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2023年7月1日土曜日

三河の国、八橋といふ所にいたりぬ 東下り(1)

 

 

 知立市八橋。まるで在原業平のテーマパークです。

  八橋の鎌倉街道沿いには業平塚があり在原寺があり、この近くで「かきつばた」の折句を詠んだとされる落田中の一本松があります。無量寿寺には業平の万葉椿があり、杜若姫供養塔があり、業平が水を汲んだという業平の井があり、業平竹まであります。

逢妻男川

逢妻男川と逢妻女川合流地点

  さらに、落田中の一本松の近くを流れている川の名は逢妻男川(あいづまおがわ)。この川は下流で逢妻女川(あいづまめがわ)と合流し、逢妻川(あいづまがわ)となる。この二本の川に挟まれたところを衣ケ原丘陵というのだから、できすぎのイメージすらあります。
 伊勢物語が紀行文ではなく歌物語であるから、そもそも物語に登場する場所を探すことが「かひなし」ではあります。けれど、先人たちも「ここがかの八橋」と信じてきたわけでしょうし、イメージを膨らませることも大切でしょう。知立市八橋をその気になって尋ねてみたのでした。

 たぶん、こういう順でしょうね。もともとこの八橋付近は、かきつばたが自生する土地であった。そこへ羽田玄喜という医者の妻がお告げにより流れ着いた木材で橋を八つかけたという伝承により、かきつばたと八橋が結びついた。やがて業平の和歌が詠まれ、歌物語としての第九段が出来上がった。後世に与えた影響の大きい伊勢物語ですから、三河の八橋という在所はどんどん知名度を上げる。知名度は芸術をも呼び、謡曲の杜若が出来上がり、尾形光琳の燕子花図屏風や八橋蒔絵螺鈿硯箱が出来上がり、また芭蕉が句を詠んでさらに八橋の人気は増殖していく。京では元禄時代にお菓子の八ッ橋が作られる。さらにさらに知立市八ッ橋の人気は上昇し、棟方志功や山下清の作品にもなっていく。

 知立市には2回行きました。一度目が冬の訪問だったので、昔男が歌を詠んだ、かきつばたの咲いている姿をぜひ見たいと思って、2度目の訪問になりました。

 無量寿寺のある八橋かきつばた園は、周囲よりも少し高くなっていて、緩やかな丘の上という印象。かきつばた池の水はどうやって引いてくるのだろう。


 

 園内には、業平像、伝説羽田玄喜二児の墓(羽田玄喜という医者がいたが早くに亡くなった。荘司の娘であったその妻は生活のために海藻を採っていたが、二人の子供が溺れて死んでしまった。妻はこの寺に入り尼となり子の墓を建てた。お告げを受け、裏に流れ着いた材木で橋を八つかけた。それにより八橋と言うようになった)。その二児の墓がこれだそうです。案内板では昔と書かれているだけで、いつのことなのかがはっきりしません。

 

 芭蕉連句碑、業平竹(縁結びの竹として進行されている)、杜若姫供養塔(案内板によると、杜若姫は小野篁の娘。東下りの業平を京から八橋まで追ってきたけれども、業平の心をつかむことができず、悲しんで池に身を投げたと書かれている)、業平万葉椿(八橋の街道沿いには珍種とされる「万葉椿」が多くみられるそうです。その珍種とは葉が金魚のしっぽに似ているそうで、業平がその椿を万葉椿と呼んだ。それを聞いた村人たちは業平万葉椿と呼ぶようになったとのこと。案内板の近くにある椿の葉を確認してみましたが、私には残念ながら金魚のしっぽには見えませんでした。)、業平の井=「業平公の水を御くみの井戸」と書かれている。こんなふうに八橋かきつばた園は、八橋とかきつばたと業平が揃っています。

 それにしても、かきつばたが咲いているか否かで、こんなに景色が違う。冬場には句碑だの供養塔だのがよく見え、案内板も読んでしまうのですが、かきつばたが咲いていると、それらは霞むものです。
 かきつばた園で、法被を着た観光協会のスタッフと思われるおじさんに聞いてみました。かきつばたは一本の茎に三回花が咲くそうですが、もうすでに三度目の花になっていて、写真を撮るには遅いだろうと教えてもらいました。一度目二度目に咲いた、枯れた花が見えてしまう(写ってしまう)からだそうです。連城三紀彦の小説「戻り川心中」を思い出しました。じゃいつ来たらいいのか尋ねてみたら、年によって変わるのだけれど、今年についていうなら大型連休のはじめのほうということでした。

 八橋かきつばた園から鎌倉街道を西に進むと、在原寺(ざいげんじ)があります。こちらにも、業平の竹がありますが、案内板によれば、「この竹の箸で子どもに食べさせれば、左利きが右利きになるという、無量寿寺の業平の竹には書かれてたいなかった説が書かれています。

 そこからすぐ先に、根上がりの松。歌川広重の五十三次名所図会に描かれている松の木だという。正しいとすれば170年ほど前にすでにあったことになる松の木です。

 

 もう少し先、名鉄の踏切を越えたらすぐに在原業平朝臣墳墓伝承地。業平さんも電車の走行音と踏切の警報音でゆっくり寝ていられないことでしょう。

 さらに西へ進んで、逢妻男川を渡り、右側の住宅地の小さな公園に入ると、落田中の一松。昔男がこの辺りで「唐ころも」の歌を詠んだとされるのだけれど、この松自体は、宅地開発により、この公園に移植されたものだと書かれています。その割にはこの公園にはかつきばたが一本もありません。この辺りで歌を詠んだのなら、「その沢のほとりの木の陰」は逢妻男川のほとりなのでしょうか。

 とにかく、かきつばただらけです。マンホールも郵便ポストも知立市の花も。ついでですが、知立市の隣の刈谷市の花もかきつばた、愛知県の花もかきつばただそうです。


(hill 2021年2月・2023年5月訪問)


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