる日なんだそうです。月の復活と太陽の復活が重なる、大変めでたい日なんだとか。これが19年に一度しかやってこないという話です。
 19年前。前回は1995年ということになります。この年、私は何をしていただろうと考えてみます。あの学校に転勤した年だったなと思い出していました。
 そして次回はというと、19年後ではなく、38年後に朔旦冬至がやってくる。説明書きを読んでも私には難しすぎて理解できないのですが、19年後には冬至の日と新月の日が数時間のずれで日を跨いでしまう(同じ日にならない)ので朔旦冬至にはならないのでそうです。38年後、うーん、残念ながらあちらの世界にいそうです。だからどうということはありませんが、私の人生最後の朔旦冬至か。静かにもの思いをしたい。
 ところが。朔旦冬至の昨夜は学校の忘年会。にぎやかに過ごしてしまいました。こともあろうに、ゆず湯にも入らず寝てしまいました。朝から大慌てで入りましたよ。
 今日の夕方、西に向かってクルマを走らせていました。太陽が沈んだ後の山の端に、細い細い月が見えました。信号待ちをしている間にその二番目の月は早々と山に隠れていきました。


(hill)

2014年12月7日日曜日

教員免許状更新講習

 
 衆院選です。衆院選というと、おそらくこの国の教員たちは同じことを思い出すことでしょう。今の総理大臣が前回総理だった時に教員免許更新制が導入されました。その直後政権が変わったことで、この制度もやがて立ち消えになるだろうと、全国津々浦々の職員室では希望的観測をしたはずです。ところが、希望的観測は希望的観測のまま、また政権が変わって現在に至ります。
 この間、県教育委員会から、「更新講習終了確認証明書」が送られてきました。そのコピーを取って学校に提出したので、私のこのたびの教員免許状更新講習の一連の作業は終了ました。私の一生で最初で最後の更新講習は終わりです。

 教員免許状更新講習。8月に5日間、大学に通いました。
 5日間30時間の講義を受けて感じたことを記します。あくまで私が受けた印象です。
 まず、受講者にとっても講師にしても、この講習が他からおしつけられたという気分がどうしてもぬぐえないこと。感情抜きに受講しないことにはオマンマ食い上げになってしまう。「こんな勉強をしたい」「こんな講座を待っていた」という動機ではないのです。もちろん、3日間(18時間)は自分の興味ある講座を選べるのですが、それとて受講しなければ免許状が失効してしまうというスタートなのです。
 その気分は残念ながら講師先生も同様のようです。「政権の都合により、ご苦労さんですなぁ。お気の毒様です。でも、私たちもそうなのですよ。他にもやらなきゃならない仕事もたくさんあるのに、講習をしなければならないのです。たいした手当てもないのに。」こういう講師の本音?を漏らした方もありました。何年か前に受講した同僚も同じようなことを聞いたと言っていました。
 若い講師先生は大変だなと気の毒に思いました。自分よりずっと年上の不機嫌な顔をした受講者がたくさん座っている。「緊張する。」とおっしゃった講師もいました。
 講師先生は学生に半年か一年かかって講義する内容を、80分や90分で終えなきゃならないというのもプレッシャーだったようです。みんな「時間が足りない」とおっしゃるのです。


