5時間30分かけて、18kmほどを歩きました。歩いてみれば、それまで見えなかったものが見えるのではないかと淡い期待もしましたが、凡人の当方にはこれといったひらめきもありません。「亀さん、問題の列車に乗ってみようじゃないか」と言って、列車内から事件解決のヒントを見つけてくる十津川警部のようにはいかないのです。とりわけ、兼好の立場ではなく、「仁和寺にある法師」の立場でものが考えられるのではないかと思ったのも、考えすぎでした。
現代、「法師」を擁護する意見もあるようです。例えば、今でいえば東京大学のように最高学府だった仁和寺のお坊さんがこんな失敗をしたということを書きとめることで、兼好は溜飲を下げたとか。また、都に住まいする者にとっては東にそびえている比叡山と比べれば、男山は低い低い山であって、俗人たちが踏み固めた山道は、畏怖を感じるに足りないとかいうものです(男山は標高143m、仁和寺の目の前にある双ケ丘は標高116mだそうです)。
「仁和寺にある法師」が、仁和寺本家の僧だったのか、子院の僧だったのかは本文だけでは情報が足りません。また、それなりの年齢であることはわかるものの、僧としての位がどれほどであったのか、よくわかりません。それが明らかにされないと、「ただ一人徒歩より詣で」た意味が定まらないと考えられます。
ただ、この桂川、宇治川、木津川に流れ込む水が、例外なく大山崎の狭い谷を通って大阪湾に流れ込むしかないと考えたとき、京の都からは、水の流れを頼りに下流へ歩いていけば石清水八幡宮のある男山の近くにたどり着くはず。兼好の時代、小椋池があったにせよ、下流を目指せば男山の近くを通ることになります。とすれば、「仁和寺にある法師」が「先達」をアテにしなかったのは、「先達」がなくてもたどり着けるという安心感があったからではないのか。
私は5時間半かけて高良神社にたどり着きました。google師によれば、所要3時間39分。「法師」も3時間~4時間で到着したはず。しかし、その日のうちに、同じ距離を御室に向かって帰らねばならない法師を考えると、男山付近でのんびりしている余裕がなかったのではないかとも思われます。季節が明らかにされていませんが、もし冬至に近い頃なら、昼間は10時間を切っているはず。のんびり山登りなんぞしていられません。
御室あたりに住まいする者にとって男山は、頑張ったら日帰りできるのに、「年よるまで岩清水を拝ま」ずにいた微妙な距離にあるのです。
2013月5月訪問
(「仁和寺から石清水八幡宮まで」 おしまい hill)