このブログを検索

2019年11月27日水曜日

2017年 スペイン巡礼 北の道 (10)


711028 棚橋正人

6月9日(金) マルキナ=シェメイン (Markina-Xemein) ~メンダタ ( Mendata )

マルキナの朝は、これから仕事に行く人達をバス停で見送るところからスタート。元気溌剌!というよりみんなどんより疲れていた。昨日、コーラを飲んだバルの雰囲気も「労働者の町」の風情だった。郊外に石切り場があったので調べてみたら、ここはネロマルキーナという有名な「黒の大理石」が採れる地域だった。バスの労働者は出稼ぎの人達かもしれない。

ゲルニカまでは28㎞だがそこまで歩けるかどうか…?まぁのんびり行こう!
2時間ほど行くときれいな村の中に「Simon Bolivar Museoa」の看板があった。地元の名士の博物館のようだ。新しい建物で展示を見たがよくわからなかった。シモン・ボリバルなる人物のご先祖がこの村の出身だそうだ。ここの地名がボリバルだからこの地を治めていた家柄なのだろう。

調べてみたら、いかに自分が世界史の授業を聞いていなかったかが分かる。
シモン・ボリバルとは19世紀にラテンアメリカの独立を指導した人物で「南アメリカ開放の父」と呼ばれている。彼は南米ベネズエラのカラカスに名家の男子として生まれ、ベネズエラ・コロンビア・エクアドル・ペルー・ボリビアの五か国の独立に貢献した。
カミーノには南米の人も多く歩いているから、支配していたスペインにボリバルの博物館をみつけたら驚くことだろう。そんなこととは露知らず、お遍路は無料の博物館のきれいなトイレにただ感激しておったのでありますよ。

1時間ほど歩くと丘の上にセルナーツア修道院があった。回廊のところで司祭らしい人の後姿をみかけたが、あまり人の気配がしなかった。壁のレリーフが髑髏を鷲掴みにして飛んでいる鳥なのだが、これが何を表しているのかまるでわからない。日本の寺なら因果応報とかそんなところなのだろうが……。
丘を下るとまた小さな村があった。バルで休憩。車の付いた背負子(しょいこ)にリュックを積んで押している巡礼者を発見!巡礼の旅にはいろんなスタイルがあるものだとつくづく感心する。
牧場地帯をだらだら歩いてまた小さな村に着く。アルベルゲの看板をみつけたのでのぞいてみる。私営のアルベルゲみたいだがきれいなので本日の歩きはここまで!
ゲルニカまでは2,3時間で着くはずだ。ゲルニカはユースホステルが便利だと教えてもらっていたので、明日は荷物をユースに預けて観光をしようと思う。

   シャワーをすませて食堂にいくとなんとドイツ人のソニャと再会。今度は相手が変わってドイツ人の大学生イネスとペアになっていた。
イネスは漢字に興味があるという。自分の名前を漢字にしてくれというから「稲巣」と書いてあげた。なかなか気のいい奴らだ。食事は近くにレストランがないので宿が提供してくれた。ドイツ人2人はベジタリアンらしく別メニューだ。
リビングにいると突然ブレーカーが落ちた。オーナーを探したが建物の中にはいない。奴が住んでいるのは別のところのようだ。しばらくしたらオーナーが現れてやっと電気がついた。
ここは丘の上。テラスからの眺めがいい。食事をゆっくり食べていっぱいおしゃべりしてもなかなか日が沈まない。こんな時間の流れ方がとてもいい。
ソニャにも会えたし、この宿にして正解だった。こんな偶然の積み重ねがカミーノの楽しいところなんだな。

さて、明日はだれに会えるかな!楽しみです!

でも、睡魔が…睡魔が……。

グゥーグゥー…。

(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