 二つめに、受講者の差異をどうするのかということ。必履修の「教育の最新事情」(12時間)には、幼稚園から高等学校、特別支援学校に勤務する教員までが受講していますが、やはり現場によって、響く部分が違うはず。そんな話を聞いてもなぁと思う部分も当然あるわけです。隣に座っている教員と話し合いを持てという時間もあったのですが、こちらは高校、先方は小学校で、ベースが違うのでなかなか議論にならない場面がありました。国語関係の講義では中学校、高校の教員が受講者です。高校の中でも現場はそれぞれであるはず。まして素材が古典になれば、中学校と高校では大きな差があると思うのですがどうでしょうか。
 三つめに各講義の後、あるいは一日の講義のあとに行われる終了認定試験というのが難モノであること。テストを受ける前に、講義内容を整理しておきたいと思うのですが、その時間がありません。講師先生はできるだけたくさん伝えたいと思われるようで、時間一杯までしゃべって、「はい。というわけでテストに入ります」となるので、整理・定着ができません。講義内容の確認テストならまだそれでもいいのですが、「講義内容を踏まえて、あなたの現場ではどんなふうに展開するかを書け」なんて出題されても10分では答えられません。
 もちろん、講義を一生懸命に聞いてメモを取ってはいるのですが、どうしてもテストをクリアすることが目的になってしまいます(安くない受講料を払っていますしね)。自分の興味ある部分で聞くことができないのです。テストは資料を持ち込むことが可能です(1時間だけ不可の講義がありました)ので、ひたすら資料に書き込みばかりになります。テストが終わったら頭の中をオールクリアして、次の講義に備えなければなりません。講義をいい加減に聞いたり、寝る受講者がないようにというテストだと思いますが、これも良し悪しだなと思います。
 そして、免許状更新講習に落ちる人がほとんどないらしいというのも怪しい。講師先生が、何か書いてもらわないと困るとおっしゃるのも不思議です。
 いえいえ、不合格にならなくてよかったと、胸をなでおろしています。おそらく、半分目をつむって採点してくださったのでしょう。ありがとうございました。


(hill)

2014年11月30日日曜日

熊野古道を歩く

静岡県にお住まいの大坪正和さん(82年度卒)からメールをいただきました。、掲載いたします。

 

熊野古道を歩いています。

 午前4時に自宅を出て、途中お伊勢さんにお参りし、那智駅から那智大社を目指します!



 大門坂から杉並木の急坂をのぼります。足腰が弱っているのがよくわかります。汗だくになって30分、ようやく那智大社に着きました。
 いい天気です。那智の滝もキレイに見えました。久しぶりに聞く関西弁も心地いいです。さて、ゆっくり温泉につかるとしますか。

 静岡から自家用車で関西地方に出掛けようとすると、伊勢湾岸自動車道の四日市から鈴鹿の渋滞を避けたいので、どうしても午前4時出発になってしまいます。今回も熊野那智駅にクルマを置いて古道を歩くとすると、ちょうどいい時間なのです。


 本当は、伊勢神宮からずっと歩かなければいけないのでしょうが、一泊2日の『にわか熊野詣』ではとても無理です。学生時代にはお金もなかったので、よく歩いていたのですが、今は校舎4階までの登り降りがせいぜい。ただ歩くのもしんどいのに、坂あり、急な階段あり。11月としては暑いくらいの陽気で汗だくになってしまいます。
 足回りだけはしっかりしてきたのに、肝心なサスペンションもシャーシもガタがきていました。若いお嬢さんはヒールの靴で来ている人もいて、『大丈夫かいな?』と思っていましたが、そんなお嬢さんにも抜かれて行く始末です。

 那智大社表参道の看板に『元気のパワースポット』なんて書いてありますが、とても元気なんて出ませんヨ。
 帰りはバスに乗って駅まで戻り、駅前の温泉で癒されたのでした。


 翌日は熊野速玉大社に参詣。
 昔は本宮大社から熊野川を船で下ったそうな。


 静岡まで帰ることを考えるとあまりゆっくりはしていられませんが、せっかく和歌山まで来たのですから、紀州ミカンをお土産にとお店を覗いたら、おばちゃんが
「神倉に行かはった?」
「いえ、速玉大社に行っただけです。」


「あかん、あかん、ミカンは後でいいさかい神倉さんへお参りしたほうがエエわ。山の上にあるゴトビキ岩までいくんやで!」
「山の上ですか?」
 なんでも、速玉大社の起源になった岩がお祀りしてあるらしいのですが、今日はさすがに山登りはしたくないなぁと思っていましたが、のっけから急登もいいとこ。手を付かないと登れない!またもや汗だくです。さすがにくだりは『女坂』を下らせてもらいました。
 ミカン屋に戻ったらおばちゃん
「お疲れさん!はい、ミカン!ん?静岡の人かいな。和歌山のミカンのほうが美味しいやろ!」
 不味いとは言えませんよ。



 帰りは眠気とミカンと格闘しながらの高速道路となりました。
 今回は本宮大社には行ってないので、近々伺うことになるのでしょうか。
 

2014年11月22日土曜日

奈良の秋

紅葉のシーズンもピークでしょうか。奈良あたりでも、「見頃」のマークがあちらこちらについています。
 このブログにも何度か登場した、奈良県庁近くの吉城園。今日行ってみました。実は一週間前にも行ったのですが、確実に一週間分紅葉が進んでいい塩梅でした。いつも同じことを言いますが、ここは訪れる人が少ない。時折グループがやってきますが、しばらくしたら元の静寂に戻ります。とても雰囲気のいいところです。風景を撮影しようと思って、画角の中に人がいても少し待てば、誰もいなくなるのです。

 開園直後に、バイクで門の横まで乗り付けました。バイクは便利ですね。およそ90分、じっくり風景の中で過ごしました。

 バイクに乗って次に行ってみたのは、東大寺幼稚園横の池。大仏池というそうですが、池の横に大きなイチョウの木があったはずだと思い出したのです。ここでも何人かの人たちが写真を撮っていました。また、絵を描いている人も数人いました。


 学生時代によく遊びに行った平城宮跡。あの頃はソフトボールをしたりしたものですが、久しぶりに訪れると、ソフトボールをできるような土地がありません。草の背丈が結構あります。それに、近鉄線の横はススキが生い茂って、電車もよく見えません。時の流れを感じました。

(hill)

2014年11月5日水曜日

閏九月の十三夜


 学校に勤務していると、秋は結構しんどい季節です。なんのかんのとイベントごとが多いのもこの季節ですし、体育系のことはよくわかりませんが、文化系クラブにおいて秋は、いろいろと行事ごとの多い季節。ずっと以前から11月を無事に越せるかなと、毎年のように思ったものです。ことの11月も結構しんどい。
 けれども、どんなに忙しくても、国語科教員は風流を愛する心を忘れてはいけません。
 今夜が閏九月の十三夜だと教えてくれる人がいました。そうかぁ、今年は旧暦で九月が二回あるわけだなと期待していたのですが、学校を出る頃には、雨がポツポツ。見上げても、まんまるいはずの月は見えません。どんなすばらしい月も雲には勝てません。あきらめていました。
 でも、希望を持ち続けるというのは大切なことですね。やがて雲が切れて、間からお月さんが見えました。
 今夜の月の画像です。

(hill)

2014年10月26日日曜日

北海道だより vol.18  松本 周




 ①もう、こんな季節になりました。

 ご無沙汰している間に、もうこんな季節になってしまいました。今年は十年に一度という紅葉の当たり年らしいです。毎年この時期は関西へ戻っていて見逃していたのですが、今年は見ることができました。その代り、舞い散る落ち葉や大量発生のテントウムシやカメムシとの闘いの日々です。どこから入ってくるのか、カメムシやテントウムシがリビングや廊下をわがもの顔で闊歩しているではありませんか。確保するためのガムテープの減り方がハンパじゃありません。
 ②紅葉の神仙沼にはシニアのハイカーがひっきりなしです。

 秋を体感しようと連れ合いと神仙沼(我が家から車で15分くらい)へ行ってみました。駐車場からハイマツ、アカマツ、エゾマツなどの原生林に囲まれた木道を歩くこと30分、湿地帯が目の前に広がり、その先にニセコ山系で最も美しく神秘的と言われる神仙沼があります。久しぶりのハイキング疲れました。
 ③やっと見つけたナイアガラ。

 秋はやっぱり「味覚の秋でしょ」というので、某テレビ局の朝ドラで観光客が押し寄せているらしい余市へ果物狩りに行ってみました。リンゴとナシとブドウ、おまけに栗まで食べ放題という観光果樹園へ行ったのです。ところがナシは終わっていて、栗はまだ早いということでリンゴとブドウ狩りだけ。ブドウはキャンベラスとナイヤガラが食べごろだということで、目指すナイヤガラの棚は一番奥。丘陵地帯に広がるキャンベラスの棚を中腰で通り抜けるのに一苦労。一つ丘を越えてやっとナイヤガラの棚に到着。腰をかがめて歩き回ってもブドウの房は見当たらず。10分以上歩き回ってやっと残り福の一房発見。味は格別でした。いっぱいぶら下がっているキャンベラスは今一でした。リンゴはいろんな種類があるのですが、採っていい畑のは手の届かない上の方しか残っていません。大きな脚立があったのでエンコラ運んでよじ登りなんとかゲット。美味しかったけれど、2個食べたら満腹になって残念ながら損した気分でした。
 ④選定作業中です。中国人のお姉さんでした。

 深まりゆく秋を前に感傷に浸る間もなく2~3日前から雪虫が飛び始め、いよいよ冬のシーズンになりそうです。ついに一昨日(19日)部屋の暖房を入れ、車のタイヤを冬用に付け替えました。おかげで昨日からは腰痛です。公共施設や早いお宅では10月初旬から暖房が入っていたのですが、節電のため(本当は電気料金節約のため、北電は二回目の値上げをします)セーターで頑張っていましたが、とうとうスイッチオン。


⑤美しすぎる川平の海岸

 冬用タイヤと言えば、昨年は気づかなかったのですが、8月の下旬からテレビCMが始まりました。「いくらなんでも早すぎるんでないかい」と思いながらこんな所へ行っちゃいました。テレビや雑誌でよく紹介されているアレ。水牛車で海を渡るというアレ。そうです西表島から由布島へ海を水牛車で渡るという観光です。7月に名古屋にいる息子の家へ行ったとき、「8月末から石垣島へ行くけどどうする?今なら飛行機とれるよ。」と突然のお誘い。孫との旅行だし、ビールの勢いも手伝って後先考えずに二つ返事でOK。てなわけで、新千歳空港から中部国際空港経由で石垣空港へ日本縦断の旅へ。石垣まで行けば西表はすぐそこ。長年の夢をかなえた次第。
 ⑥白いハイビスカス。暑苦しくなくていいですね。

 ドピーカンの太陽の元きれいな海で泳いでいたら、いきなりのスコール。雷さんまでもれなくついてきました。暫くするとまた快晴に、さすが亜熱帯。ちょこっとオシャレにランチをしようと海の見えるカフェへ。そこの駐車場に白いハイビスカスが咲いてました。白いのは珍しいんだとか。因みに花言葉は「繊細な美」らしいです。
 次の日、水牛車に乗るためにフェリーで西表島へ。(ここまでくれば台湾もすぐそこなんだけど)マングローブの生い茂る川のクルーズをした後やっと水牛車の乗り場へ到着。馭者(馬じゃなく水牛だから間違ってるかな)のおじさんの島唄と涼しい海風、のんびりした水牛の歩調、もう少しでウトウトして海へ落ちそうに。なかなかいい感じでした。
 ⑦時間がゆったり流れる由布島




 あららっ、「沖縄だより」になっちゃいましたね。申し訳ない。暑い南国から北の大地へ帰ってみると秋の気配濃厚。朝夕ひんやり、周りは稲刈りとジャガイモ収穫の真最中。まだ9月なのにテレビではもうストーブのCMまで始まっていました。日本は広いんだとつくづく実感。
 ⑧全国の8割は道産のジャガイモらしいです。

 ⑨窓から見た裏山の景色。もうすぐ雪に埋もれます。
 今日は除雪機をメンテナンスに出しました。いつもお世話になってる札幌の自動車整備会社の社長さんが直々にキャリアカーで取りに来てくださいました。それも朝7時にです。もう一台除雪機を積んでおられたので、いったい何時に札幌を出られたのやら。おまけに助っ人が二人も同行でした。日頃仲良くしていただいている蘭越の方だったので、この社長なんて顔が広いんだろうとまたまたびっくり。いよいよ冬支度本番忙しくなりそうです。雪掻きに備えて腰痛対策もしなくっちゃ。

2014年10月22日水曜日

高桐院

 京都国立近代美術館のあとは、バスに乗って大徳寺へ行きました。大徳寺は初体験ですが、北大路からしょうざんまで歩いたとき、東側の塀に沿って今宮神社まで行った記憶があります。
 それにしても今日の観光客の多いこと。京都駅に9時前に着きましたが、観光客はお定まりのようにバスの1日乗車券を買い、列を作ってバスを待っています。外国人観光客も多い。紅葉の季節にはまだひと月ほど早いと思われますが、今でもこんな状態ですから、ひと月後はどうなるのかと余計な心配をしてしまいます。私も同じように1日乗車券(500円)を買いました。損得の問題よりも、私のようにバス乗車コンプレックスのある者には、乗っても降りても1日これ1枚!のほうが気分的に楽です。
 さて、大徳寺。塔頭がいくつもあるお寺です。大徳寺の中には庭園を公開している塔頭が三院、さらにこの時期に特別公開をしているところが三院あるようです。よくわからないまま高桐院という塔頭に入ってみました。


 山門から参道の雰囲気がきりっとしていて、歩いている間に気持ちが変化していくのがわかります。


 拝観の時間外に訪れてしまったのかなと思うほど、京都の町中の混雑とはまったく無縁な静かなお寺でした。いやいや、たまたま空いている時間なのでしょう。客殿(本堂)の廊下に毛氈が敷いてあって腰を下ろせる。紅葉には少し早いですが、それでも少し色づいた葉もあって、それはそれで風情があります。西に傾いたお日様の光が木々の間を抜けて苔の上に光を落としています。シーズンを少し外しているゆえ、とても静かです。気に入りました。
 ふと気づくと、観光タクシーの運転手が関東から来た客に説明をしています。運転手氏のメガネでは、ここはベスト5に入るお薦めのポイントらしい。みんな静かにしているのに、彼の声だけが客殿じゅうに響きます。さらに、客殿の「鳳来」と呼ばれる茶室では、開け閉めするなと注意書きのある窓の障子を開けたり閉めたりして解説、また掛け軸の説明をして警報を鳴らしてしまうなど、なかなかユニークな運転手氏でした。


 やがて静かになった茶室の障子には、木々の影が映りこんでいい感じになりました。


 私と同世代くらいのご夫婦。奥様がご主人に茶室について解説をしています。にじり口がどうだとか、蹲踞がどうだとか、水屋がどうこうとか。ここでは松向軒と呼ばれる茶室が見ておく値打があるのだそうです。炉が切ってあるけれども、炉は冬の間しか使わないとか…奥様は茶道の心得があるようですが、ご主人は私同様にさっぱりらしい。庭に降りて細川ガラシャの墓所を見て、再び、客殿廊下の毛氈に腰を下ろすと、隣はまた先ほどのご夫婦。聞くともなしに聞いていると、奥様は洋服でしたが、本当は今日着物で来るはずだったようです。他人事ながら、この風景の中でなら着物で来られたらよかったのにと思いました。


 木漏れ日は来た時よりもさらに長くなって、庭から毛氈の上に移動しています。そのご夫婦も帰ってしまいました。静かでいいぞと思っていたら、係の方が毛氈を片付け始めました。拝観は16時半まで。私も、高桐院を後にしたのでした。


(hill)

2014年10月21日火曜日

ホイッスラー展

 京都国立近代美術館で開催されているホイッスラー展に行ってきました。美術館なんぞに近寄るほど教養のない私が、この展覧会に行く気になったのはジャポニズムに大きく関わりがあるらしいということを知ったからです。

 ジャポニズム。西洋における日本趣味のことらしい。それで思い出したのは、日本に骨をうずめたポルトガル人、モラエス。彼は20世紀の初めごろから、本国ポルトガルに日本を紹介する文章をたくさん書きました。それに関わりがあるのかないのかはわかりませんが、西洋人の日本趣味というものを知ってみたいと思ったのです。
 この知識がどのくらい正しいかはわかりませんが、私が知っている浮世絵と印象派の関わりは次のようなことです。明治になって西洋の文明が入ってくると、日本人は自分たちの文化に自信をなくします。それで、陶器だの絵画だのを安い値段で西洋に売り渡してしまう。一方、西洋では写真技術の発明により、それまで安泰だった写実主義が揺らぎ始める。だって、まるで本物を見ているような絵を描いたところで写真にはかなわないわけだから。写実主義のあとにくる印象派の大きなヒントになったのが日本の浮世絵である。
 ロンドン万博(1862年)や、パリ万博(1867年、1878年)ではすでに日本の紹介がされていたそうです。1878年のパリ万博ではジャポニズムは大きな話題だったとのこと。


  ホイッスラー展では、全体が3つの章に分けられていて、第1章が人物画、第2章が風景画、そして第3章がジャポニズムになっていました。ホイッスラーの作品の中でも、人物の背景に浮世絵が描かれていたり、人物が日本的な小道具を持っていたりという作品がありましたが、もちろんそれだけでなく、浮世絵の構成をそのまま西洋の風景に置き換えたものや、構図としての発想を浮世絵に求めたものが多く紹介されていました。橋全体を描かないこと、船も全体を描かないのは、それまでの西洋の絵にはなかった浮世絵の手法だと紹介されていました。参考展示として浮世絵が隣に置かれていると、ほんに瓜ふたつなんて思う作品もあって、とても楽しい。別室の第4回コレクション・ギャラリーでも、ジャポニズムに関する展示が行われていて、浮世絵が大きく西洋の絵画に影響したものととして橋と船と木立と髪梳きの4つが取り上げられていました。


 (いいかげんな私のこと、ここまで記したことはあまり信用なさいませんように。)
 4階の窓からはすぐ隣に平安神宮の大鳥居が見えます。いい風景です。さらに、ここのトイレもさすが美術館と思えるくらい洗練されています。写真を撮ってしまいました。


 とても勉強のできた1日だと思ってはいるのですが、こんな私のこと、どうせすぐに忘れてしまいます。でも、たまには美術館に出かけて心を広くしなければならないなと思った次第です。

 京都国立近代美術館、いいところですね。

(hill)

2014年10月13日月曜日

十三夜と月食と


 台風18号と19号の間で、先週は光の話題が飛び交った週でした。ひとつは発光ダイオードの話題。ノーベル物理学賞に青色発光ダイオードの開発に関わった3人の日本人が決定したという話題。
 そして、皆既月食です。また月の話題になってしまいました。


 6日 20時35分
 その前に十三夜の月。6日が十三夜でした。

8日は雲も少なく、空を見上げるにはいい条件だったように思います。1日ずれて、9日が月食だったとしたら、満天の雲で何も見えなかっただろうと思います。9日夕刻、出張の帰りにバイクで走っていた私は少しですが雨に降られました。
18時47分

 18時47分

  ここしばらく、金星の太陽面通過だとか、皆既日食だとか、カメラを空に向ける機会が多かったのですが、今回も挑戦してみました。

  18時58分
 前の記事にも書きましたが、満月に近い月を撮影するのはさほど難しいことではありません。そこそこの倍率のズームレンズとスポット測光を備えているコンパクトデジカメならハードルは低いはずです。手持ちでも撮影できますから。

19時20分

  今回は、皆既月食で赤銅色になるという話ですが、その分暗いはずですから満月のように簡単ではないと思われます。
 月食が始まったころはまだ学校にいましたから、コンパクトデジカメで撮影しました。明るい月ですからとりあえず撮れました。
 20時18分 


 20時26分
  赤くぼんやりした月はコンデジでは難しいと思われます。帰宅して、一眼レフを取り出して三脚で固定、スポット測光にして、望遠レンズを取り付けて…、とはいうものの、望遠側が200mm(フィルムカメラ換算で300mm)です。クイックレリーズがないので、セルフタイマーでシャッターを切ります。赤い月もとりあえずは撮ることができました。
 20時37分

 
 翌日、撮れた画像をPCで確認していた気づいたこと。天王星らしき星が写っていました。月の右側、月2つ分ほど離れたところに、液晶画面のドット抜けのように光るものがあります。画像をスクロールすると一緒に動きますから、確かに天体でしょう。
 20時16分 画面右上の小さな光が見えますか?
 
 天王星だとすれば、地球から太陽までの18倍くらいの距離があるそうです。同じ1枚の画像の中にドット抜けのような星がいくつも写っていますが、それらが何という名の星かを調べる力が、私にはありません。よって、「私のカメラが捉えた一番遠くにあるものは天王星。その距離は約27km(太陽までを15千万km、その18倍)としておきましょう。

(hill)

2014年9月11日木曜日

中秋の名月

 9月の入ったばかりなのに中秋とはイメージ狂うなと思いますが、新旧の暦の違いなのですから仕方ありませんね。
 7日。滋賀県で月を見ました。(↑)
 8日は、職員室で仕事をしていて、「ああ、そうだった。中秋の名月だった」と思い出して、若い先生を誘って眺めに行きました。雲もほとんどないようで、はっきりすっきり見えました。その先生に満月の撮影って案外簡単なんだよと方法を教えてあげたら、しばらくして模様もしっかり見える満月を撮って見せてくれました。あら、初挑戦でもきれいに撮っちゃうんだと少々悔しく思い、私もカメラを取り出して満月を撮りました。帰宅して、ススキも団子もありませんが、物干しで泡盛のグラスを持って、お月見。(↓)


 翌9日は、授業で月の話をします。こういう話題になると生徒の顔も上がるのでした。そしてこの日は重陽の節句。授業の脱線には事欠かない1日でした。
 それにしても、中秋の名月
の翌日が満月という何とも不思議な空の事情です。「旧暦では15日は必ず満月」と教室で言っていることと合わない。まぁ、人間の作った暦と天体現象ですからズレこともありましょう。1日たつごとに月の出が前日よりも50分ほど遅くなります。学校からの帰りがけに撮影しました。(↓)
 


 満月の撮影の方法。露出をマニュアルで操作できる人はご自分のノウハウで撮影してください。
 高価な一眼レフでなくて、コンデジ(コンパクトカメラ)でもOKです。
 まず、画像のサイズを一番大きくしましょう。次に、測光モードをスポット測光に設定します。フィルムカメラの時代はスポット測光なんて高級カメラにしかなかったと思いますが、今や私が毎日持ち歩く安価なコンデジにも付いている測光方法です。画面全体の明るさがどうであろうが、画面中央の明るさだけを図る方法です。
 ズームを一番望遠側にして、月を画面の真ん中に置いて撮影します。露出補正で±0から-側に何段階か変化をつけて撮影しましょう。シャッター速度は何百分の1くらいになると思います。手持ちでも大丈夫です。
 露出を変えて撮影したもののうち、一番よく撮れたと思うものを選んで、月が適当な大きさになるようにトリミング、リサイズをかけます。ここに載せている画像は320×240ピクセルにしています。
 うまくできましたか。カメラの設定(画像サイズ、測光方法、露出補正)を元に戻すのを忘れないでくださいね。

 
(hill)